016_火をつけて消す、
火災保険目的とか、住居人を追い出すためとか、単なる焚き火でそれを始末するという意味合いである可能性もあるのですかね?
マッチポンプなのではないかという話です、いやなんのことかというと、困難に打ち勝つ、試練に立ち向かいそれを乗り越える、強大な敵を討ち滅ぼす、とかまあそんな感じのものを、やってみて、満足感を得るというお話を、自分で設定して、自分でクリアするのは虚しいというか、素直に楽しめるのか?ということなので。
物語が始まる時に記憶を消して仕舞えば良いのではなかろうかという案もあったりするわけではありますが、いやなんというか、それはそれで、全部が終わった後に、羞恥心で悶えないであろうかなとか、もしくはそこもまた楽しめるようなメンタルを持っているかどうかという問題ではあるのか?そこも含めて、強心臓を持っている役者であるというあたりも設定しておけば良いのだろうか?
最初から成功することがわかっている困難を乗り越えさせるというやり口にどんな意味があるのであろうかとかはありそうではあり。
だからと言って、そこは運任せというか、純粋に策略とか努力とかその辺りを、駆使しなければどうにもならない、つまりは失敗の余地を残して物語を進めさせるのはそれは、物語の登場人物として楽しめるのであろうか?という疑問が残る、のだよね。
いや自分から窮地に陥って、追い詰められて、その状況をひりつくような空気を感じることを楽しむという趣味の人がいることは確かではあるんだよね、こう、ギャンブル依存症のような感じではあるので。
もしかすると全てダメになってしまうかもしれない、上手くいかないかも知れない、そんな難関とか障害を設定しておいて、記憶を無くして、1からそれをクリアしていく、もしくはできるかできないかのスリルを楽しむ、もしくは失敗して絶望する自分を見て興奮するというか、あとで盛り上がるとか、その辺りは普通にありそうではあるか?
致命的に間違えて、悲劇に終わってしまうという状況そのものを楽しめるのであるならば、あえてそのような設定にしてもよいという感じではあるのか、所詮虚構ではあるので、終わって仕舞えば、元に戻る、消えてなくなる、自分とは別のものになるのであるからして、そのような楽しみ方も、間違っているとは言えない。
ようは自作自演で楽しめるかどうかという話になるのか?
神様的には結構楽しめそうではあるけれども、そもそも面倒臭いですよねそれとか言いそうな、趣味嗜好だと山も落ちも意味もないような、のんべんだらりとした物語の方が良い、ということになるのか?
自分がどうしたいのか分からないということが、やはり根本的な問題になるのだろうなぁ。




