黄色いジャンパーの女の子
指先がチリチリする理由は分からなかったが、思い出したことがあった。白い世界でトリエステが、僕に言った言葉だ。
『これからは、あなたの指先に意識を集中してね』
そうだった。トリエステはたしかにそう言った。僕の指先から何かが入り込んできたのは、その直後。それを僕は、蟻の大群と表現した。
しかしトリエステも、白い世界も実在しない。どちらも僕の妄想が生み出したもの。
でもどうして、この言葉が記憶に残っているのだろう。チリチリと何か繋がりがあるのだろうか。
チリン、チリン、チリン、
突然店内に響き渡ったのは、賑やかな鐘の音と歪んだマイクの声。
「これから三回目の抽選会でーす。どなたでも参加できまぁーす。ただし、先着十名様限り。早い者勝ちでーす」
顔を上げたときは、ハンドマイクを持った店員の周りに黒山の人だかり。今さら走っても間に合わない。分かっていたが、興味が沸いた。
一等商品がプロトタイプのノートパソコンで、ジャンケンで勝者を決めるのなら、僕の妄想にでてきた話とまったく同じ。
しかし、その期待は裏切られた。ごくありふれたガラポン式の抽選だった。
一等は赤、24型液晶モニター、二等は青、USBスピーカー。三等が黄、8ギガメモリーカード。白は参加賞。店のロゴ入りマウスパッド。
一等賞の売価は一万数千円。二等は千円程度。
金額的には大した商品ではなさそうだったが、運がよければ、ただでもらえるとあってか、集まった人々は結構盛り上がっているようだった。でも、興味を失った僕の目には、単なる混雑風景としか映らなかった。
時刻を確認すると、着いてから十数分しか経っていない。
あと一時間どうやってつぶそうか。
店内を見回したところで、指先の感触が消えているのに気がついた。
さっきのあれは、気のせいだったのだろうか。それとも……。
確認と時間つぶしを兼ねて歩き出したところで、チリチリが戻ってきた。
だが、今度は左手。
左右が入れ替わった理由を考えてみた。
単純な答が、ひとつだけ浮かんだ。
さっきと反対方向を向いているからだ。
左手の力を抜いてみた。そして人差し指だけを残して軽く手を握った。
歩くに連れて、指先の感触が強くなった。
チリチリが、ジリジリになった。と思う間もなく人差し指がビクンと震えた。そして磁石に吸い寄せられるように、大きく向きを変えた。
指先の感触が突然消えたのは、一人だけ色の違うジャンパーを着たスタッフの横だった。
その女の子は、僕の後ろに目をやって、にこっと笑った。
「間に合わなかったようですね」
聞き覚えのある声に、僕の心臓が激しく反応した。
「ええ、まあ」僕は胸の動悸を押さえながら訊ねた。「実演キャンペーンとありますが、何人か揃わないとだめですか?」
「いいえ」女の子は、すこし恥ずかしそうに笑った。「実を言うと、まだお一人もお見えになっていないんです。よろしければ見ていただけませんか」
彼女の声は、僕の心臓を直接刺激した。
「そうですねぇ」僕はしばらく彼女の黄色いジャンバーを眺めた後「初対面の女性にこんなことを言うと、誤解されそうですが」と前置きしてから続けた。「どこかで、会ったような気がするんですが……」