第九番歌:子に負かされて(四・結)
四
トーテムポールにかくまわれる形で、あたしとまゆみは横並びに座ってた。ふみからが気を利かして、二人きりにしてくれたんだ。
まゆみは、いつもの白ジャケットと白スカートだった。あんな赤ん坊が、大学で文学教えるようになるんだ、塞翁失馬ってーのかな。
「安達太良まゆみっ」
だーっ、ソコ、かしこまるとこだろがっ。礼儀しっかり!
「……先生、あたし、まゆみ……先生に、言わね、なければならね、ない、ことがあるん……あり、ますっ」
「あらー、なあに? 改まっちゃって。夏祭さんたら、そのままで良し! なのよ」
破顔一笑かよ。うっわ、恥ずかし。敬語になじめてなくて、バカもろ出しじゃねえか。いんや、腹くくったんだっ。ちゃんと伝える!
「さっきは、不埒千万な質問して、悪かった。あたし、まゆみを傷つけちまった……っ!」
目線も、身体も、まゆみに向けて、深く頭を下げた。
「夏祭さん、確認のため、ひとつ訊いていいかしら」
「……はい」
ヒール靴で背が高くなってんのを、まゆみはちょいとかがんであたしと同じにしてくれた。
「私に、嫌な思いをさせようと言ったわけじゃないわよね?」
「そうです」
「ありがとう」
まゆみは、笑ったままだった。
「いざ……」
弓のペンダントに片手を当てて、スウーって空気を取り込んだ。
「こらあ!!」
でかすぎて、あたしはほっぺたがしびれちまった。怒ってる……? でも、憎悪っつーか、温情が入ってた。
「私は傷ついていないけど、私と似た境遇の人にとっては、つらい問いよ。夏祭さんは、言いたいことがあったら、声にする前に三秒、数えてみなさい」
「はい!」
あたしを叱ってくれる人、家族だけじゃねえんだな。
「はあーあ」
「まゆみ!? くたくたじゃねえか、おい」
「私はね、お説教がかけても上手じゃないのよー」
半泣き、汗かき、ゆだったほうれん草みてえだ。おもしれえ教師だよ、ったく。
「主人……春彦さんと、約束したの。主人は、両親を鉄道の脱線事故で、代わりに育ててくれた伯父と伯母を大震災で亡くしている。もしも、私達に子どもがいて、不慮の事故で、その子を遺して私達が世を辞したら、子どもが生涯、悲しみを背負い続けることになるんじゃないか。主人は、家族を失うことを怖れているわ。だけど、なほ怖れているのは、家族にそれを経験させることだったのよ。私達は、ふたりで生き抜こうと誓った」
あたしは、何も返事してやれなかった。肩を貸すので、いっぱいだったんだ。赤ん坊ん時とはまた違った重さがあった。
「人間とは、わがままな生き物でね、主人と私は、学生を我が子のように接したくなったの。あくまで『ように接する』だから、親にはかけてもなれない。学生に残してあげられるものが無い。それでも、彼と彼女達の成長に携わりたいの」
「まゆみと婿の生き方は、ありだよ。まゆみがまゆみでいられんの、一回しかねえんだから。わがまま上等だっ」
あたしは、親指を立ててやった。まゆみがやってる「良し!」ってやつだっ。後から本家をくれた。『萬葉集』の「良し! の歌」が元ネタなんだってよ。
「夏祭さん、あなたは賢くなったわ。言葉の爆弾が持つ威力をよおく知った。人と人が関わってゆくと、傷つきあうものなの。特に『おとな』でいようと頑張っている人は、軽い冗談でも大やけどを負っちゃうのよ」
「人間関係で病気になるって大人がいるよな……」
表に回りこんだら、トーテムポールはどいつもこいつも暑苦しいニッカニカなんだろな。あたしら人ってもんは、因果関係かなんたらで、仲良くできねえやつが必ずいる。空満神道の授業で、皆で花輪のようにつながっていこうとか教会から出張してきた講師が、逸話か教典を読んで話してたけど、実現は遠いんだよな……。
「心の病は、体に比べていみじく治りにくいのよね。来し方が襲いかかってくる場合もあるわ。生傷が絶えないったらもう」
あたしの心は、つるすべってわけじゃねえけど、まゆみは、あたしよか修羅場くぐってきてんだろな。
「痛みが治りかけたとこで、刀槍矛戟っ! 休むヒマなしってか」
「そうね、夏祭さんが通るトラックは、障害物だらけよ」
まゆみが、薄っぺらいけど大食らいの体を起こした。たぶん、あたしと身長ほぼ一緒だ。
「私の考える『おとな』は、できないこと、限界を知り、受け入れてまた歩ける人物よ。ひとつの例だから、参考までにしてちょうだい」
「国語の解答みてえだなっ。ひとつとは限らないってやつ」
ふふっ、ふふふっ、まゆみのお上品な笑い。母ちゃんの二コ上って、信じられねえ。オバさんっぽくなくて、逆にコワい。
「明らかに違うでしょ、という選択肢があるけどね。当の作者は、何を書こうとしていたか忘れちゃっているそうよ。私としては、四択のうち三つは正解にしてあげたい! そうはいかぬのが、競争、試験、なのよ」
「勝ち負けがあるのが、現実ってもんだからな」
「むべなりね。今様に言うなら、あーね、なのかしら」
「むうー、微妙に用法ズレてる」
「かくして、世代の割れ目が開いてゆくのねー」
先生って、近寄りがたい感じして、あんまし話せねえんだけど。まゆみも先生なのになっ。お茶の間にいてるみてえになれるんだ。
「くしゅっ!!」
寒っ。ヒロイン服腕まくりしてんの、やめたっ。走ってるとあったまるもんだから、くせでやっちまう。暗くなってて、袖口のボタン留めるの四苦八苦してたら、まゆみが留めてくれた。
「防寒着、仕立てておいたの。明日、皆に渡すわね」
万能まゆみ、っつったら、何て打ち返してくるだろう。ベタなのは「ねぎじゃあございやせん、しらざあ言って聞かせやしょう。私の名前は」だな。「調味料は、カレー粉がダントツ!」の線か、まさかの「No! I know You know 安達太良のお……まゆみ!」ラップ。シャカシャカシャカ、なんつって。
「さあ、帰りましょ」
「おうっ!」
まゆみ、期間限定であたしを親にさせてくれて、あんがとなっ。あたし、わがままに生きてみるっ!
結
夏祭家は、三峰の山を持つ、空満の大地主だ。さらに、代々、空満の政に深く関わってきており、国の高官をも輩出した、この地名士中の名士である。
夏祭邸の敷地は、自動車に乗っても一周に一時間前後かかる。仮に入館料を取っても許される価値がある日本庭園に、蔵つきの日本家屋が翼を広げるように建てられている。「夏」にあたる「南」を守る霊獣・朱雀を表しているというそうな。
その家屋の、隠居部屋だといっても、引退した人間が過ごすにはとても広く、豪奢な部屋の襖が開かれた。
「じいちゃん、父ちゃん!」
ひとり娘の華火が、敷居をまたぎ、畳の縁を踏まずに勇み足でやってきた。祖父の御輿と父の謝笛が囲碁の真っ最中だった。
「華、何事でい。欲しいもんがあるのか?」
「服か、ゲームか? 華っコ、ワシとじいちゃんがどっちも買ってやるよう」
浴衣の御輿と、作務衣の謝笛が、糖分たっぷりの声で言った。
「そーじゃなくってっ! あたしの進路のことだっ!」
紺色の靴下が、畳を踏みつけた。帰宅したのに学生服のままなのは、真剣な話をするためだ。正座をして、視線を二人の目にまっすぐ合わせた。
「あたし、空満大学の日本文学国語学科を受験する」
えびす顔だった祖父と父が、揃って末法の世に投げられたような顔になった。
「体育学部はいやか。んなら、学校に学科を変更させたらあ」
「華っコ、ごめんよう。ワシはてっきり、もっと走りたいんだて思ってな。文学が良かったんか、父ちゃん失格じゃー」
「あたしは、自力で合格したいんだっ!」
華火の発言に、二人は滝のごとき涙を流した。元官僚が孫に、現空満市議会議員が娘に、心から悲しみを爆発させているのである。
「わざわざ荒波に飲まれにいかんでもよいだろうがあ。華、将来のこた、おいどもに任せい。こないだまで寝たきりだったろ、無茶はやめろい」
祖父は、十二年前、を、最近、の感覚でいるらしい。どんな高名の医者でも治せなかった病から、奇跡的に治っても、孫の身を案じているのだ。
「大学を卒業したら、役所に入れてやんよう。事務職をちょいと勤めてな、結婚して家におればいいんじゃ。婿は門下生の有能なんを紹介する。望みどおりになんだってすんよ」
父は、有言実行の男だ。娘のためなら、権力と財力を惜しげもなくなげうち、手段を選ばない。娘の通学路を、あれこれこじつけ、言いくるめて、舗装と防犯対策を完璧に整えさせた一件があった。
二人が自分を大切に想っていることは、嬉しい。不自由しない暮らしは、二人が働いてきたおかげだ。でも、あたしは。
「あたしの人生を、あたしで決めさせてほしいんだ……です。日ぶ……日本文学国語学科なら、やりたいこと、あたしにできることを発見できそうなん、です。日本文学国語学科を受験させてく、ださい、お願い、します」
頭を下げようとしたが、謝笛があわてて起こしにきた。
「国文学と国語に興味があるんなら、専門書を好っきなだけ買ってやる。明日からでも、教授を呼んで試験の対策をしてもらお。な、文学部だったらな、つてはいっくらでもある。内嶺女学園、内嶺大、吉野女子大……」
父の手を優しく握って下げさせ、華火は首を横に振った。
「空満大学に行きたいんですっ。そこに、教えてもらいたい先生と、切磋琢磨したい仲間がいるから!」
まゆみ、ふみか、唯音、夕陽、実は始めに浮かんだ人物は、幼稚園から会っていた、あいつだった。たったひとり、正しい名前を覚えている、日文一回生のヒロインだ。
「華、おいが空満の文学部に行かせたら」
「親父、もういいんじゃ」
謝笛が、娘の背中を景気良く叩いた。
「試験、受けなあ。桜なんぞよりどでけえ花、咲かせてやったれ!」
「無茶はいかんぞ。日を越えてまで夜深くに勉強して身体壊したら元も子もねえ」
御輿は、孫に綿入り袢纏をかけてやる。
「あんがと……ありがとう、ございます……!!」
おじぎして襖を閉めると、母の綿菓、住み込み女中のおめん、おようが待っていた。
「よお言った、華火!」
大家族を育てあげてきたような貫禄のある、ふくよかな懐に娘を抱きしめた。
「へっ、母ちゃん、盗み聞きかよ……」
おめんとおようが、割烹着の端っこで目元を拭っている。この家の人々は、華火が何かひとつ成すと、揃って大喜びする。思春期にはむずがゆい光景だ。
「あたし、大人に近づけたかな」
自分のことは、自分で決められる人。華火の考える「おとな」に新しく入ったものだ。入試は三ヶ月後、如月に行われる。願書を書いて郵便局へ、試験料……お年玉貯金を使おう、を収めて、過去の問題集を入手しなければ。あの赤い本は、あきこが捨てるのに困っているだろう。物持ちがいいやつのことだ、唯々諾々としてゆずってもらえそうだ。去年の試験問題も知りたい、やはり最新版を買いに書店まで走るか。
指を折って、やることを数えてゆく。部屋で紙を広げて鉛筆を持って、書き出してみるとするか。華火は「夕焼けだからおうちに帰ろうの歌」を口笛で奏でながら、廊下をスキップして、前へ進んでいった。
〈次回予告!〉
「夕陽ちゃんは、卒業したら院に行くの?」
「大学院なぁ……。全然考えてへんかったわぁ」
「ゆうセンパイは、日文ノ才媛っスかラ、センセ方アンド学生ガ、進路ニ期待シテるらシイっスよー」
「就職かなぁ。司書課程受けてるんやから、公立図書館で働けたらえぇなて」
「門狭そうだけれど、夕陽ちゃんなら現役合格できるんじゃないかなあ」
「激シク同意デス☆」
―次回、第十番歌 「声は聞いても違ふ人の顔」
「司書ハもッタいナイ感ジもしマスな。府庁、文部科学省、検察官!?」
「公務員に向いているよね」
「あはは、ありがたいんやけど、そないに有能やないよぉ」
(うちには、夢の墓標が、ぎょうさん立っているんやで…………)




