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4.僕は君を護りたい

 何やら思索にふける珪己に龍崇が気づいた。


「逃げることは策の一つ。恥ずべきことではないよ」


 机の上に置かれていた珪己の両手がぎゅっと握られた。そんな自分に気づき、珪己は唇を噛んだ。


「……はい」


 返事とは裏腹にまだ納得しきれていないようである。が、龍崇としても、珪己がこのまま無鉄砲に戦いの渦中に入り込み、あまつさえあの男に奪われることを許すわけにはいかないのだ。


「できれば君にはしばらく家に閉じこもっていてほしいくらいだけど」

「それは無理です! 私は明日は」

「分かってる。芯国人の帰還の途に君も同行するんだろう?」

「そうです。菊花姫も参列されますし、久しぶりにお会いしたかったし……」

「うん、君の気持ちはよく分かるよ。僕も姫と君をできれば会わせてあげたいし、きちんと仕事を勤め上げたいという君の気持ちを汲んであげたい。だけど今の状況ではそれは許せない。必ずあの男と会うと分かっていて、君をその舞台に登場させるわけにはいかない」

「……なぜですか」

「なぜって?」

「私がその人に連れていかれると何か困ることがあるんですか」


 本心から問うてくるこの少女が龍崇には不思議に思えた。


「君、こわくないの? さっきも説明したとおり君に勝ち目はないんだよ。連れていかれてその体を奪われて、そのまま芯国に拉致されるのがオチだってことが分からないの? もう一生この国に帰ってこれないよ?」


 あけすけに語られる残酷な未来像に、珪己が一度うつむいた。


「……でもそれは私一人の問題ですよね」


 つぶやき顔をあげると、龍崇がその顔を険しくしていた。じっと珪己を見つめるその瞳には確かに怒りの炎が宿っていた。先ほどまでの飄々とした様子は一切ない。


「……まず一つ。これは君一人の問題じゃない。国と国との問題だ」


 あらためて語りだした龍崇の声は低いものへと変貌していた。


「今夜、僕たち皇族は芯国に対して『君を渡さない』と宣言した。宣言してしまった、というのが正直なところではあるけれど、とにかくもう宣言したんだ。そしてそれをあちらは了承した。実際は全然了承してなくて、宴のあとに君を寝所に連れていこうと画策していたけれど、とにかく対外的にはそうなっている」


 また明るみになった事実に珪己が目を見開いた。しかし龍崇はとつとつと続ける。


「そんな状態で、明日、もしも君が大衆の面前で連れていかれるようなことが起こったら、これは大事になる。国同士の信頼関係を崩すような不作法を起こされたら、我々としてもそれを黙認するわけにはいかなくなる。確かに芯国との正式な開国は長年の悲願ともいえる大事業だった。けどね、そのために相手の無礼を容認すれば、それは対等な外交ではなくなるんだよ。それは長期的に見れば絶対に避けなくてはいけない。だから、そのような事態は起こらないようにするのが最善。分かるかい? これは君だけのことじゃないんだ」


 ぎゅっと眉をひそめ、またうつむく珪己に、龍崇がため息まじりにつぶやいた。


「……それにもう一つ。僕には奪われようとする人を見捨てることなんてできない。これはもう僕の性分。君なら分かるだろう?」

「あ……」


 理解し、ぱっと顔をあげると、龍崇は少し困った顔をしていた。もうそこには険しさは見えない。


 そう、本人から聞いたではないか。龍崇の生まれ育った場所は妓楼だったと。


 祖父母の営むその妓楼で、彼は搾取される女性を数多く見てきた。生きることとは運命に従うこと、あきらめることと理解し、言われるままに体を売る人を、彼は数多く見てきたのである。


 だが龍崇は生きることをそのように暗いものとして捉えていない。そう、生きることは戦うことだと、その瞳が語っていたではないか。


 今もまた、龍崇はひどく真摯に珪己を見つめている。


「僕は君を護りたい。だから明日はその場には行かないでほしい。礼部には僕のほうから言っておくから」


 珪己は龍崇の心の声を、願いを聞いたような気がした。すると、先ほどまであれほどもやもやとしていた気持ち――ふがいない自分へのいら立ちや、自分の行動を制限しようとする皇族たちへの抵抗――はすっと溶けてなくなってしまった。


 こんなふうに心配されて大切にされて、それでも『自分が自分が』とわがままを言おうとは思えない。


 珪己はこくりとうなずいた。それを見て、二人の皇族が見るからに安心したように肩の力を抜いた。


「すまないな」


 気難しい顔をして謝罪する皇帝に、珪己は胸の前で両手を強く振ってみせた。


「大丈夫です。全然大丈夫ですから」


 しかしその言葉が本心からのものと納得できないのか、英龍がさらに言いつのってきた。


「今度菊花と会えるように取り計らうからそれで納得してくれないか」

「ええっ! 確かに姫とはお会いしたかったですけど、でもそんな」

「それくらいのことは大丈夫だ。なあ?」


 問われ、龍崇が思案するようにその腕を組んだ。


「それくらいのこと、というほど簡単なことではないのですけどね」

「いいだろう? そうそう、それに余は楊珪己と約束をしているのだ」

「ほお、どのような」

「余とかく将軍との稽古に参加させると。あと、ともに琵琶を奏でようとも約束した」

「……それはまたなんとも楽しそうな」


 真実そうは思っていなさそうな声音で、龍崇がちらりと珪己のほうを見た。珪己はその視線を受け、思わず力強くうなずいた。 


「は、はい。確かに陛下はそのように提案してくださいました。けれどそれも簡単なことではないのは重々承知しています」

「あれ、君にしては賢いね。そのとおりだ」


 褒められたのかけなされたのか、相も変わらず分かりにくい人だ。微妙な顔をした珪己に、龍崇が「あ」と声をあげた。


「そうだ。えい、それでいきましょう」

「なんだ? 何か良い案でも浮かんだか」

「ええ、浮かびました。では私がこれから話すことをよく聞いてください。こら、楊珪己。君もだよ――」

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