漂着者と、断絶の夜
「ミッション完了。帰還する」
それが、俺の『前世』の最後の記憶だった。
闇の中で眉間を撃ち抜かれ、冷たいコンクリートへ倒れ込んだ時の感触。そして無機質な電子音と共に、俺の魂は暗黒の深海へと沈んでいったはずだった。
──だが、目覚めた時、世界は真珠色の光に満ちていた。
滑らかな曲線を描く、楕円形の金属カプセル。
現代のどんな航空宇宙産業でも再現不可能な超古代の生体量子ストレージ──コードネーム【M.O.M.O.(Mind-Over-Matter Origin)】。
その内部で、俺の記憶と精神はナノマシンによって再構成され、ひとりの赤ん坊の肉体として再受肉を果たした。
カプセルが流着したのは、血と硝煙の匂いが染みつく、和風ダークファンタジーの凄惨な世界。
人間が妖怪や『鬼』と呼ばれる異形の生命体に狩られ、家畜のように喰らわれる暗黒時代だった。
川辺で俺を拾い上げたのは、山奥で細々と暮らす身寄りのない老夫婦だった。
「おお……なんと綺麗な赤子じゃ……。桃のような丸い器から出てきたで、桃太郎……モモタロウと呼ぼうかねぇ」
おばあさんが皺だらけの手で撫でてくれた温もり。
おじいさんが山で薪を拾い、不器用に作った木彫りの玩具。
前世で国家の『影』として感情を殺し、あらゆる標的の命を奪い続けてきた俺にとって、その貧しくも穏やかな生活は、あまりにも異質で──そして、どこか酷く無駄なものに思えた。
「無意味だ。この世界において、無力な善意は死と同義だというのに」
俺は前世の記憶と、身体に潜伏するナノマシンの存在を隠したまま、静かに牙を研ぎ続けていた。
いずれ訪れる『戦う日』のために。
──そして、その夜が来た。
「ヒヒヒッ! 人間の肉の匂いだ! 老いぼれの干し肉でも、炙れば食えるだろうよ!」
静寂を破る破砕音。
茅葺き屋根の粗末な家が、内側から弾け飛んだ。
現れたのは、巨大な猪の胴体に数本の腕を生やした三つ目の異形──『妖怪・魍魎』。
その鋭い爪が一閃し、床に倒れ込んだおじいさんの胸肉を一瞬で抉り飛ばす。
「ひっ……! 頼む、タロウだけは……タロウだけは助けてくれぇ!」
おばあさんが必死に俺を庇おうとするが、妖怪の太い腕が容赦なく振り下ろされた。
鈍い骨折音。吐血。そして、沈黙。
ほんの数十秒前まで存在していた「家族」が、一瞬で物言わない肉塊へと成り下がった。
妖怪は返り血を舐めとりながら、部屋の隅に立つ俺──15歳ほどに成長した青年の肉体を見下ろし、邪悪な笑みを深める。
「次は貴様だ小僧。恐怖で血が滾った肉が一番美味い……!」
目の前で繰り広げられた凄惨な光景。
普通のアニマ(人間)ならば狂乱し、命乞いをする場面だろう。
だが、俺の心拍数は「毎分58」──完全に平常値を維持していた。
前世で叩き込まれたCQB(閉所戦闘)の交戦規定が、脳内で静かに起動する。
敵個体:1。
間合い:3.2メートル。
障害物:倒壊した鴨居、老人の死体。
判定:脅威度・低。駆逐可能。
「……ミッションパラメータを再定義する」
俺は低く呟いた。
目の前で転がる老夫婦の死体を見下ろす。胸の奥で、わずかに生じた雑音──それを、俺は冷徹に戦術思考へと変換した。
『この世界から、鬼と妖怪という害獣を完全駆逐する』
それが、俺の新しいミッションだ。
俺の思考に反応し、脊髄の奥に眠っていた古代ナノマシンユニット『M.O.M.O.』が求道的に駆動を始める。
網膜の端で、緋色の戦闘UIが淡く明滅した。
【M.O.M.O. System: Online.】
【Bio-Nanomachines: Unlocked. Output: 15%.】
「なにをブツブツと……死ねぇっ!」
妖怪が腕を振り上げ、目にも留まらぬ速度で襲いかかってくる。
──遅い。
前世のCQC(近接格闘術)とナノマシンによる反射神経の底上げ。俺の視界の中で、妖怪の爪はまるで止まっているかのように見えた。
スッと半歩踏み込み、爪の軌道を紙一重でかわす。
そのまま相手の懐へ潜り込む。
「なっ──!?」
驚愕する妖怪の喉元へ、手刀を叩き込む。
ただの手刀ではない。ナノマシンによって硬化・超振動させた指先が、妖怪の頑丈な皮膚を容易く貫通し、気管と頸動脈を正確に破砕した。
ゴボッと、妖怪の口から黒い血が噴き出す。
「ガハッ……!? な、なに、を……」
致命傷を負い、よろめく妖怪。
俺は一切の表情を変えず、壁に掛けられていた薪割り用の小太刀を交差させるように引き抜いた。
逆手持ち。
一瞬の閃光。
──ザシュッ。
首筋の「確実な死点」を寸分の狂いもなく水平に断ち切る。
ポーンと跳ね上がった三つ目の頭部が床を転がり、巨体がどさりと崩れ落ちた。
戦闘時間:3.8秒。
弾薬・エネルギー消費:最小。
部屋の中に、血の匂いと静寂だけが残された。
俺は小太刀についた黒い血を、妖怪の死体で冷淡に拭い取り、鞘に収める。
そして、冷たくなった老夫婦の遺体の前で静かに膝をついた。
「おじいさん、おばあさん。アンタたちがくれたこの命と時間、無駄にはしない」
悲しみも、憤怒もない。あるのは、計算し尽くされた冷酷な決意だけだ。
単身での鬼ヶ島(敵本拠地)攻略の成功率は──ゼロ。
俺の能力だけでは、この世界を支配する『鬼王』の首には届かない。
「必要なのは、確実な死を共にするプロフェッショナル……『お供』だ」
俺は己の掌を小太刀で切り裂いた。
滴り落ちる朱い血の中に、銀色の光を放つ微小なナノマシン群が蠢く。
【K.I.B.I.プロトコル(吉備連魂の儀)】。
自らの魂を共有し、死を前提とした同期リンクを結ぶための生体量子セル──『きびだんご』の生成システム。俺と一緒に地獄へ行き、この世界の理を打ち破る三人を集める。
月明かりの下、血塗れの家屋を背に、俺は足を踏み出した。
無慈悲なる覇道が始まった。




