表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
102/106

残り少ない時間の中で

 どうして『美しすぎる郷土史家』にハートマークがないのだろう。

 単なる付け忘れだろうか。

 Pがコーヒーを淹れている間に、全ての項目に目を通してみた。

 しかし、何度見返しても、マークがついている項目は『トリエステ浮上』と『美しい脚の持ち主』の二つだけだった。

 となると、この二つには、何か共通するものがあるはず。

 美しい脚の持ち主と言えば、あのマドンナのこと。マドンナは実在の人間。でも、トリエステは、僕の妄想が勝手に作り上げたキャラクター。共通点らしきものは何もない。

「これを飲めば、眠気が覚めるぞ」

 Pが、淹れたてのコーヒーをテーブルに置いたとき、謎が解けたような気がした。

 単なる言い間違え。

 Pの目は、すこし充血していた。考えてみれば、僕たちは昨日も今日も一睡もしていない。それにPの仕事は、夜が遅いと言っていた。さすがの彼も、疲れの溜まりすぎ。

 俺の、と言うべきところを、お前の、と言ってしまったのだろう。

 とそこで、あることを思い出した。

 映像を学んでいた頃、Pとマドンナは、常に反対意見を言い合っていた。いわゆる、犬猿の仲。でも、お互いに相手を認めていることは、他の誰もが知っていた。

 卒業以来、マドンナのことは一言も言わないが、彼女に好意を持っているのかもしれない。

 そう言えば、マドンナもトリエステも、自分の言いたいことを、ズケズケ言うわがままタイプ。ひょっとすると、Pは、このあとマドンナの話を始めるつもりなんじゃないだろうか、でも、彼は、自分の言い間違いに気づいていないようだ。だとすると、僕の方からその話を切り出した方が、話はスムーズに進む。

 そんな結論に達したところで、急に時刻が気になった。

「今、何時?」

 Pは、あくび混じりの声で「もうすぐ、夜が明ける」と答えた。

「え?」

 長話をした覚えはなかったが、ノートパソコンで確認すると、Pの言うとおり、もう少しで、午前五時というところだった。

 だったら、Pの理想の女性像なんて、どうでもいい。予定通りにいけば、あと数時間で羽田を発たなければならない。このコーヒーを飲み終えたら、帰る準備に取りかかろう。

 そんなことを考えながら、カップに口を付けたところで、気が変わった。舌がヤケドしそうな熱いコーヒーだったからだ。

「お前さあ」

 平気な顔で、コーヒーを啜っていたPが顔を上げた。「何?」

「眠気を取るだけだったら、ライターか何かで、俺の舌を焼いてくれればよかったんだよ」

 冗談が通じたらしく、Pはハハハと大きな声で笑った。

 僕は、その笑顔を確認してから続けた。

「さっきのアレ、お前の好みだったんだよな」

「好み?」

「俺が好きなのは、おとなしい子なんだ。コンビニにいた女の子のようなタイプ」

 Pは眠たそうな目を開いた。「コンビニの女の子?」

「さっき、お前、言ったよな。俺の理想の女は、マドンナとトリエステだって」

「ああ、言ったよ」

 どうやら、Pは、まだ自分の言い間違いに気づいていない。そう勘違いした僕は、少し間を置いてから、ゆっくりとした声で言った。

「あれは、俺の、じゃなくって、お前の、ってことだったんだよな?」

 僕の言い方がまずかったのか、Pは首を傾げた。そして、しばらくしてから、真顔になって「いや、違う」と言った。「お前の理想の女が、あの二人だと言ったんだ」

 人を見る目が、人一倍鋭いPから、そんな言葉が返ってきたのはショックだった。僕は、人の特技は、時間経過と共に、更に磨かれていくと信じていたからだ。

 しかし、ここで、ああ、そうですかと、意に沿わない言葉で終わらすわけにはいかない。

「残念でした」と僕は言った。「俺は、あの手の女は大の苦手なんだ。見当違いもいいところだぞ」

「あらら」呆れたような顔になったPは、コーヒーカップを置いた。そして念を押すような声で「お前は、俺の性格を知っているよな」と言った。

 僕は小さくうなずいた。「たぶん」

「他人に干渉されるのが大嫌いだから、他人にも干渉しない」

 それは僕も同じだ。僕は少しぬるくなったコーヒーカップに口を近づけた。「で?」

「そんな男が言うくらいだから、きっと大事なことなんだろうな、と思うのが普通なんじゃないかな?」

 言われてみれば、そうかもしれない。答は別にして、質問だけはしてみよう。

「物静かな女の子を嫁さんにしたら、この俺に何が起こるんだ?」

「お前の良さが死ぬのさ」即答したPは、急に思い出したように、話を変えた。「お前、本当に今日帰るのか?」

 僕の良さが何なのか訊きたかったが、恰好を付けて、Pの質問に答えた。「お前も知っているだろうけど、俺は一度言いだしたら、絶対に変えない性格なんだ」

「分かった」Pはさっと起ち上がった。「この続きは、サウナでしようぜ」

 僕もそう思っていたところだった。東京までまったくの手ぶらでやって来た僕は、昨日もサウナで肌着を買って着替えたのだ。

「じゃあ、この話もだな」僕が、一番最後に書き込んである項目を指差すと、Pはニヤリと笑った。

「もちろんだよ、その『無口な、でしゃばり兄ちゃん』のおかげで、お前と俺は再会できたわけだからな」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ