みんなの憧れ迎賓館
「大ニュース」Pは興奮した声で言った。「迎賓館に招待されることになったぞ」
それが赤坂の迎賓館ではないことは、聞かなくても分かった。たぶん有名なレストランのことを言っているのだろう。
でも、重要な質問を中断させられた僕にしてみれば、ありがたくも何ともなかった。しかも常識外れの夜明け前の電話。これが日常的なことだとすると、電話中でも姿勢を正していたPが可哀相。これは厳密に言えば、パワーハラスメント。
僕は意識して、不機嫌な声でジョークを言った。
「鹿児島にも、そんな名前の結婚式場があるけど、俺にも列席しろって言うのか?」
しかしPは、それを無視して「シャワーを浴びるんだったら、お前から先に使え」と言った。
「シャワー?」
「時間がないんだ。あと二十分で迎えが来る。俺から先に済まそうか」
何をあわてているんだ、こいつ。
時刻を確認するために、時計を探したが見当たらなかった。
でも、大丈夫。僕は、視線をゆっくりと窓に向けた。思ったとおりだった。
Pに向きなおった僕は「あのさ」と言った。「お前、さっき、すぐ参ります、って言っていたよな」
Pはしばらくしてから「ああ、言ったよ」と答えた。「それが何か?」
ぽかんとした顔のPを眺めているうちに、祖母の言葉を思い出した。
人はみんな、老いさらばえる。老いは、若いうちから始まっている。
今はハツラツとしているこいつも、いつかは、ヨボヨボのジジイになるんだな。しみじみと、そう感じた。
何を寝ぼけているんだ、お前らしくもないぞ。
とカツを入れてやっても良かったのだが、ここはやはり、彼の自覚を促す方がいい。
「落ち着けよ、おい」僕は優しい声で言った。「外を見てみろ。お天道さまは、まだ顔を出していないぞ」
Pは、少し困ったような表情を浮かべながら「お天道さま?」とつぶやいた。
今の指摘で、自分が寝ぼけていたことに気づいたようだな。
と思ったのだが、違った。
「このデジタル時代に、太陽を時計代わりに使っている奴がいたなんて知らなかったよ」Pは、にやっと笑ってから付けくわえた。「カーテンの開け閉めが面倒くさいから、すりガラスにしているんだ。それに、北向きの窓からは、永遠に太陽は拝めない。ついでに言うと、窓の向こうは隣のマンションの壁なんだ」
まさかと思い、テレビをつけてみると、すでに正午は過ぎていた。
ぴったり二十分後にチャイムが鳴った。
「お迎えに上がりました」
ドアの前に立っていたのは、目のするどい、白いスーツ姿の若い男。がっちりとした体つきは、ボディーガードを思わせる。
「わるいな、いつも」
Pが優しげに肩を叩くと、彼は恐縮したように頭を掻いた。「ご一緒できるだけでも幸せです」
「何を言っている。お前たちのおかげで、今の俺があるんだ」
統率力の欠片もなかったPしか知らない僕にとって、そのセリフは、ショックだった。十年という月日の流れの中で、自分だけが取り残されていることを実感した瞬間でもあった。
マンションのエントランスを出たところで、機嫌の良かったPが舌打ちをした。
「何だよ、おい。俺の場合、タントと決まっているだろう」
目の前にあったのは、昨日と同じ車だった。通行人の何人かが、羨望の目を向けながら通り過ぎていった。
「申し訳ありません」
若者が腰を折って謝ると、Pは僕に顔を向けた。
「あ、そうか」それから苦笑いを浮かべた。「今日は、このお客様を迎えに来たんだよな、お前たち」
「はい」男は顔を上げた。「会長から、この車でお迎えに行くようにと言われましたので」
ロールスロイスは、今日も道路脇に駐車していた。でも運転席に人が居た。やはり白いスーツを着た体格の良い若者だった。
僕とPは、透明なガラスで仕切られた後部座席。車が動き出したのを確認してから、小声で訊いてみた。
「お前に部下は何人いるんだ」
「秘書課に二人。別部隊に三人。前の二人は秘書課に所属している」
Pが普通の声で答えたので、僕もそれに倣った。
「秘書課があの体格だと、別部隊はボブ・サップみたいな男が三人ってこと?」
冗談半分、本気半分だった。
「いや」Pは笑った。「その逆」
僕は少し考えてから言った。
「つまり、隠密行動をとっている忍者みたいな男たちなんだな」
「いいな、いいな」Pは無邪気な笑いを見せた。「007とか、諜報部員と言わないところが、好きだなあ」そのあとPは、何か思い出したような表情を浮かべた。「迎賓館は、自社ビルの中。会長を知る人間の殆どは、迎賓館に招待されたいと願っている。うちの本社ビルを知らない業者は、もぐりと言われている」そこで一息つくと、クイズ番組の司会者のような口調になった。
「以上のことから、本社ビルと、迎賓館の姿を、イメージしてみてください」




