015_可能性は無限大、
可能性は無限大、選択肢が自由、何をやってもよい、となると逆にどうすれば良いのか分からなくなることってありますよね、私はなります。
神様だからなんでもできる、という能力は想像力がないと持て余すのではないかなということですね、いや、そこそこそれはあるんじゃないかなという謎の自信はあるわけではあるけれども。
転生か転移待ちの少年はどう思う、というか、どこまで思考が許されているのでありましょうかね?
そもそも、転移とか転生とかは、それ以前の生活、例えば、現代日本とかでの環境によって流れが変わってくるわけですよね。
元が不幸であったなら、転生とか転移とかでの先でそれを打ち消して、さらには、上書きして、幸せになるような物語になりやすいですし、逆に幸せな家庭やら環境やらであったなら、元の場所に戻るような話に、しやすいわけです。
ただ、自分で自分の物語設定を作れるならば、わざわざ不幸な体験をしたいわけではないでしょうし、となると、幸福な現代日本での生活となるわけで、であると、わざわざ転移とか転生とかを望む必要がないので、物語が始まらないわけなんですよね。
これはなんだか詰んでいませんか?
いやまあ、一応、転移か転生、という物語にしてくださいという縛りはあるので、どうにかしなければならないのだけど、幸せな現代日本の生活を捨てて異世界に行くことを決定するようなモチベーションはあったりするのでしょうかね?
いや転移でこちらとあちらをいったりきたりするというパターンは普通にあるわけですけど、いいとこ取りですね。
こう、転移特典とか特殊能力とかを駆使して、未知の世界で冒険というか観光というか、レジャー的な感じで、あとは、なんか英雄的というか、格好良い感じで、人助けをして感謝されたり、惚れられたり、しながら、チヤホヤされつつ、異世界と現代日本を行き来して、生活水準を落とさず、むしろ、上げつつ、楽しく愉快に過ごしていくという話であるなら、自分自身で、いろいろ設定しようという気にもなる、のではないかなとは思うのだけれど。
そもそも、自由に設定できるなら、今の現代日本で転移とか転生とかせず、愉快に穏やかに幸せに好奇心が赴くまま、生活すれば良いのではないか?という疑問には完璧には答えられないわけではありますが。
そうそう、別に現代日本から異世界に転生とか転移とかではなくて、虚構的な幻想的な日本的な世界からの転移とか転生とかもありなのだよね。
まあ、根本的に転移とか転生とかいる?とか言われると困ることには違いないのだけれども。




