5.その恋はあきらめろ
あらかた話を終え、納得したようなしていないような二人を残し、龍崇は一時離席すると待ち人がいる部屋へと向かった。
扉を開けると、そこには三人の青年がいた。一人は紫袍、二人は緋袍の官吏だ。腰帯に下げた青玉は彼らが枢密院所属であることを示している。
龍崇は紫袍の官吏のほうはよく知っている。彼こそは毎日の朝議で必ず見かける、枢密副使の李侑生だからだ。今日もその腰帯には薄い青の扇子が刺さっている。『天子門正』の証だ。そして枢密副使に付き従うのであるから、二人の緋袍の男は直属の部下、枢密院事だと断言できる。
龍崇の登場に、三人は即座に椅子から立ち上がった。そして両手を顔の前で組み礼をとった。そう、これこそが皇族に対する当然の態度だ――先ほどまで共にいた楊珪己とつい比較してしまう。ただ、礼を終えて顔をあげれば、三人の表情は皇族に向けるには感情豊かなものだった。
李侑生の顔は焦りが半分、しかし残り半分は怒りで染まっている。その怒りは龍崇を見上げた瞬間に着火したもので、本人も制御しきることのできない真正のものであった。
その背後に立つ二人の枢密院事は、彼らの上司の様子が突然変化したことにやや狼狽している。だが、狼狽しながらも、油断ならぬ様子で龍崇の様子をうかがっている。それもひとえに上司を護るためなのだろう。
(悪くない)
いや、彼らはこの国の官吏として、人として、悪くないどころか、とても良い性質を有している。自分たちが正しいと思うことのために戦う度胸がある。愛する者のために皇族に立ち向かう勇気がある。彼らの気概は龍崇個人にとっては好ましいの一言に尽きた。
(だが皇族としてはこの者たちを認めるわけにはいかない)
龍崇は上座の席に腰を降ろすと、まだ立ったままでいる三人に対して自ら核心に迫った。
「君たちがここに来たのは楊珪己を連れ戻すため、かな?」
その一言でやや紅潮していた侑生の顔がさっと青ざめた。
「では、やはり彼女はこちらに……!」
「それが分かっているから君たちはここに来たんだろう。まったく、まだここに連れてきて一刻もたっていないんだよ。そんなに早く来られたら十分に抱くこともできないじゃないか」
「黒太子……!」
隠しきれない動揺と、きつく握られたその拳――侑生はもう己のすべてで目の前の皇族に自分の想いを暴露していた。
龍崇が小さく笑った。だが目はいささかも笑っていない。
「回りくどい話をするほど僕も暇じゃない。いいかい、ここからは単刀直入に話すよ」
話し方はくだけた感じだが、その声音は厳しくこの場の三人を緊縛した。そう、龍崇は皇族として三人へ命令を下し始めたのだ。
枢密院事の二人が小さく息を飲んだ。皇族と直接まみえる経験などほとんどないのだから当然だ。だが侑生のほうは余計に警戒心をあらわにして龍崇を真っ向から見つめた。
ここまでしても、理解しているだろうにそれでもまだ初志を貫こうとする侑生のことを、龍崇はやはり好ましく思った。
誰かを護るということは生半可な覚悟でするものではない。
最後まで護ることができないのであれば、最初から護るなどと言ってはいけない。
少なくとも、心が負けてはいけない。
――たとえその命を懸けてでも。
とはいえ、やはり龍崇は皇族であって、皇帝の異母弟であった。龍崇にとって優先すべきは皇帝であり、湖国であり、己自身であり、それ以外は次点でしかないのだ。
「楊珪己はさきほどの宴で芯国の重臣に目をつけられてね。非常にしつこい男だったから、皇族の名を使ってけん制する必要があったんだ。だから西宮に招いた。と、いうわけで、私は楊珪己には手を出してはいない」
それを聞き、見るからに三人が安堵した。侑生は珪己を想って、そして枢密院事の二人は上司の心中を慮ってのことだろう。
「あと四半刻ほどしたら連れて帰ってくれないか。今夜はこの華殿に芯国の人間が泊まっているからね、あまり早くに退城させてはこの嘘が露見するおそれもある」
「分かりました。念のため帰路には護衛をつけましょう」
「そうだね。あまり仰々しくてもよくないから腕の立つ武官を数人付けてくれればいい」
「呉枢密院事、速やかに第一隊から手配してくれ。それに正門に馬車を用立ててくれ」
命令され、呉隼平が即実行するべく室から退去した。
「高枢密院事は第二隊と第四隊に芯国人の動きに警戒するよう伝えてきてくれ」
第二隊は宮城の屋外全般、第四隊は華殿内の守備を担当している。
「はっ。もし発見しましたらどうしますか?」
「時間や場所、人相等、すべての記録をとっておくように。また、呉枢密院事と連携をとり、彼女が通行する時間帯と場所を予測しておき、その時間帯、その場所に何人たりとも侵入できないように措置をとれ。……では行け」
高良季も退出すると室内は二人きりになった。
本来であれば、もう侑生もこの場にいる必要はない。だが目の前の黒衣の皇族の雰囲気から、彼がまだ何か隠していることを侑生は察していた。
なので、問うた。
「まだお話しになりたいことがおありなのでは?」
すると、一拍おいて龍崇がふっと笑った。
「……君は本当に恋に溺れているね。そんなにあの子が好きなんだ」
しみじみとそう言われ、無意識のうちに、侑生は握りしめていた拳をより強く握った。が、はっと気づき、意識して体の力を抜く。そして細く深く深呼吸をし――己を取り戻したところで、腹に力をこめて再度問うた。
「もっと他に私にお話しになりたいことがおありなのでは?」
「だからわざわざ二人を先に退出させたんだよね。どうもありがとう」
悟られている、とやや表情をこわばらせた侑生に、しかし龍崇はまわりくどいことをするつもりはなかった。
「はっきり言おう。君のその恋はあきらめてもらいたい」
「は……?」
恋をあきらめろ。
皇族が『恋をあきらめろ』と命令してきた。
それはあまりに想定外の命令であった。
驚きしかない侑生に、龍崇は己がこの会話の主導権を握ったことを理解した。流れは自分にある。あとはこの流れに沿って語り続ければいいだけのこと――。
「楊珪己は将来、この華殿に住む人間となるだろう」
「それは……また女官に任じるということですか」
分かりきったことを訊くのは、気づいてしまったその真実に目を背けたいからだ。だが龍崇はっきりと言う。恋に溺れた者が盲目だというのは世の常だからだ。
「違う。妃とするためだ。――皇帝陛下の妃とするためだ」
龍崇は二度繰り返した。そして最後に侑生が予測したさらに先まで言及した。
珪己は今夜、龍崇の名で西宮に呼ばれた。であれば、龍崇が妃に望んでいると考えるのが道理だ。恋をあきらめるよう命令され、侑生は即座にその考えに至っていた。だが龍崇はそうではないとはっきり言ったのである。皇帝の妃にすると、そう言ったのだ。
芯国の重臣に見初められたという話ですら大事だった。だが侑生にはそれを解決できる見込みがあった。最悪、官吏を辞し、珪己を連れて故郷に隠れ住んでもいいのだ。故郷でなくてもいい、二人の人間が隠匿できる場所などこの広い国のどこにでもある。それを可能にできるくらいの財産も人脈もある。
だが、皇族である龍崇が珪己を望んでいると思わされ、即座にその相手が実は皇帝その人だと訂正された。二度三度と翻弄され、最終的に、相手はこの国でもっとも尊い皇帝だという。その真実は強烈な拳のように侑生の胸をえぐった。
(……そんなことがあってもいいのだろうか)
今こうして聞くだけでは、何かの間違い、もしくは空想の話にしか思えない。
侑生の困惑、混乱を見透かしたかのように龍崇が続けた。
「これは君や楊珪己の意志とは関係ない。すべては皇帝陛下の御意志で決まることだ。楊珪己は只今より秘密裏に妃候補として取り扱うこととする。よって、これより楊珪己に手を出す者がいれば私が罰する。よく覚えておくことだ」
今、侑生の顔面は蒼白になっている。
龍崇は立ち上がると、去り際に侑生に告げた。
「君の不手際は上司である楊枢密使の不手際ともなる。君にできることはその恋を捨てることだけだ。……いいね」
それだけ言うと、龍崇は室を後にした。部屋に残る侑生は、龍崇の言葉に抗うことも何もできず、ただ黙ってじっと立ちつくしていた。




