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この作品では、AIを補助的に利用しています。
具体的には、固有名詞(人名・地名等)の案出し、人物の髪色・瞳の色の設定案の作成、誤字・脱字・表記ゆれのチェックを行っています。
聖ラウレンティウス暦五三〇年。
後に「名君」と称されるレオンハルト一世の治世の第一歩は、婚約破棄の宣言であったと伝えられる。
──『エーデルガルト王国年代記』第七巻より
◇
シャンデリアの燭台が、大広間を柔らかく照らしていた。
王立学園の卒業記念夜会。楽団の弦の調べが軽やかに響き、令嬢たちの絹のドレスは歩くたびにさらさらと囁くように鳴る。
わたくし、エレナ・フォン・リンデンタールは、華やかな人混みの少し外れに佇んでいた。
色とりどりの布地が視界を埋め尽くす中、わたくしのドレスはシンプルな白。装飾品も小さなイヤリング一組だけ。けれども肩に羽織ったショールは、リンデンタール侯爵領随一と謳われる織り手による、この世に二枚とない薄絹だ。光を受けると糸目の凹凸に沿って光沢が波打つ。分かる者にしか分からない、そんな一品だった。
(派手さはないけれど、目利きが見れば思わず息をのむ代物ね)
正直なところ、王立学園のパーティー程度の夜会に使うには、やや不相応な品だ。けれども母が今夜のためにと、衣裳部屋の奥から出してきたのだ。母はときどき、妙な勘を働かせる。それを知っているから、勧められるがままショールを受け取って、予定していたドレスも変更した。ドレスにショールを合わせたのではなく、ショールにドレスを合わせた。
卒業記念夜会。名目としては、そういうことになっている。
けれどもわたくしにとっての意味は、もっとずっと重い。これはわたくしの十年に及ぶ王太子妃教育の、事実上の卒業式でもあるのだから。
八歳で王太子妃に内定し、十歳で正式に婚約した。内定からの十年、未来の王妃として身につけるべきありとあらゆる作法を、わたくしは身の内に叩き込んできた。歩き方、座り方、挨拶の返し方、そして表情のつくり方。そのどれもが、王太子レオンハルト殿下の隣に立つためのものだった。
けれど、完璧な令嬢と評される陰で、こう囁かれていることも知っていた。
『王太子殿下が婚約者に心からの愛を告げたことは、一度もない』
事実だった。けれどわたくしがそれを不満に思ったことも、一度もない。
貴き者の婚姻に、恋愛感情など要らない。求められるのは務め。わたくしは十年かけて、その務めを全うする覚悟と能力を培ってきた。
(お互いに情熱はなくとも、誠意と敬意はあった。……そう信じていたわ)
視線を大広間の入口へ向ける。
レオンハルト殿下はまだ姿を見せない。
妙な話だった。式次第では、とうに開会の挨拶をなさっている頃合いだ。学園長は落ち着きなく、何度も広間の扉に視線を送っている。
(……何か、想定外の事態が起こっているようね)
わたくしの胸に、小さな波紋が静かに広がっていった。
◇
弦楽の音が、ふつりと途切れた。
入口の重い扉が両側から開かれ、レオンハルト殿下がようやく姿を現した。
その半歩後ろに、薄い栗色の髪を持つ令嬢が一人、従っている。俯きがちで、肩を小さく震わせていた。
(ミア・ゾンマーフェルト男爵令嬢……)
わたくしと同じ生徒会で書記を務めていた、控えめで真面目な令嬢である。彼女は俯いたまま、胸元で両手を固く握りしめていた。何かに縋るように――いや、恐れるように身を縮めている。
殿下は広間の中央まで進み、そこで足を止めた。
殿下がミア嬢に手を差し伸べることはない。腰にも肩にも、指一本触れない。半歩下がった位置で、ミア嬢は自分の足で立っている。
(なんとも慎ましやかなエスコートですこと)
わたくしは瞼を伏せた。心が乱れると瞳の菫色が濃くなるのを、自分でもよく承知している。伏せておけば、誰もその色を覗うことはできない。
殿下が口を開いた。いつも通り、静かな声だった。
「エレナ・フォン・リンデンタール侯爵令嬢」
周囲の人々の呼吸が、そこで一斉に止まった。
「君との婚約を、破棄する」




