ICレコーダー、スイッチ、オン
「ああ、あれな」僕は頭を掻く真似をした。「あれは、単なる思いつき。ああでも言わなきゃ、俺のことを、大金持ちのお坊ちゃまだと信じ込んでしまいそうだったからな」
と言ったものの、ウソは簡単に見破られると思った。なぜなら、彼は僕の性格を僕以上に知っているからだ。彼に言わせると、僕はどんなときでも、本当のことしか言わないらしい。
バレバレだぞ。
Pは最初にそう言う。そして、こう続ける。
お前が今でも会社勤めをしているのなら、無職とか、派遣社員とか、時給とか、そんな七面倒くさい言葉は並べない。勤務先の電話番号と、手取りの給料を言って、ウソだと思うのなら、電話をかけて確かめてくださいと言う。違うか?
そんな流れになったら、正直に話す。これまでずっと黙っていたけど、仕事を探す気にもなれないんだ、と言う。
しかし、Pの反応は意外なものだった。しばらく僕の目を見つめた後、何も言わずに、視線を逸らしたのだ。
でも、怒っている様子はなかった。落胆の表情も見えなかった。どちらかというと、嬉しさを押し隠しているように見えた。
Pは、二本目の缶ビールを、時間をかけて美味そうに飲み干した。そして、しずかに目を閉じると、ソファにもたれて、頭の後ろで両手を組んだ。
彼がこの姿勢を取ると、しばらく何の反応も返ってこない。さっきテレビをつけたのは、こんなときのため。時間つぶしに眺めるため。だから思考の邪魔をしないように音を消しておいたのだ。
50インチの画面に映っていたのは、豪雨被害を受けた被災地らしき映像。十年ぶりの再会を果たした僕とPに相応しい番組ではなさそうだが、十年前のルールに、チャンネルは朝まで変えないというものもあった。
僕は柿の種が入ったタッパーを腹の上に置いて、ピーナツだけを口に入れながら、テレビを眺めた。
やがて画面はスタジオに切り替わり、緊張した表情の司会者と、数人のゲストが映しだされた。音声は聞こえないが、テロップによると、異常気象に関する特集番組らしい。
僕がコーラを飲み終え、ジンジャーエールを半分くらい飲むまでの5分ぐらいの間に、被災地の現状と、災害前の風景が何度か繰り返された。
「最近、変わった事があったんじゃないか?」
Pがそう言ったのは、そんな映像に飽きたころだった。普段の僕なら、このような言い方をされると、訊きたいことがあるのなら、はっきり言えよ、ぐらいのことは言う。でも、その話をするきっかけを探していた僕は、何も考えずに飛びついた。
「あるよ、ある。最近、変なことばかり続いているんだ」
Pは興味深そうな表情を浮かべた。
「例えば?」
「まず俺が、今日ここにいること」
Pは、ニッと笑った。
「つまり、お前にとって、俺の部屋は変なところってことなんだな」
冗談だというのは分かっていた。でも僕は、あわてて手を振った。
「そう言う意味じゃない。ここに来るまでの過程が、変なことの連続だったんだ。直接的には森伊蔵のおかげ。でも、三日続きの夢を見なければ、森伊蔵には繋がらなかった」
三日続きの夢に反応すると思った僕は、そこで言葉を切った。しかし彼は何も言わなかったので、そのまま続けた。
「でも、その夢の検証に出かけていなければ、お婆さんと出会っていなかった。トリエステも現れなかった。森伊蔵に予約電話もしなかった」
「トリエステだって?」
文字どおり飛び上がったPは、その拍子にソファから滑り落ちた。そしてそのままの格好でしばらく床の一点を見つめていたが、やがてゆっくりと顔を上げた。
「今、トリエステと言ったよな」
声には落ち着きが戻っていた。念を押すような口調だった。
「ああ、言ったよ」
僕の答を確認した彼は、部屋の隅にあるパソコンデスクまで歩いて行った。
疑問が湧いた。
どう考えても、トリエステを知っているようにしかみえない。しかし、あの話は誰にもしていない。いくら優秀な調査員でも、僕の頭の中まで調べることはできない。
「どうして、トリエステを知っているんだ」
アタッシュケースを抱えて戻ってきたPに訊いた。しかし彼はその問いかけを無視して、アタッシュケースを開けた。
「これに録音してもいいか?」
Pが取りだしたのは、ICレコーダー。
考えるまでもなく、彼の提案はありがたかった。会長の招待を受けたのは、Pに直接その話をするため。これで、薄れそうになっている記憶を残せる。トリエステの件を訊くのは、話し終えたときでいい。
「もちろんだよ」
「よし、よし」
嬉しそうな表情でICレコーダーをオンにしたPの表情が少し曇った。バッテリー残量が少ないのかと思ったが、別の理由だった。
「どうせ今回も、途切れ途切れなんだろうな」
頭に、どうせが付く意味も、何が途切れ途切れなのかも分からなかった。しかし質問するより、違うと言った方が早い。
「いや、そんなことはない。複雑に絡み合っているが、間違いなく一本の線で結ばれている」
するとPは、小さなガッツポーズをして「やった!」と言った。
十年前もこんなかたちで喜びを現すことがあった。アタックに失敗した女の子から電話がきたときなどだ。しかし、この状況下においては、不自然極まりない。
どうしてこんなときに?
と訊こうとしたが、できなかった。Pが自信満々に「当ててやるよ」と言いだしたからだ。
「三日続きの夢は、先月末の豪雨があった頃だろう」
「あのさあ」僕はテレビに目をやった。「日本は、結構広いんだぞ。俺が住んでるのは鹿児島なんだ。今年の鹿児島は豪雨どころか、四月からこっち、一滴の雨も降っていないんだ。観光客は喜ぶだろうけど、農家にとっては死活問題なんだ」
強い口調で言ったつもりはなかった。でもPは、僕の気迫に怖じけ付いたような表情を浮かべた。それから彼は「でもよ」と反論するような声で言ったかと思うと、急に思い直したような声で「そういえば、この映像は、お前の住んでいる所じゃないよな」と言って、テレビの主電源を切った。
もちろんその時の僕は、テレビに映っていたのが、数週間前の鹿児島。それも、あのお婆さんの家があった付近の映像だとは夢にも思っていなかった。




