087_憧憬を
憧憬を、幼き頃の思い出を、それを追い求めていくことで大人になった頃に作りたいものが出来るのでは?ということであるなら、神様はこれはできるのであろうかないや成長しているのかというと、なんでもできるならば成長くらいは軽くしているのではないかとも思うんだけれども、ああ、完成しているならば未完成の状態を作れないのか?いや作れるが?
無知無邪気な存在になることも可能であり何も知らない状態へ顕現することもできるわけでありますから、子供になることもまた可能であるわけで、そこから育つこともまた可能ではあるけれどもこの場合親役はどうなるのでしょうね?
親役というか導き手とかですね、誰が育てるのでしょうか子供の神様を、いやそれは大人役の神様が育てることになるのでしょうね、実質、自分で自分を育てることになるわけではあるんだけれども、一人芝居といことになるのでしょうか?
全ての属性を内包しているわけであるから、子供も親も同時にこなすことができ、成長もまた可能なわけではあるけれども、それに伴う情熱というか直感というか、感性ははどういうものになるんだろうか?いやそれも十分バラエティに富んだありとあらゆる経験を積むパターンを網羅しているんじゃないかなとかは、思うんだけれどもどうなんだろう?
時間軸に囚われないのであるならば子供時代の思い出もまたないのではないかという話にはなるけれども、時間を素直に自由自在に操れるのであるならば、これは思い出が作りほうだいであり、その時に必要な夢やら希望に沿った、始まりを捏造することができるわけであるのか?いや、事実であるから捏造とは言わないのか、真実というか精神の根幹を後から作り上げることができるということになるのではなかろうかという、いやそうであるならば、それは障害とは言えないのではなかろうか?
思い出は作ることができるし、それは真実になるし、原動力にもなるけれども、それを自在に操れる、制御下におけるのであるならば、衝動としてはどうなのであろうかな、それを止めることができない何かの思いがあるからこそ創造へと道を進めるのではなかろうか?
いや止めることができない情熱とか直感とかもまた普通に用意することができるのであろうなぁ、計算できない何かをそのまま用意することができるのが神というものであるのではないか、解釈が必要ないという感じであろうか?
ただ、解釈ができないものがあるという、そのまま飲み込むしかない、ぶつけるしかないような、醜悪な塊が、説明がつかないような、惑わすような一塊が、転がってくるような感じなのであろうかな、いやそれは落ちてくると同時に駆け登っていくような、言葉にし辛い何かがあるのではあるけれども。
それらを自在に操り、操ったように認識させない、自分自身も綺麗に騙すような感じのことができるのであろうなぁ。
創造神というものは。




