良い方法がありまっせ
それから数時間後。
「まあ、そんなことがあって、今こうして、にいちゃんと話をしとるちゅうわけや」と言って話を終えたおじさんは、長い息を吐いてから、にやっと笑った。
「全部、わしの作り話やと思って、聞いとったんやろ」
意外な言葉に驚いた。
どや、面白いやろ、わしの人生。
僕は、そんな言葉を予想していたのだ。
さっきまで僕のことなど気にもしない口調で、自信満々に喋っていたのに、どうしたのだろう。
おじさんの視線を受け止めたままで考えているうちに、何となくだが、その理由が分かったような気がした。
たぶん、僕が相槌を入れるのも忘れて聞き入っていたからだろう。
そう、僕は、ここ数週間の間に、自分に起きた出来事と照らし合わせながら、話を聞いていたのだ。
僕の顔に表情がなかったのかもしれない。それがおじさんの目には、気乗りしない顔に映ったのだろう。
「いえ」僕は首を振った。そして笑顔を浮かべた。「今まで聞いた中で、一番面白い話でした」
これは本当だった。ミスダツの話も面白いが、それとは次元の違う面白さがあった。
「特に、駅の階段で転んだ瞬間の話は最高でした。おじさんを助けてくれた人が、パッと消えたあと、鹿児島弁訛りの関西弁でしか話せなくなったところも、そうです」
「ほんまに、そう思うか?」
おじさんは、疑ったような声で言った。
「もちろんです。この手の話は、実体験がないと語れないと思います」
それでもおじさんは、探るような目で僕を見た。
「ほんまか、にいちゃん。ほんまに、信じてくれたんか?」
「はい」
即座に答えると、おじさんは本当に嬉しそうな声で「嬉しいなあ」言って、ちらりとおばちゃんの方を見た。そして、すねたような声で言った。
「これまで、わしの話を信じてくれた人間は、誰もおらん」
「そりゃそうよ」おばちゃんが笑いながら言った。「でも、今、分かった。あんたの話は、全部本当だったってことが」
「おおきに、にいちゃん。よめはんが認めてくれたのも、にいちゃんのおかげや。ついでに言うと、最後まで話を聞いてくれたのは、にいちゃんが初めてなんや」
僕に握手を求めてきたおじさんには、どこか少年の面影が残っているような感じがした。
この人に、僕の体験話を聞いてもらおうか。
と思ったが、窓の向こうが暗くなっていることに気がついた。
「ちょっと、失礼します」
携帯で時刻を確認してみると、店に着いてから七時間以上が経過していた。
「あ、もうこんな」僕は、あわてて立ち上がった。「貴重な話をありがとうございました。それに、晩ご飯まで頂いてしまって」
「何言っているの」おばちゃんが、話を遮った。「お礼を言うのは、こっちの方よ。あんたが来てくれたから、看板が上がったのよ。ねえあんた」
話を振られたおじさんは、大げさにうなずいた。
「ほんまや。わし一人じゃ、何もでけへんかったで」
「もう飽きちゃったかもしれないけど、これ、おみやげ」
おばちゃんは、カウンターの上におでんが入った発泡スチロールの容器を二つ置いた。
「すみませんね」僕は頭を下げた。「開店の日には必ず伺います。7人の枠の中に、僕も入れてくださいね」
「あなたの場合は、いつでもオーケー」おばちゃんは右手でオーケーマークを作ったあと、メモ用紙を差し出した。「忘れるといけないから、明日の朝一番に郵便局に行ったほうがいいわよ」
「なんや、それ?」
おばちゃんから受け取った紙を、おじさんに見せた。
「予約番号です。森伊蔵に当たったらしいんです」
「そりゃ、おめでとさん」おじさんは人差し指を丸めて、お猪口で酒を飲む真似をした。「にいちゃんは、いける口か?」
「残念ながら、一滴も」
「なんや、それ」とたんに、がっかりしたような顔になったおじさんは、素朴な質問をしてきた。
「飲めん男が、なんでまた」
ここでトリエステの話をしようかと思ったが、やめた。
幾重にも重なった複雑な話を、うまく伝えることができそうになかったからだ。
「友達にプレゼントしようと思ったんです」
「ええ心がけや」そこでおじさんは、僕をまじまじと見た。「知っとるか? 森伊蔵が届くのは、まだまだ先のことやで」
「そうらしいですね」僕はインターネットで調べたことを口にした。「二ヶ月くらいかかるらしいですね」
しばらく僕の顔を眺めていたおじさんが、にやりと笑った。
「もっと早よう届けばいいのに、と思わへんか?」