056_メタフィクション的な視点を
メタフィクション的な視点を登場人物が持つことを否定することはできないわけですよ、というか、そこを安易に禁止することは世界を構成する上で不自然になりかねないわけであり、いやそもそも、思考を誘導することは許されるのであろうかなという疑問が前提として出てこなければならないのか?
どれだけの制御が可能であり許されるのかというなら、これはもう創造神の倫理観によるとしか言いようがなく、なんとも物騒なワードではあるわけですよ、創造神の倫理観。
好き勝手にできるわけであり、それに罪悪感を感じることもないという立場ではあるんじゃないかなとは思うわけではあるけれども、創造神としてはそこに、好きに思考を支配できる誘導できる、いやまあ思考に限らず行動やら、事件やら、偶然とか運命とか、奇跡とか一切合切全部を自由にできるのであるから、今更何をいうのであるかという、言い口もあるわけでして。
その能力、権能に対してどうして怯まなければならないのかというか躊躇する精神とか思考とかが生まれるのかという疑問もあるわけであり、いやまあ、それは最初に創造神をこう作ると決めた、創造神を創造するものの設定によるのではなかろうかなとか、しかしおそらくはその別の創造神というものは自身の同位体というか、時間軸やら空間軸を隔ててはいるものの、同一の存在である可能性が高く。
全部であるならば、その一部が突出させているような感じではあるのかなとか、波のようなものであり、高低の一瞬、その加速度的なエネルギーが形を作ったものが創造神であるとか想像するとちょっと納得がいくようないかないような?
時間と空間に制限がないのであるならば、その一瞬を引き伸ばすというかその一瞬そのものが全部であるとも言えるわけであり、性質は、これはもう無限に存在するわけであり、ようは創造神は無限に存在するということであるか?
数えきれないというよりは数えることに意味がないタイプの無限であるという可能性もありそうではあるか?
終わりと始まりがないようなものもであるのではないかな、常に途中であるというか、最初を定義すると最後が決まってしまうので、それが、その概念が存在することになるので、作ることができない、からこその、数えきれない途中が存在するという形に落ち着くことになる、のではなかろうか?
ここでこうやって悩んでいるようなふりをしているけれどもその時間は時間として見ることはできず、すでに世界は作り上げらてれしまっているけれども、未来へは到達せず、過去にも見えず、今、現世もあやふやなままで確定してしまっているような、いやまあ、結構適当な表現ではあるわけであるけれども。
おそらくこうやって、グダグダ楽しんでいると同時?に誰かが何処かで世界を作ったという結果を観測しているのじゃないかなと。
趣味の時間であることは確かか?




