本社ビル
常識的に考えれば、大抵の経営者は立地条件の良いところに、人目を引くビルを持ちたいと思うだろう。
人通りの多い交差点の角。どこからでも見える高層ビル。屋上には社名入りの大きな看板。有名デザイナーが設計した個性的な外観。
とまあ、そんなものが頭に浮かんできたが、仮にそうだとすると、Pはこのような出題はしない。つまり、その逆が正解だということ。
受け取り方によっては、人を小馬鹿にしたようなサービス問題。でも、それに乗っかることにした。
こいつは、先ほどの時刻の件で僕に恥をかかせたと思っている。だから、その罪滅ぼしをしようとしているんだ。そう思ったからだ。
「何階建てかは分からない。でも、場所は入り組んだ路地の奥。見た目は廃屋。しかし、事務所は別世界」
誰でも考えつくようなことを並べると、Pはにこっと笑った。「いい勘をしているじゃないか」それから興味深そうな顔で「別世界を具体的に言うと、どうなるんだ?」と訊いてきた。
「一言で言えば、最新式の情報収集設備を備えたCIAの秘密基地」
もちろん、口から出任せ。当てずっぽう。
Pは含みのある笑みを浮かべた。「さて、どうなんでしょうね」
本社ビルは、信号のない交差点を左折して、しばらく走った小さなマンションが建ち並ぶ地域の一角にあった。
鉄筋三階建てのビルは、予想どおりだったことを喜ぶ気にもなれないほどの、ありふれた建物だった。
しかし、気になることがいくつかあった。
社屋の周りに植えられた芝生の広さと、そのど真ん中にそびえる一本の老木だ。
バラエティ番組で全国の地価を取り上げたことがある。確かこの辺りは、坪単価が三百万前後だったと記憶している。ざっと見渡した感じでは、祖母の実家の畑と同じくらい。敷地だけでも二十億円ちかくになる。
一口に億万長者と言うが、会長の総資産は、どれくらいあるのだろう。直接訊ねるのも芸がないので、まずは、水を向けることにした。
「あれは、桜の木だよな」
「こんなところから、よく分かったな」Pは驚いたような目をした。「花も咲いていないっていうのに」
そう言えば、Pが知っている木の名前は、葉が茂っているときのイチョウと、イチジクぐらいのものだった。
「お前以外の人間なら、誰でも分かるよ。枝振りと、幹を見れば、一発」そのあと僕は、ふと思いついたことを口にした。「まさかあの桜を切ると、祟りが来るとでも思っているんじゃないだろうな?」
「誰が?」
お前の会社の会長だよ。と言おうとしたが、直前で変えた。ビルの持ち主が、地主とは限らないことに気づいたからだ。
「ここの、気の弱い地主のことだよ」
Pは、ふふふと笑った。「うちの会長は、そんなヤワな人間じゃないぞ」
そのあと、その件に関する何かを聞かせてもらえると思ったのだが、Pは「その話をすると長くなる。会長が着くまで施設を中を案内してやるよ」と言って、さっさと歩き出した。
玄関にはりっぱな受付はあったが、誰もいなかった。予約がないと、玄関にも入れないシステムになっているらしい。
外観に目を引くものは何もなかったが、十年ほど前にリフォームしたという内装は、老舗の高級ホテルを思わせるような重厚なつくりになっていた。過度な装飾はない。でも、高価な材料が使われているのが、素人目にも分かった。
築60年。以前は高級婦人服の縫製工場。リフォーム時に、震度七の直下型地震にも耐えられるような補強が施されたとのことだった。
「じゃあ、まず、我が社の秘密基地から」Pが笑いながら案内してくれたのは、元社員寮だったという三階。ドアが開いた瞬間、僕の口から驚きのため息がもれた。
「すっげーな」
四十坪ほどのワンルーム。テレビで見た新幹線総合指令所を、スケールダウンしたような感じだった。
正面の壁には、五十インチ程度の大型モニターを六枚並べたディスプレイ。それに正対してずらりと並んだスチール机には、小型のデスクトップとモニター。
しかし、画面には何も映っていなかったし、誰の姿もなかった。
僕は壁時計に目をやってから質問した。
「この時間、全員、昼飯?」
「ピンポーン。二階に社員食堂があるんだ。お前をみんなに紹介してやるよ」