088_分からないなら
分からないなら分かるところまで戻って思考を組み立てればよいのではという話ではあるんだけれどもね、徹頭徹尾分からないのであるなら、じゃあどこまで戻れば良いのよという話なんよなぁ。
それこそ世界が最初に作られたところまで戻らなければならないんじゃないかという話であるけれども、そもそもの、引っかかりは、どうやって世界は作られたのかという話であり、どうやったら世界を作る気になれるのか、どの動機は何であるのかということなんじゃないかな?
いやそれよりも自分の存在がどうやって始まったのかといところから思考を初めてみた方が良いのか、このどこからどうやっていつにという話であるけれども、これは極めて特定することが難しい。
なぜならば時間も空間も自由にできるそこに囚われない存在であるのであるから、実のところ先も後もそこもどこもないわけでありまして、いつの間にか存在していたということにしかならないし、そしてその存在の開始時点を決定することができないわけなんだよな。
分からないところが分からないんだよなぁ、この場合は、問題が言語化されないということではなく、物理的にその瞬間を特定することができないんじゃないかという意味で分からないわけであるのか?
自分で自分のことが分からないということは当然じゃないのかとい話ではあるのではあるけれども神様が全知全能である神様が自分のことを知らないというのはこれはあり得ないわけであり、そしてそれは本当にあり得ないわけではあるんだよな。
わけがわからないということを含めて分かるのが神なんだよな、わからない解答がない不明であるということが答えとして認められてしまう存在ではあるんだ、卑怯ではあるが、別に批判するものもいないので問題ない、んじゃないかな?
そもそも存在を定義することができないわけであり、いないと言い切っちゃうとそう言い切れる存在でもあるんだよ、自分で自分を否定するとそこにいなくなってしまうという変な、特殊な、特異点的に立っている何かなんだよな。
そしていなくなった瞬間に同時にまた存在を始めてしまうわけであり、そこは不滅ではないのかという存在に成り下がるわけではあるんかな?
いや実際は滅びるというか消滅することすら可能ではあり、最初からいなかったことにもできるんだよ、なんでもできるということはそういうことなんだよな。
結局のところどうしたいのかという話なのか?
いやどうとでもできるし全てをしらみつぶしに同時に実行しているので、そこで悩むのは悩むことができるから、全ルートのうちの一つを行なっているだけにすぎない、のであろうなぁ。
どこに意味があるのであろうか?意味が必要かどうかからまた思考を始める必要があるんじゃないか?
ううーん?




