ドラゴンスピーチもどき
「どこかで、と、言われますと……」
彼女は惑ったような顔でそう言った。
どうやら僕をナンパ男と思ったらしい。だとすると、ここで視線を外すわけにはいかない。
僕はそのまま彼女の目を見続けた。
すると、彼女はにっこり笑った。そして小さく首を振った。
「多分、人違いだと思います」
その声もトリエステそっくりだった。いや、トリエステの声そのものに聞こえた。
トリエステって知っていますか、と訊いてみようか。
いや、それはまずい。ここでトリエステを持ち出すと、間違いなく不審者と思われる。なにしろトリエステは、僕の妄想の産物。
じゃあ、証拠を見せて下さい。と言われた時点で、アウト。どう答えても、言い逃れとしか受け取ってもらえない。
この場を、どう収めようか。と思案する僕に彼女は言った。
「どんな方だったんですか、その女の人は」
まさかそんな質問が来るとは思ってもいなかった。僕はしばらく考えてから、正直に答えることにした。
「顔じゃないんです。声です。声。あなたの声にそっくりなんです」
「あら、いやだ」彼女は恥ずかしそうに笑った。「てっきり、顔だと思いました」
頬がかすかに赤く染まるのが見えた。とても無邪気な笑顔だった。
この人だったら、話が通じるかもしれない。なぜか、確信のようなものを感じた。
僕は、彼女の視線が戻ってくるのを待ってから言った。
「その彼女に姿形があったとしたら、あなたみたいな感じだったのかもしれません」
意識して、きれいな方、と言う言葉は省いた。
「え?」
目をぱちぱちさせたその顔は、難しい計算問題を暗算で答えろと言われた小学生のように見えた。
「スガタカタチ?」
彼女は唇を少し嚙んで、首をひねった。その言葉の意味を真剣に考えているのがわかった。
質問が来る前に、僕は言った。
「あなたの声は、夢の中に出てきたノートパソコンの声とそっくりなんです」
「ノートパソコン……ですか?」
またしても考える顔。こんどは眉間に小さなしわ。彼女は、十秒ほどしてから口を開いた。
「冗談を言っていらっしゃるわけではなさそうですね」
話を素直に受け取ってもらえたようだ。僕は笑顔を作った。そして大きく頷いて言った。
「もちろんです。さっきも言いましたように、初対面の方に作り話をするわけにはいきませんからね」
「ということは……」彼女はそこでしばらく間を置いた。そして「少々お待ちください」と言って後ろを向いた。
「そのノートパソコンにも、このようなソフトが入っていた可能性があるわけですね」
彼女が差し出したのは、音声認識ソフトのパンフレットだった。
偶然にしてはできすぎている。
僕はパンフレットと彼女の顔を交互に眺めた。
「失礼ですが」彼女は静かな口調で言った。「このソフトをご存じでしょうか?」
僕にとってソフトと言えば映像編集用。音声関係のソフトに縁はなかったが、ドラゴンスピーチというソフトの存在だけは知っていた。僕はパンフレットの会社名を確認してから答えた。
「似たようなソフトで、ドラゴンスピーチというものがあることだけは知っています」
他社の商品を言われてがっかりしただろうな、と思ったが、彼女は嬉しそうに笑った。
「そうですよね、この種類のソフトと言えば、ドラゴンスピーチですよね」
レジ付近で大きな歓声が上がった。たぶん赤い玉が出たのだろう。だが、彼女は僕に視線を向けたままで話を続けた。
「なにしろあちら様は、世界シェアナンバーワンでございます。当社ではとても太刀打ちできません。と言うわけで、私どもが目指しているのは、ドラゴンスピーチ様とは少し趣の変わったソフトなんです」




