2.恋や愛ではないところにある己の価値
「……隊長! 隊長、聞いてますか?」
「あ? ああ、すまない。少しぼんやりとしていた」
いつの間にか、三人の部下は仁威の隣に並んでいた。薄く笑ってみせた仁威に、三人がお互いの顔を見合わせた。
「……あのお、袁隊長」
「なんだ」
「もしかして……恋がうまくいかなくて悩んでいるんですか」
「は? なんでそうなるんだ」
だが、そう仁威が答えるまでの若干の遅れに三人の部下は気づいてしまった。
もとより彼らは武官、相手の間合いをはかることは意識さえすれば容易なのである。仁威のまつげの微小な揺れすら、三人にとっては推測を裏付けるものにしか思えなかった。
三人はまたも顔を見合わせ、そして下を向き、盛大にため息をついた。
「ああ……いいなあ。うらやましい悩みです」
「俺たちも恋に悩んでみたいなあ……」
またそれか、と、むすっとしたところ、ある一人の部下の言葉に耳を疑った。
「隊長は年上から年下まで、守備範囲が広すぎですよ!」
「なんだそれは」
聞き咎めた仁威に、その部下が恨めし気な顔をしてみせた。
「聞きましたよ。隊長には非番の日に一緒におでかけする女の子がいるらしいですね」
「は?」
「新人の周定莉が言ってました。本命は年下だったんですね。ああ、隊長! 俺もう、李副使の手ほどきを待てません! 隊長のその手管を今すぐ教えてくださいよお!」
一瞬のうちに、いつどこでその状況を見られたのかを察した。そう、あれは先週末、珪己と二人で船渠に行ったときのことだ。
(……あの時の視線は周定莉のものだったのか)
定莉は、男装時とはいえ珪己ともっとも接触した武官だ。であれば、珪己の顔を見られないようにすぐさま隠して退いた判断は正解だったようだ。たぶん今はまだ、湖国初の女武官に着任する少女が、初春に第一隊に仮入隊していた楊珪信という少年と同一人物であり、さらには枢密使の娘でもあることは明るみにしないほうがいい。
いつものように部下たちを軽くあしらってごまかそうとしたところで、仁威は思い直した。
そうだ、理想の隊長像を追及するのをやめると決めたではないか。いつまでも適当に話をかわすのはやめるべきなのだ。
だからあの夜、あの少女を傷つけ、そして捨てたのだろう――?
「……俺は誰とも深い付き合いはしていないし、周定莉が見たというのもただの知り合いだ。それにな、実は……俺は愛とか恋とかいう女が苦手でな」
「え?」
案の定、どの部下の顔も面白いくらいに固まった。それもそうだ。仁威がどれだけの女に色目をつかわれてきたか、共に酒楼に行く仲である彼らは十分に知っているのだから。それらのすべてを余裕ある仕草でかわしてきた仁威が、まさか愛や恋、それに女が苦手だとは誰にも想像できないだろう。
仁威は三人の顔をそれぞれ見やり、それから自嘲気味に笑ってみせた。
「なんでだろうな、昔から女がつきまとってくるんだ。だが自分ではなんでそうなるのかがいまだよく分かっていない。周りに相談しても、うらやましい悩みだと誰も真剣には取り扱ってくれなかった。……だが俺はそういう女共が正直怖いんだ」
「隊長……?」
「理由も分からず好かれるというのは、まるで自分がどこにいるのか分からないような不安な気持ちにさせられる。俺にとって、恋とか愛とか言いだして、通常なら考えもつかないようなことを平気でしでかす奴らはみんな気味悪く思えるんだよ。だから俺は武の道に進むことにした。少しでも奴らが俺から離れてくれるなら、手段はなんでもよかったんだ。それに俺は自分自身で己の価値を知りたかった。恋や愛ではないところにある己の価値を……な」
語りすぎたかと口をつぐむ。だが部下達は仁威の予想とは異なる反応を見せた。皆が真剣な表情で話を聞いていたのだ。
「……お前ら?」
「隊長! 今まですみませんでした! もう俺たち、二度と隊長にはそういった話はしません!」
一人がそう発言したのを皮切りに、次々と声があがっていく。
「俺もほんとうは女の考えてることっていまいち分からないし、実は苦手なんです。だから隊長の言いたいこと、なんとなくですが分かります。それに好きでもない女にしつこくされたら、誰だって嫌な気持ちになりますよ。俺だって嫌です。女なら誰でもいいってわけじゃないですもんね」
「武芸の道に己を探究するのってすごくかっこいいと思います。俺も隊長のようにこの仕事に自分の在り方を探してみます」
どこまでも真摯な部下に――仁威は自然とほほ笑んでいた。
「……ありがとな」
こうやって自らを開示することには嫌われる覚悟も伴わなくてはならない。だから仁威は、これまでできるかぎり自分の素を他人に見せないようにしてきた。もうこれ以上傷つけられ、否定されたくなかったから――。
表面上は求められる姿を演じきっていたと思う。上司として、同僚として、部下として。武官として。男として。……人間として。だが今、こうして自分の一部をさらけ出したことで、仁威の心はふわりと軽くなった。真の自分を受け入れてもらえるというのは、凝り固まった心を解きほぐす効果があるらしい。
と、その時、仁威は思い出した。前にも同じ感覚にとらわれたことがあるな、と。そう、あれは珪己との早朝の稽古でのことだった。思い出したことで寂しさを感じた。このように尊い感覚を、仁威は自身の行動によって切り捨てたばかりであったからだ。
だがもはや仕方のないことだ。後悔しても過去はやり直せないし、一つを得るためにもう一つを捨てなくてはならないことは往々にしてある。
ほほ笑みから一転して愁いの表情を浮かべた仁威の横顔に、三人の部下がほおっとため息をついた。
「俺、なんで隊長がもてるのか分かります……」
「あ、俺も!」
「俺も俺も。同じ男だけど分かる」
純粋な疑問を持って仁威が彼らにその理由を問うたところ、返ってきた答えは「かっこいいから」の一言だった。握り拳を作って単純明快に言う部下に、
「そうか? 俺よりもかっこいい男なんて山ほどいるだろう」
と反論したところ、
「雰囲気がかっこいいんですよ。言葉ではうまく説明できないんですけど」
「俺たち、次までにはきちんと説明できるようにしておきます! 宿題にさせてください!」
と、最後には申し訳なさそうに頭を下げられた。そのあまりの律儀さに、仁威は申し訳なく感じつつもほんの少しの嬉しさも感じた。