045_知識の埒外なら発想が
知識の埒外であるなら発想がそもそもできないわけであり、全知でないならば実のところ世界の創造は完璧にすることができない、のであろうか?
時間と空間を超越できるということは実のところ知らないことを知るリソースが無限にあるということであり、つまりは時間があればできる、なら、それは全知になりうるわけであり、創造神であるところの私は、それが可能であり、すでにそれは行われたとするならば、全知であることになる、のであろうか?
いやまあ、実のところ、その瞬間瞬間で得られる知識というか知見というか、ひらめきに近いような直感というものは、無限に時間があっても得られるものではないわけであり、なぜならば、時間というパラメタに紐付けされてしまっているが故に、いつでもどこでもどうにでもなるという、能力そのものが、ネックになってしまう、障害になってしまう、可能性があるんじゃないかなと、思うだけどどうよ?
なんらかの制限がなければたどり着けない思考があるとするならば、それがそもそも許されていない設定の創造神というか神様、全知全能であるかどうかはまあ別の話として、その神様が得られるのかというと、これは無理そうではあり、であるならば、逆説的に全知はあり得ないということになるんじゃぁないかな?とか思うわけではあるけれども、それも全て、ひっくるめて、そういうことができると、設定してしまえばどうにかなるという、これまた矛盾の塊のような、発想もできるわけではあるのだよな。
なんでもできるけれどもなにもできないという、立場なんじゃなかろうかと思うんだけれども神様というものは。
そうではなくてなにでもできるからこそなにもできないということなのかもしれない、常に最良の結果をいきなり作ることができるのであるならば、それを作る必要性がないのではないかということであり、どうやっても幸せになるのであるならば、その過程とかはいらないのではないかというか、効率を考えるならば、何かを創り出すことそのものが非効率なのではないかという、発想に至ってしまうわけであり、この辺り、なにも考えずに、楽しげに振る舞う方が、結果的に幸せになれるのではなかろうかという、すでに自分にはできないことを求めることになるのではなかろうかとか、できるが故にできないということなのであろうかな?
考えすぎというか、この考えすぎるというのも、やはり神様の欠点ではなかろうかと思うわけであり、未来を見通すというよりは、それを確実に作り上げることができる、失敗することがない、そのような能力であるならば、これはまあ、なにを持ってして世界を作る、熱意に、モチベーションにするべきなのであるか、べきではないか、それがどうやって生まれるのか、落ちてくるのか?
いやまあ、ぐるぐると思考するだけではなくとりあえず何か作ってみるのが良いのではという意見もまた正しいとは思うんだけれども、もう少し考えてみたいと思うのも素直な気持ちなのであるよなぁ。




