ヘッドハンティングが、もたらしたもの
後から分かったことだが、出前寿司にはPの思惑が隠されていた。でも、物事を深く考える習慣のない僕が、それに気づくはずがない。
「お前の好きなネタを言えよ。何でもいいぞ」
スマホを操作しながら、Pが言った。でも僕は、それを突っぱねることにした。
P本人が言いだした脳の地殻変動の話を、一方的に打ち切られたことに対する意思表示だ。
「いらないよ、そんなもの」
しかし、体は正直だった。言い終えると同時に、僕の腹から、間の抜けた音が聞こえてきたのだ。
グルグル、キュー、
しかも、リハーサルを何度も繰り返したような、ドンピシャリのタイミングで。まるでコントの一場面。Pが笑わないはずがない。
このとき彼が、いつものように大声で笑い飛ばしてくれたら、僕も一緒に笑っていたと思う。だが、空気が漏れたような、クスクス笑い。本気で腹が立った。
いらないと言ったら、いらないんだ。
声を荒げて言ったつもりだったが、声にならなかった。たぶん、僕の中の何かが、それ以上の空腹を避けるために、感情が言葉になるのを阻止したのだろう。
考えてみれば、今日胃の中を通過した食べものといえば、昼飯のソバとフライドチキンだけ。
コーラを取りに行った際、冷蔵庫を覘いてみたが、固形物はチーズしかなかった。あれを全部食べても、腹の足しにもならないし、仮にそうしたとしても、僕がやせ我慢をしているのは、見え見えだ。だとすれば、変な意地を張らずに、俺も頼むよ、と言った方が良さそうだ。
と、まあ、そんな結論に達したわけだが、どうも気持ちがすっきりしなかった。
このまま何もしないのも、しゃくに障る。何か良い方法はないだろうか。
「この店が有名になったのは、ネットに書き込まれた一通からなんだ」
と言うPの声を聞いたとき、良い考えが浮かんできた。注文主のPに、ちょっとした意地悪をしてやれば、僕の気持ちは収まるかもしれない。
「俺の好きなものだけを、注文してもいいんだな?」
そんな訊き方をしてみると、Pは、スマホの寿司ネタの写真に視線をやったまま「もちろんだよ」と答えた。「この店はデリバリー専門だけど、たいていのネタは揃っている。本物のキャビアを使った軍艦巻きもあるんだ」
話の流れとしては、最高のシチュエーション。僕は、ニッと笑ってから言った。
「ヒラメのエンガワだけ、二十個」
エンガワが大好物なのは事実。でも、二十個は冗談。
おいおい、やめてくれよ。そんな品のない注文をしたら、俺のセンスを疑われてしまうじゃないか。
そんな返事を予想していた僕は、返しの言葉も用意しておいた。
そう言われると、そうだな。お前に恥をかかせるわけにはいかないから、今日の分は、お前に任せるよ。
しかしながら、そのような展開にはならなかった。
「了解」
スマホを眺めながらPは、軽く受け止めたのだ。そしてそのあと彼は、僕に液晶を向けて、こう言った。
「今日のラインナップは、スゲーぞ。誰が来ても、大当たりという感じ。ちなみに、お前の好みは、どの女の子?」
結局Pと同じ『本日のおまかせ寿司』を頼むことにしたのは、その注文をした人間には、特別サービスが付いていたからだ。
僕は、画面に並んでいる九人の顔写真を眺めながら質問した。
「同じ家から、注文が九個きた場合は、どうなるんだ」
「そんな場合も規約通りだよ。ひとつの注文に対して、配達員はひとり。寿司を持った九人の美女が、一列に並んでやってくる」
「じゃあ、同時に百人が注文したら、どうなる。作る方も大変だけど、九人は、あっちに走り、こっちに走りで、すぐにバテてしまうぞ。こんな仕事はこりごりです。明日から来ません、って言われるぞ」
「ああ、それも心配はいらない。デリバリー登録者は千人以上いるんだ。注文があると、ホームページの顔ぶれが変わるんだよ。それに、開店当時、三十分で三百件以上こなしたことがあるらしい。百人なんて、どうってこともないと思うよ」
「えらく、詳しいじゃないか」
「まあな」Pは意味ありげな笑いを浮かべた。
「すると、あれだな。配達に来た女の子をたぶらかして、根掘り葉掘り聞き出したってわけだな」
「まさかだろう」
Pが僕の手からスマホを取り上げたとき、チャイムが鳴った。注文してから十分と経っていなかった。
「えらく早いな」
「そりゃそうさ。厨房は、このマンションの道路向かいのビルにあるんだ」
デリバリー専門寿司で、驚いたことがいくつもあった。
しかし、何と言っても一番は、この店のシステムを考え出したのが、僕の目の前で、寿司をぱくついているPを頂点としたグループだったことだ。
僕は、本物の朱塗りにしか見えない寿司が入った容器を、手のひらで撫でながら訊いた。
「ということは、この使い捨て容器も、お前たちが考えたわけ?」
「そう。高級感のある器を特殊加工を施した和紙で作ったらどうでしょうかと言いだしたのは、今朝俺たちを迎えに来てくれたあの男なんだ。彼のアイデアのおかげで、廃業寸前の和紙業者と、樹脂加工会社が立ち直った。それに、器を洗う必要もないし、回収に行く手間も省けた。容器の保管場所も要らなくなった。人件費も大幅に減った」
「あのコスチュームの発案者は、お前だろ」
「いや。違う。あれは、社員食堂で最初に俺たちに気づいた女の子。宣伝効果を高める制服をテーマに、ディスカッションしていたとき、彼女が、はっぴをメジャーリーグ模様にしたら、どうでしょうと言ったんだ。メジャーリーグは、30チーム。結果として、毎日違う色とデザインの制服での、デリバリーが可能になった」
本日のおまかせ寿司は、一人前が五千円。ネタは新鮮、味も文句なかった。でも、誰もが毎日食べられる値段ではない、しかし、リピート客は多いらしい。
「出前を取った三日後に、手書きのお礼状が届くんだ。文面はみんな同じだけど、また、ご注文を、なんて野暮なやつじゃない」
「どんな?」と訊くと、小学生が言いそうな答が返ってきた。
「ありがとうございましたの横に、今日も一日、良い日でありますように」
「そんなもんで、効果があるのか?」
「もちろんだよ。たいていの男は、笑顔で現れた女の子の顔を、一ヶ月以上覚えているらしいからね」
お礼状のアイデアは、間違いなくPだと思ったが、僕はそのとき、ふと思いついた疑問を口にした。
「質問が二つある。この五千円の寿司を、女の人が注文した場合は、どうなるんだ。イケメンのお兄ちゃん部隊が控えているのか。それと、これ以外の安い寿司を注文した場合は、どんな奴が配達するんだ」
「おっ!」小さな声と共に、Pの表情が変わった。しばらく珍しいものを見るような目で僕を見つめていたPは、紙おしぼりで丁寧に手を拭いたあと、姿勢を正して、信じられないようなことを言った、
「もしよかったら、このまま、ここに残らないか」
「ここに?」
Pは笑顔のままで「そうだよ」と答えた。
僕は部屋を見回しながら、なぜPが、そんなことを言いだしたのか考えてみた。
どうやら、東京に引っ越してこいと言っているらしい。しかし、その理由となると、何も思い浮かばなかった。
「何のために、俺が東京で暮らさなきゃならないんだ」
「決まっているだろう。俺の仕事を、手伝うためだよ」
突然のことでびっくりはしたが、かねてから東京に住む気など、まったくなかった、でも、引き留められた礼儀として、否定の言葉を並べながら、話を最後まで聞くことにした。
「俺は、不動産の免許も持っていないぞ。それに都会での運転は、俺には荷が重い」
「いや、お前にそんな仕事はさせない」Pは体を乗り出した。「企画担当者としてのヘッドハンティングだ」
そんな言葉が、この場面で飛び出してくるなんて思ってもいなかった。それも、この僕に対してなのだから、なおさらだ。
「おいおい、ヘッドハンティングって言葉は、優秀な人間に言うもんだぞ」
「ちょっとの間だけでいい、俺の話を聞いてくれ」Pが冷静な声で言った。「お前は、自分の企画力に気づいていないだけなんだ」
ジョークで言っているような顔ではなかった。当然、僕の声のトーンは低くなった、
「どうして、急にそんなことを言いだしたんだ」
「お前には唐突に聞こえるかもしれないが、昨日から思っていたんだ。それに、お前の能力を買っているのは、俺だけじゃない」
「あのホテルの御曹司だろ」
Pは大きくうなずいた。「まだまだいる」
そう言われると「だれ?」と言わないわけにはいかない。
Pが上げたのは、会長、社長、それに今朝の運転手二人と、社員食堂で会った七人だった。
冗談だろう? と言いそうになったが、Pの表情があまりにも真剣だったので、言葉を変えた、
「俺のどこに、企画力が隠れているっていうんだ」
Pはその言葉を待っていたらしく、にこっと笑ってから「証拠があるんだ」と言った。
どうしてここで、証拠などという固い言葉が出てきたのか分からなかったが、そのことは抜きにして質問した。
「じゃあ、その証拠とやらを見せてみろ」
「了解」嬉しそうな声で言ったPは、ゆっくりとした声で「パソピアのシステム」と答えた。
パソピア?
僕の才能とは、まったく関係のない答え。自分の体の力が抜けたのが、はっきりと分かった。
「バカか、お前は。あれは、夢の中の話だぞ。俺が考えたシステムじゃない」
「本当に、そうかな?」余裕たっぷりな声で言ったPは、僕の顔を覗きこむようにしてつづけた。「お前は、昔からこう言っていたよな。『俺は、見た夢は、全部忘れる。朝目が覚めたら、何も覚えていない』」
その言葉を聞いた瞬間、僕の頭の中で、何かがうごめいたような気がした。




