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第十番歌:声は聞いても違ふ人の顔(二)

     二

 お昼休み、ご飯をすませて、もう一度研究棟へ行った。二階には、うちが所属している日本文学国語学科の先生方の研究室と、学生と先生方どちらも利用できる共同研究室が集まっているねんよ。執筆活動の資料を求めて、共同研究室に顔を出したら、事務助手さんがえらい落ち着きなさそうにしてはってん。執務机のそばで、反復横跳びされていて汗まみれなんやもん、放っておかれへんかった。

「どないされましたか?」

 事務助手さんは、うちに気ぃつくと大きな体を揺らして来られた。救世主に会えたかのように喜ばれて、たじろいだわ。

「本居さん、三限は『日本文学講読A』を受けていたよね? さっき医務室から内線があったの。安達太良先生が休まれているんですって!」

 ここ国原(くにはら)キャンパスの、第一体育館前の広場で、ふらついて転ばれた先生を、ラグビー部の方々が見かけて運んでくださったそうや。貧血か寝不足かやったのか、着いたら眠りに落ちていたんやて。

「あのへん、ラグビー部の寮あるから、人通りがあって幸運だったわ。問題は、三限が休講になるかも、なのよ。そうなったら届け出と連絡、どうすりゃいいの!? あーん! 僕、イレギュラーに弱いのよー!」

 頭を抱えて、音域でゆうたらバスの叫びをあげはった。学生の身分であるうちに、サポートできるやろうか……。

「安達太良先生は、しばらく目を覚まされませんよ」

「ふええ!?」

 先生の具合はもちろんやったけど、もうひとつ驚いたんは、事務助手さんの真後ろで突然、親しんだ声が聞こえたからや。

「ま、まま、()(ぶち)先生、いらっしゃったんですか」

 ()(ぶち)丈夫(ますらお)先生、日本文学国語学科で国語学を教えていらっしゃるんやよ。うちは、うつむいてもろた。清らなる殿方やから、直視し続けられへんねん。

「今しがた、ですよ。夕陽さん」

 心の準備が整ったので顔を上げたら、先生がニコ! てされてはった。ほっぺたが熱くなっている、恥ずかしいわぁ。

「風の噂を耳にして、お見舞いに伺ったのです。昏々と眠っていらっしゃいましたねえ。二、三時間はかかるのではないでしょうか。僕は医学に疎いですから、推測にすぎませんが」

 様々な情報をご存知でいて、まるでテレポーテーションのようにどこへでもすぐ移動できる。同級生達が「現代の忍」とちがうかて(うたご)うてたなぁ。図星やったら、取材させていただけたら……て、おこがましいわ!

「クス、取材ですか……。物の数に入らない僕が、夕陽さんの創作に携わってよろしいのですか」

 ひやあああ、思考が漏れ出していたんか!? うち、静かにしていたんですがぁ。忍より、エスパーやないの? あかん、あかん! 無礼や!

「おやおや、豊かな想像ですねえ……」

 目を開かれて、黄金の笑顔! 今日は、真淵先生日記のページ増量やぁ! 

「あのー、『日本文学講読A』は休講ということで、進めて大丈夫ですか?」

 事務助手さんが訊くと、真淵先生はさっと目を細めはった。にこやかでいてはるのに、本心を鉄板でふたをしているようやった。

「そうですね、手続きをお願いいたします。教務課には事情をお伝えしましたから、滞りは生じませんよ」

 どっこいしょ、と事務助手さんが椅子に座られたのを見届けたら、真淵先生はうちに向きなおってこう仰った。

「雲行きが、怪しくなりましたねえ。不吉の前ぶれではないように、お祈りします」

 先生の姿は、まばたきする余裕もなかったぐらいに速く、消えられた。奥の腰窓が、いやでも視界に入ってまう。空が、白い。罪を償い、行いを改める意志を表わした色の雲やった。

「安達太良先生……!」

 うちは、ことわりもせえへんで二〇三教室の鍵を取っていた。パソコンと格闘してはる事務助手さんには、後で謝ればえぇ。考えこんでも、何も変わらへんのやから!



 安達太良まゆみ先生は、あらゆる物事を引く、「特別な力」をお持ちなんや。「特別な力」が発動すると、不思議な現象が「引き」起こされ、先生は眠りにつかれ、空は雲で閉ざされる。ご自身では、力のコントロールが不可能なため、誰かが止める必要があるんやよ。やからとゆうて、万人が抑えられるものやない。できるんは、うち達「日本文学課外研究部隊」の五人なんやわ。

「特別な力」の暴走を鎮める役目を任されたからには、責任を持ってやり遂げる。日本文学課外研究部隊の活動場所・二〇三教室のロッカーに、ユニフォームがある。ヒロイン服と呼ばれた衣装で「変身」して、「特別な力」による現象と戦うんや。

「あらま」

 皆を呼び出そうとしたんやけど、先に着いて、待っていてくれたみたいやわぁ。唯音(いおん)先輩、(はな)ちゃん、(もえ)ちゃん、一限は一緒やったふみちゃん。

「あれま?」

 おかしいわぁ。四人の様子が、がらっと変わっているんや。イメージチェンジどころやない、四人が、あべこべになっていたんや。

「ゆうセンパイ、キョトンとナッてマスよ? どーかしたんデスか?」

 萌ちゃんが乗りうつった、唯音先輩? アニメ「絶対天使 ☆ マキシマムザハート」の主人公の話し方を真似しているんやったよね。唯音先輩の、恵みの雨みたいに柔らかなソプラノには、あまりはまってへんなぁ。

 コスプレは、似合ってはるのにねぇ。失われてゆく元素を取り戻すために、別次元の地球へ飛び込む探索者やったかな。主人公達と対立するチームのお嬢様リーダーやったな。地球で主人公に協力するようになった時の普段着やね。

「変身、急ぐ……です」

 華ちゃん、こんなに物静かやった? はじける炎のようなアルトが、弱火になってるわぁ。いとこの唯音先輩に影響を受けたんやろか。中高生て、しゃべるんがおっくうになる年頃でも、遅うない? 高校三年生の冬にもなれば、思春期独特のもやもやから吹っ切れているはずやけどもぉ。

 瞳がいきいきしていないやろ、しんどかったんか髪を後ろにゆるく結んだだけや。体操ジャージを肩にかけへんで、ちゃんと着て、一番上までファスナーを閉めている。スカートの丈がひざ下になっていて、華ちゃんらしさがかけらも無かった。

「あ、あの、すさまじく思考をめぐらせていない?」

 えらい気のつく萌ちゃんやなぁ。あわわ、悪い意味やないねん。萌ちゃんは、人の顔色を適度にうかがわへんところがえぇんやよ。ぐんぐんのびる木みたいなソプラノが、抜きん出るのを怖がっている調子やった。

 萌ちゃんは、身だしなみに細心の注意を払っているんやけど……つやつやの髪が、ボサボサや。寝ぐせを水で押さえつけたつもりが、直ってへん。お洋服が、コスフィオレやない。お世辞にも、おしゃれやない組み合わせやよ。たんすを開けて、手前にあったんを着ただけの、めちゃくちゃコーディネイト。部屋着の方が、まだまともやと思う。

「一刻千金っ、さっさと戦闘に臨むぞっ!」

 ふええええええええ、ふみちゃん、ふみちゃんがぁ! 『夏祭(なつまつり)(はな)()ちゃんになるには』て本を読んだんかぁ!? あるわけないやろ夕陽ぃ! 根雪に屈しない土みたいに芯の強いアルトが、尖って主張しているわぁ。

 朝の「国語学研究F」は、いつものショートカット、赤いパーカー、カーゴパンツやった。お手洗いで華ちゃんになりきろうと努力したんかな、髪を右側に集めて輪ゴムでくくっている。パーカーをはおったから、ちらっと見えていただけの長袖Tシャツが公開されたわ。紫の無地かぁ、そろそろふみちゃん改造計画を始動せななぁ。


 萌ちゃんのような、唯音先輩。

 唯音先輩のような、華ちゃん。

 ふみちゃんのような、萌ちゃん。

 華ちゃんのような、ふみちゃん。


 物語ではようある「入れ替わり」なんやないの!? 本朝が、精神を重んじるお国柄やとしてもやで、なにも内嶺(ないれい)県は(そら)(みつ)市、袖之内(そでのうち)(ちょう)一〇八〇番地、空満大学国原キャンパス研究棟二階に仕掛けることないやろぉ。ピンポイントで、奇なる事態にさせられるんは、やっぱり、安達太良先生やわぁ……………………。

「ごめんやけど、先に変身しといてもらえますか」

 四人のうち誰に鍵を手渡したんか、覚えたくなかった。消したい記憶が久しぶりにできて、頭を打ちたくなった。逃げるんは、責任を放棄したと同じ。うちは、ヒロインがやってはならへん行為をはたらいてしもうたんや。

 ロの字型の廊下を、ひたすらに、いたづらに、走っていた。日本文学国語学科の共同研究室・個人研究室、歴史文化学科の実習室、宗教学科の第一共同研究室・第二共同研究室、大学院宗教研究科の共同研究室、院生用研究室、各学部部長室、学長室、副学長室の表札が、うちの中に刻みつけられた。鳥瞰図にしたら、反時計回りにたどっていたやろう。

 半周を越えて、息が切れてきた。家にいることが多くて、ちょっと太りぎみやから、バテやすいんやよ。歴史文化学科各コースの共同研究室と個人研究室が並んだところに入って、ふくらはぎが痛くなった。歩いたら、根性なしやと認めたようやんか。意地でも一周したろうて、続行したんやけど、体がついてこられへんかった。ローファーがロングスカートの裾を踏んづけて、かなり前に傾いた姿勢になったんや。

「はうあっ!」

 ほんま、(どん)やなぁ。母が、うちをなじる時に使っていた決まり文句やった。まさに、そうやわ。現実に向き合わへんかった報いや。お天道様に、見落としはあらへんねん。ひざ小僧にあざができて当然、て、あれま? 廊下にびたん! てなってへんやないの。両腕を、かなり強くつかまれていて、後ろに戻されたんや。

「いかがなさったのです、夕陽さんとあろうお(かた)が」

 振り返ると、真淵先生が切なげな笑みを浮かべて立ってはった。

「助けてくださいまして、ありがとうございます」

 白のワイシャツにモスグリーンのニットベストを重ねてもまだまだやせていらっしゃる身体に、うちを支えられる力がどこにあるんやろか。男性の天分なんかな。

「演習室へ文献を借りに来たのですが、荒ぶる足音がしたものですから。悪い夢にとらわれているかのようでしたよ?」

「夢でしたら、覚めておしまいにしたかったです」

「耳を疑いますねえ。あなたが音を上げられては、いつまでも世は暮れませんよ」

 過大に評価しないでくださいますか。うちは、真淵先生の期待には完璧に応えられへん。ふみちゃん達をどないして戻すの。安達太良先生の力を、今回はどないして鎮めるの。

「夕陽さんには、問題を解き急ぐきらいがございますからね……」

 話を切りあげて、真淵先生は素早くうちの背中をかばわれた。

「治りがお早いですねえ、安達太良先生」

 うそやろ!? 一歩、二歩、三歩と右に回ったら、真淵先生を隔てた先に、白いスーツの女性がいらっしゃった。確かに安達太良先生なんやけども、うちの知っている先生やなかった。脈打つあったかさが、(せい)ゆうものが、欠けていたんや。

 同感や、て真淵先生がうなずかれて、よその人に接するように訊きはった。

「あなたは、どなたです?」

 安達太良先生らしき人は、重そうに口を開かれた。

「…………私の名は、安達太良、まゆみではない……。(うつつ)に居る事、まかり通らぬ者よ…………」

 その人は、射貫くような視線をうちに送ってきたんや。

「…………本居(もとおり)夕陽(ゆうひ)殿、私を裁け」




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