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6.問い正したい

 今宵、珪己は十分すぎるほどに皇族らとの語らいを楽しんだ。時間を惜しむことなく自分と過ごしてくれる二人のことが、その高位によるものではなく、とても尊く思えた。


 このところ自尊心を傷つけられることばかりだった。それはもちろん、侑生と仁威からの突然の口づけのことだ。あのようなことをされ、しかもその後放置され、無造作に扱われ――気にしないようにしてはいたが、やはり傷ついていた。二人を尊敬し大切に思っていたからこそ辛かった。


 その感情について深く考えれば、余計に傷つくのが目に見えている。しかしこれ以上は傷つきたくないし、二人のことを嫌いにもなりたくない。あの二人とのそれぞれの夜、それぞれの口づけはなかったことにしたいくらいだ。


 元のような関係に戻りたい――。


 だがそれはかなわないことも分かっている。一度起こった出来事を消すことなど誰にもできない。しかし忘れたふり、なかったふりができるほど珪己も甘くはない。そのようなことをすれば余計にみじめになるだけだ。これ以上自分を貶めるようなことはしたくなかった。


 二人の皇族とのひとときは珪己の痛む心を癒した。癒しを与えてくれるからこそ、二人がとても尊い存在に感じた。ここにいることをゆるされている、ここにいる自分を受け入れてもらえている、そう思うだけで羽が生えたように心が躍った。


 それに、なぜか胸の鼓動がいつもよりも早いような気がする。


 その目と合うだけで、どきりとする。自分の言葉に反応してもらえるだけでうれしくなる。そわそわと落ち着かないような、だけどいつまでも一緒にいたいような――。


(それもこの方が高貴な方だからかしら?)


 こういうふうに心と体が反応するのはなぜだろう?


 そのようなことを考えながら、珪己はその語らいを最後まで楽しんだ。


 龍崇の提示した突飛な提案も、すでに楽しみになっている。


(早くその日が来るといいな……)



 *



 珪己が西宮の入り口に行くと、そこには李侑生が一人待っていた。侑生が迎えに来ているということは龍崇から聞いていたので特に驚かなかったが、珪己は久方ぶりにこうして対面する侑生の様子がただならないことに気づき、すぐに申し訳なく思った。さらに先ほどまで楽しんでいた自分が子供に思えて恥ずかしくなった。


「侑生様……」


 そして振り向いた侑生に対して開口一番に出たのは謝罪だった。


「申し訳ありません。ご心配をおかけして……」



 *



 深々と頭を下げる珪己に、侑生は有無を言わせず抱きしめたい衝動にかられた。


(ただ抱きしめること、それができればどんなにいいのか……)


 あれだけ色々と語りたいことがあったはずなのに――何も言えない。言えないけれど、今、侑生の胸中は溢れんばかりの想いではちきれそうだった。


(なぜこのようなことになったのだ……なぜ……)


 珪己が出てくるのを待つ間、侑生はずっと自問していた。


 なぜ珪己が皇帝の妃候補とならなくてはいけなかったのか。

 なぜこの恋をあきらめなくてはならないのか。

 なぜもっと早くにこの恋を成就させるための覚悟を定めることができなかったのか。


(ああでも、あの夜に一度覚悟していたのだ……)


 道場で初めて口づけをしたあの夜、侑生は玄徳を裏切り珪己を傷つける覚悟をして事に及んだ。枢密副使の、いや、官吏の道を捨てる覚悟までしていたのだ。ただの口づけにそこまで覚悟していたのだ。その先にあるかどうかも分からない未来のことなど、期待すらしていなかったのだ。


 この八年、積み上げてきたものと生きる支えだったもの、すべてを捨てる覚悟ができていたのだ。


(なのに……)

(私は愚かだった……)


 事を成し正気に戻れば、あの夜の覚悟は幻と化してしまった。決意はゆらぎ、あちらとこちら、どちらにいくべきか迷い続けてしまった。今夜、玄徳が侑生の背中を押してくれたのはたまたまだ。玄徳がその行動をとらなければ、侑生は今も迷い小路の中にいたことだろう。


 やや茫然としながら、侑生は珪己を連れて華殿を出た。そのまま何も語ることなく正門へと向かう。珪己もまた無言で侑生の後ろをついていく。侑生の指示どおり、二人が通る道には湖国の官吏含めて誰一人見かけない。


 闇の中、侑生が手に持つ燭台から放たれる淡く儚い灯りだけが二人の足元を照らしている。まるでこの世界に二人しかいないと錯覚してしまいそうな……それほどに淡く優しい光だった。


 しばらくして珪己のほうから侑生に話しかけた。内容は黒太子・龍崇からの提案、いや命令事項だ。前を歩く侑生の反応を気にすることなく、事務的にとつとつと語っていく。


 芯国のその重臣が開陽を出立するまで、珪己は華殿に滞在することが決まったとのこと。その男は芯国の代表としてしばらく開陽に滞在するとのこと。開国のための調印が終われば大使・アソヤクは先んじて芯国に帰国するとのこと。入れ違いに正式な駐在のための別の大使が開陽に入る予定で、例の男はそれまでの間、つなぎとして開陽に残るとのこと……。


 開陽は湖国の首都であるし人口も多く、かつ安全な街ではあるが、それでもその副官滞在在中、珪己が同じ街をうろつくのはよろしくないとのことだ。偶然にでも出会うことがないように、いざというときに珪己の身を護れるように、他国人どころか湖国民でも容易に侵入できない華殿内に身柄をおくよう、龍崇は命令してきた……と。


「あさっての夜に華殿に入ります」


 指定された日、休日の夜であれば人目がつきにくいという判断だ。宮城からの迎えが隠密に楊家まで来ることになっているとのことだった。


「……非常に用意周到ですね」


 前を歩く侑生のつぶやきに、「本当にそうですよね」とあきれた声を珪己が発した。


「ですが決まったのはつい先ほどなんですよ。陛下と黒太子、三人でお話ししているさ中、急に思いついたって黒太子が言い出されて」


 皇族二人と会話をしていたという事実は、この国の官吏であれば驚愕し恐れおののく事態である。が、当の少女は黒太子の性急な提案に苦笑しているだけだ。例えるなら、わがままを言い出した知り合いに「仕方なくつきあってあげるか」というような、やや上から見るような意識すらある。楽しげな期待すらかいま聞こえる。


 侑生が小さく振り返ると、珪己はその声音どおりの表情をしていた。そこに畏怖は見られなかった。皇族との親密な関係がうかがい知れる笑みをも浮かべている。


『なぜですか』


 その一言をぐっと飲み込み前を向く。だが本当は、この両手で珪己の肩をつかみ、揺さぶり、一から十まで問い正したくてたまらなかった。


『なぜなんですか!』

『なぜ珪己殿がそこまで皇族と親しくされているのですか!』

『私が知らない何をあなたは……!』


 だが侑生がしたことは、ただ歩み続けることだけであった。

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