059_存在の証明は誰が
存在の証明は誰が行えば良いのか、客観性を維持するためには何が必要なのか、それは神様の視点が必要になるわけであり、そしてそれはその神格は自分であることに間違いはなく、自分自身の存在証明を自分自身で行わなければならないけれどもそれは可能であるのかという問題であり、そしてそれは可能でなければ自分自身が創造神でないということになってしまうわけであり、必然的にできる、ということになる。
できなければ存在していないのであるから存在している以上できるというロジックはこれは結構矛盾しているというか循環している、因果が逆転しているのではなかろうかという意識はあるものの、そもそも因果そのものをどうにでもコントロールできるからこその神様であり、そこにあることという結果から遡って因って立つところを語ることも可能ではあるというかそれが可能であるからこその、神であると最初に言っているわけであり。
逆にここにあるのは創造神ではないと定義してしまった瞬間に存在が消えるのかというとそうでもなく、その場合は神とは別の創造を司る何かが存在するという、ように見立てることで、矛盾を抑えることができる、完全に消し去ることはできず、むしろ矛盾が生じることで創造を司る何かの存在が明らかになる、もしくは、証明されると言えるのではなかろうかとか、いやまあ、何を言っているんだ私はという話ではあるのではあるけれども、今日は酔ってはいない、いつも酔っているようなものであるという言い方もあるけれども、確かに。
そもそも自分の存在を明らかにしなければ世界を創造できないのかというならばそれは間違いではあり何者でもなくとも別に作り出せないわけではなく逆なのであろうか作ってしまえたからそれを便宜上創造神と呼んでいるだけの話であり、それ以前は何者でもないというか創造神以前であるという分類になりそうではあるのかな?未分類というよりは未分化という感じではあるか可能性の塊が変質していくところに、感情の揺れ動きが生じる、いや感情ではなく、情報のうねりであるのであろうかな、なんなのであろうか?
結果が先なのであろうなという感触はある、把握されている感触であり世界があるからそこに創造した何かが存在するという逆せつというか、遡って存在が定義されてしまっているのであり、では、創造するかしないかを悩むことは、すでにナンセンスであり、時系列を機にする必要はなく、自信が創造神であるという認識があるということはすでに世界は出来上がっていることになる、未来にできることも過去に作ったことも関係がなく、ただただ、情報に切り取り方が、その落とし方が違って見えるだけの話ではあり、じゃあ、本当に作らなかったならばどうなるのか、というと、何もなくなるんじゃないか?
今があるならば創造神は存在している、のかな?
わからん、わからんのが楽しい、わからないことにしていることがそうできることが楽しく、神様っぽいわけか。




