067_意義はない
意義はないのではないか?つまりは世界創造そのものにはなんら意味やら価値やらはなく、ただただ現象であるというだけの話であり、それに価値やら意義やら意味やらを見出すのは観測者の勘違いにすぎない、とかなんとかどうだろう?
その存在としてそうしなければならないという義務とかではなくそうしても良いという権利でもなく結果としてそうなってしまっている存在そのものに付随している現象であり、そのような現象を発揮するからこそそのような名称を付けられたということなのかもしれない?
自由意志とかは勘違いであり、というかそもそも自意識とか意識とか自我とかその辺りは存在しない物であり、結果としてそのような何かが観測できているように見えるという錯覚にすぎないわけであり、であるならば、そもそも何も悩むことはないのではなかろうかという結論も導き出せるわけではありそう?
えーと、いや、悩むということもやはり止められないものであり、どうしようもなくコントロールできないものであるから、そもそも悩むことについて悩むということも意味がないということを悟る必要があるというか、必然的に悟ってしまうわけになる、なぜなら全知全能であるから。
全ての謎を解き明かすことができるということは謎がないということであり、未来やら過去も存在しないというか、意味を持たないということであり、全てが決められているということは実のところ全てが自由であるということでもあり、いやまあ、自由という概念が正しく存在しているかどうかを確かめることが?
できるのであろうか?というとできそうではあるというか全能であるならばできるわけであり、そしてそれを他の人格に説明することも可能なのではなかろうかという展開も可能ではあるものの、それを言葉で語ることができるかというと、それには結構な時間が必要になるのかとか、いやそもそもたの存在があるのかどうかというあたりではあり、創造神の性質上、他のものはなく、それは全て自分の一部であるという認識になりそうではあり。
ただ、その認識もまた自由に設定できるのであるならば、説明をするために他の人格を生成し、多数の年月をかけてそれに解説を、言葉を尽くして理解をさせる、こともできるわけではある、けれどもそこには意味がなく価値もなく、いやそれを見出すのは観測者であるというだけの話であり、創造神は観測者になり得るのかどうか?
なり得そうではあるが、そこに観測者としての創造神という何かを設定しなければならないのではなかろうかという、ああ何を言っているのであるか、そこまでも自由に設定できるからこその、全知全能、不可能がない、なんでもできるという設定の創造神ではないか?
何でもできるということで、何もできなくなっているという意味合いでは結構平凡な存在なのかもしれない。




