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記憶から抜け落ちていたもの

 僕は三日続きの夢から始まった一連の出来事を、順を追って話した。

 ソファにもたれた姿勢で話をしたのは、今日の場合、その方が気持ちが伝わると思ったからだ。もちろんPも、僕に合わせてくれた。

 羽田に着いた場面に差しかかったとき、メモを取りながら聞いていたPが「いくつか質問があるんだけど」と言った。

 本音を言うと、それより先に、トリエステの件を訊きたかった。

 今の話の中で、トリエステという言葉を、何度口にしたか分からない。にもかかわらず、Pは何の反応も見せなかった。

 さっきのあの反応は、何だったんだ。俺の話を聞いていたんだろうな。目を開けたまま眠っていたんじゃないよな。

 そう言いたかった。しかし、話の流れからすると、彼の質問に答える方が先。

「ああ、いいよ。何でもどうぞ」

 僕は、Pが持ってきてくれたコーラのキャップを開けた。

「じゃあ、まず最初に」Pは、システム手帳を見ながら言った。「相性の悪い自動販売機の場面からいこうか」

 あやうく吹き出しそうになった。

「何だよ、その相性の悪い自動販売機ってやつは」

「気にしなくてもいいよ」Pは小さく笑った。「俺が勝手に付けた項目なんだ。こうしないと頭の整理が付かないんだ」

「了解。人には、それぞれのやり方があるからな」僕は笑いながらつづけた。「で、その自動販売機が、どうしたっていうんだ」

「そのときの、太陽の位置を覚えているか?」

 突然出てきた太陽という言葉に、戸惑いを覚えた。でもこんなとき。彼が口にする言葉には、何らかの意味が隠されていることを知っている。

 たぶん、これは彼の映像センスからきている。

 彼の口癖は「光次第で、被写体は激変する」だった。順光もそうだが、逆光の使い方が飛び抜けて上手かった。

 ふわりとした枯れススキの穂に、ひっそり身を寄せている羽の破れたオニヤンマ。それを夕焼けの逆光の中に、シルエットとしてくっきりと浮かび上がらせた映像は、今も僕の網膜に焼き付いている。

 でも、どうして僕の話に光が必要なのだろう。太陽の位置という要素を加えることで、話の中に紛れていた何かが、姿を現すのだろうか。

 そんなことを考えながら、もう一度記憶をたぐった。

 もちろん覚えていた。祈祷師のお爺さんのことを思い出したのが、あの自販機の前だった。雲一つなかった。空に浮かんでいたのは、太陽だけだった。

「俺の真正面。午前中だったけど、ずいぶん高いところにあった。大隅半島の上空。空気が澄んでいたから、海の向こうまで見渡せた」

「なるほど」Pは手帳に何やら書き込んだ。「じゃあ、次。美し過ぎる郷土史家がいたコンビニ」

 ちょうどコーラを口に含んだ時だった。しかし、それを吹き出すことはなかった。コーラを味わいながら飲みこんだ僕は、彼の目を見つめながら言った。

「確かにそんな項目にすれば、記憶に残りそうだな。お前の物覚えが良かった理由がわかったよ」

「やめてくれよ」くすぐったそうな声で言ったPは、ボールペンの尻で自分の額を軽く叩いた。「俺は褒められると、駄目になるタイプなんだ」


『本編とは関係ないが、話を分かりやすくするために言っておきたいことがある。

 この章の第一話『記憶が消える前に』の後の方に、

『実を言うと、腹式七回シネマ館の第1章【相性の悪い自動販売機】から【暗闇で鳴り響く音】までのサブタイトルが、僕にとって、記憶を呼び起こすためのキーワードだったのだ』

 とあるが、キーワードは自分で考えたものではない。この物語のサブタイトルの全ては、Pが付けていた項目を、そのまま使用させてもらっているのだ』


「分かっているよ。俺も、そこのところだけは同じだから」僕はそう言ってから続けた。「コンビニの時も、太陽は同じようなところにあったと思う。だって、自販機からそんなに離れていなかったから」

「お婆さんと会ったとき? あのときは、もう少し高い位置にあった。いや、自分で見たわけじゃない。自販機の一時間くらい後だったから、当然そうなるだろう。それにお婆さんは、お天道さまが眩しすぎると言っていた。だから色の黒いサングラスをかけていたんだよ。はっきりしていることが、一つある。太陽の位置は、俺の背中。理由? だって俺は、眩しくもなんともなかったからさ」

「なるほど」大きくうなずいたPは、意味ありげな笑みを浮かべた。「じゃあ、お前には、自分の影がはっきり見えていたわけだ」

 理屈から言えば、そうなる。影が前なら、太陽は後ろ。太陽が前なら、影は後ろ。太陽が眩しければ眩しいほど、影は濃くなる。

 しかし、Pの問いかけに「イエス」とは言えない事情があった。

 自分の影につまずいて、転んで骨折する恐れがあるのならともかく、これまで自分の影など意識したことがなかったからだ。

 何でそんな意味不明な質問をするんだ、

 と言いたかったが、ふざけているようには見えなかった。真面目に答えるしかない。

「たぶん、影は見えていたと思う。でも、お婆さんを見ていたから、覚えていない」

 その言葉を、手帳に書きとめたPは、しばらくノートを見つめていたが、やがて小さくうなずきながら顔を上げた。

「これで、お婆さんの家に上がるまでの経緯は、分かった」

 と、くれば、次は当然、超ハイテクわらぶき家。あるいは、パソピアに関する質問だろうと、誰もが思うだろう。だがそうではなかった。

「じゃあ、そろそろ寝よう」

 Pはシステム手帳を閉じると、足元のタオルケットを引っ張り上げた。その動作は、冗談でやっているようには見えなかった。

「ちょっと待てよ」

 僕はタオルケットに手をかけた。

 どう考えても、一番重要な部分は、お婆さんとの出会い。あれがなければ、トリエステも、森伊蔵酒造への電話予約もなかった。一番肝心なところを抜かす理由が分からなかった。

 そのことを口にすると、Pは「だってさ」と言って、手帳に目をやり、赤ボールペンで印を付けた項目のひとつを指差した。

「お前の話の中に『相性の悪い自動販売機との再会。店内監視カメラ。聞いて驚く意外な事実。は出てきたけど、その前の『恋のアドバイス』が出てこなかったからさ」

 恋のアドバイス?

 しばらく考えてみたが、その言葉から思い浮かぶものは何もなかった。これはPの勘違い。

「お前に、女のことで相談したことなんて、一度もないぞ」

 しかし、Pは落ち着いた声で答えた。

「お前の記憶では、そうなっているみたいだな。でも、事実はそうじゃない」

「どうしてお前に、俺の記憶のことが分かるんだ」

 僕が身を乗り出すと、Pはソファの上で、姿勢を正した。

「他人だからこそ、分かることがあるんだ。お前が二回目の検証に出たのは、俺が、鹿児島は門前町ではなく、城下町だと指摘したからだ」

「え?」

 と言ったきり、次の言葉が出てこなかった。そう言われれば、そのような会話があったような気がしてきたからだ。たぶん、僕の目に戸惑いの色が浮かんだのだろう。

「この際だから、はっきり言うよ」Pは僕を見据えると、言い聞かせるような口調で言った。「お前の記憶の中から、抜け落ちているのは、一つや二つじゃない」


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