第九番歌:子に負かされて(二)
二
「ぷしゅー、叛逆の魔法少女モデル、再入荷未定なんスよ……。遺憾デス」
「替えのストッキング常備しといてセーフやったわぁ。萌ちゃん、サイズ大きない?」
「ノープロブレム☆」
「つ、つらいよね。穴あくと」
「ロバート・デニール……」
「唯音先輩、俳優でだじゃれですか」
萌子、夕陽、ふみか、唯音はお手洗いで起こった災難を愉快に振り返っていた。寒くなるとタイツを履く人は、もう一組、手荷物に入れておくべし。かさばるかもしれないが、ほころびに気をとられて物事に集中できないよりは、ずっとましだろう。
活動場所に帰ると、華火が地べたに三角座りしていた。顔をうずめて、しゃくりあげている。
「華火さん……!?」
「まサカ、おなかイタの魔女ガ!?」
華火のポニーテールが、左右に揺れた。
「まゆみ……まゆみがっ、あたしのせいで」
上座の、顧問のパイプ椅子を指さした。
「…………赤ん坊に、なっちまった」
『何だって!?』
四人はいつも以上に歩数を多くして椅子へと駆け寄ると、白いおくるみに包まれた赤ちゃんが、ぐっすりおねんねしていた。
「安達太良先生が、若返りはったんか……」
「うーん、言われてみれば、そうなのかなあ」
「司令官オーラ醸シ出シテるジゃナイっスか。月齢おイクツなんスかね」
「……です」
「おい、てめえら」
後ろで、華火が両手両足を震わせながら立っていた。さめざめと泣きたかったのに泣く暇を奪われた、乾いた表情をさせて。
「鏡、見ろよ」
隊員用ロッカーと壁にできた隙間にしまっていた姿見を引きずり、ふみか達の前に置いた。先週、大学祭の映像企画で助けた演劇部にお礼の品としていただいた物である。日本文学国語学科の先生でもある顧問二人のうち、助平なおじさんの方が夜の逢い引き用に独占するので撤去したかったそうだ。
「どひゃー!」
萌子が絵画「叫び」にそっくりのポーズをした。ふみかと夕陽は、二、三拍遅れてあわてだした。
「うち達、ちっちゃなってるわぁ! 服だぼだぼになってへんかったから、気ぃつかへんかったんやろか!?」
「あー、あの、周りが大きくなったみたいに感じていたんだけれど、こっちが子どもになっていたからだね」
萌子は小学校低学年くらい、ふみか・夕陽は幼稚園児だろうか。最年長で身長が一七二センチの唯音は、
「私が、一番、小さい……です」
二分の一、八十六センチほどに縮んでいた。三歳くらいだろうが、言語の能力は衰えていないようだ。
「あたし、どーすりゃいーんだよ……」
頭を抱えて、その場にへたる華火。心強い仲間まで、小さい子に変わってしまった。臨機応変に振る舞う時が到来したものの、すぐにできるわけじゃない。
「華火ちゃん」
「あん?」
童顔にいっそう磨きがかかったふみかに、苛立ってしまった。自己嫌悪の度合いが高まってゆく。
「さっき『あたしのせいだ』って言っていたよね。まゆみ先生と何があったの?」
赤いパーカーのお地蔵さん、弱った華火にはそう見えた。聞いてほしかったのだ。「おとな」に至るには、ハードルをいくつか越えなければならないそうだ。
「なっ、まゆみがあーなったのは、あたしが傷つけたからなんだよ」
「違う……なんて他人事だからやめるね。でも、華火ちゃん、自分を責めちゃだめだよ」
水筒にとっておいたほうじ茶を飲んで、華火は息をはいた。
「先生を困らせようてしたんやないんよね。やけど、あかん質問やったわ……」
「まゆみさんの力、発動条件が、ある……ですか」
「んなもんありゃ、寸歩難行してねえっての」
安達太良まゆみには、あらゆることを「引く」という「特別な力」がある。幼な児に返らせたのは、非現実な出来事を「引き」寄せたからだ。本人が力を操れるのなら、説得して穏やかに収められるだが、なにしろ異能を有していることをご存知ではなく、制御できないものだから、甚だお騒がせ、なのである。
「ってか、あんであたしは射程圏外なんだ? 怒ってんなら、あたしだけを赤ん坊にすりゃ、弱っちいから、ボコるなり窓から投げ捨てるなりできんだろ」
残酷な考えができるあたしを、負の方向へ評価する。待てよ、仕返しするんだったら、子を持つ苦労を与える方が、もっと厳しい。は、ははっ。永永無窮っ、あたしはこいつらの親になれっつーことかよ。
「怒っているかどうかは、まゆみ先生に訊かなきゃ。だけれど、華火ちゃんは先に、伝えたいことがあるんでしょ」
「ん」
後ろ向きになって、大事なことからますます遠ざかっていた。ふみかは、抜けているようで、隊長の役目を果たしている。
悪意はこれっぽっちも無かった。でも、まゆみ先生を傷つけた。二度としないと約束する。だから、この関係を続けさせて。
「えらいこと、やってもうたわぁ」
夕陽が、スカートをごそごそさせて、ぽっ、と抜いた。楓のような手に、折り紙の兜が金色に照っていた。
「便所で工作してたのかよ」
「うち達、お手洗い出てすぐに、兜いただいたんや」
ふみかと唯音も、同じ作品をつまんでみせた。
「真珠の耳飾りをしていた、女の人かな……。豪華な雪洞をかついでいて、よろめいていたから声をかけたんだけれど」
「折り紙を、配って、階段を、下りた……です」
「サークル活動の一環なんやろなぁて思てたんやよ」
「十中八九怪しいだろがっ」
三人は首をすくめた。子に気苦労を増やされた親の心境が、なんとなく分かる。
「そいつが、まゆみの力が連れてきた化けもんだとしたら、今頃どっかでもっと兜ばらまいてるかもしれねえっ! 兜が子ども化させてんなら……やべえっ!!」
窓より、甲高い叫びが次々と聞こえる。
「乱離骨灰っ、なんてこったっ!!」
国原キャンパスに通う人々の平均年齢が、大幅に「引き」下がっている。革ジャンの金髪坊や、背広の赤ちゃん、露出度が高いお嬢ちゃん、空満神道の法被で箒を振り回す子ども達……雪洞真珠女のしわざか。
「変身すっぞ! てめえら、早くしろいっ!」
全員のロッカーを開けて、ヒロイン服をまとめて机へ放った華火だったが、
「この体型では、着られない……ですね」
「い、衣装は、大人のままなんだ」
「変身できるん、華ちゃんだけやんかぁ!」
出だしからの危機。
「だーっ、てめえらは私服で戦っとけっ!」
脱ぎ着しながら、元・お姉さん方に器用に提案する。
「普段着だと士気が上がらないというか」
「武器、重い……」
「変身してへんのにヒロインやぁ、は、趣の問題がぁ」
ちびっこといえど、おなごは集まればいっちょまえにうるさい。ふみかに関しては、間が悪く洗濯中でヒロイン服を忘れて、しょげていた日があった。
「おっしゃ、出陣っ! って、まゆみをひとりにさせられねえよな」
赤ん坊を連れて行くには、ベビーカーか抱っこひもがいる。しかし、大学には育児用品は置いているわけがなく。
「センセ、首スワってマス☆ オソらく六ヶ月ホドっスな」
「やけにしおらしいなって思ったらよ、まゆみのお守りしてたんだな」
「お祭りニ来タ信者サンのお子サンのオ世話係シテますカラ☆ 保育士漫画ヲ熟読シタ甲斐モありマス」
萌子が縦にゆらゆらして、まゆみ先生をさらに熟睡させていた。小さい身ながら、おしりを支えるだけの片手だっこが様になっている。「明るきくらし」を送れる世を築く空満神道は、しばしばお祭りを行っており、世界各国から信者が本殿へ詣る。本朝全国に構えている大・分教会も然りだ。大教会の与謝野宅での経験を活かしてくれて、助かる。
「おんぶ可っスな。へにゃー、ベビちゃんトっテモいいスメル♡ デス」
「つっても、くくりつけるやつねえとムリだろ」
「紐ナラ、ゲットでキルじゃナイっスか」
ウインクの先に、お育ちがよろしいメガネちゃん。垂れ目を上げて、平原と化した胸を叩いた。
「まかせときぃ」
夕陽の髪に結ばれた黄色いリボンは、戦闘時に自在に伸び縮みさせられる。限りがないので、テープのように切って使い放題でもある。まゆみ先生を背負える長さを希望して、んんーと力を込める。頑張っている子ども、見れども飽かぬかも。ところが、
「あれま、全然伸びへんねんけどぉ」
ヒロインに変身していないためだろうか、技が使えないようだ。
「代わりになるもんあるかっ!? まゆみを落っことさねえやつっ」
「これは……?」
唯音が衣装の裾をつかんで、注意を引きつけた。これまでの文学PRに用いてきた道具の中に、白い一本の帯があった。
「いつのか忘れたけど、過去のあたしらに感謝だなっ!」
萌子に教えてもらい、器用な唯音を筆頭に結わえつけてもらった。鏡で位置と締め具合を確かめて、完了!
「今度こそ出陣すっぞ! てめえら、迷子になりたくねえならあたしの手を離すなよっ!」
『ラジャー!』
背には赤子、手には幼児が二人ずつ。五人の子を率いる女子高生ヒロインが、戦いに臨む!
母ちゃんは、あたしをこーやって散歩に連れてってたのか。あたしの家にゃ、女中のおめんとおようが、身の回りのことやってくれるけど、よそじゃ母親ひとりで家事とか子育てとかいろいろこなしてるんだよな……。赤ん坊ひとりくらいなら楽勝で走れるって思ってたのによ、ナメてた。重たくて、自由がきかねえんだ。急ぎたいんだけど、のろくて進めやしねえっ。ためらっちまうんだ、あんまし動いたらまゆみが危ないんじゃねえかって。
公園と差し替えても不自然ではないにぎやかさだった。ふみか達のように、精神は元の状態で身体を子どもにされた子ばかりではなく、本当の意味で幼な児に退行してしまった子らもいた。学び舎を遊び回り、些細なことでけんかをし、秩序とは無縁の世界だった。
「アアー! アアー!」「ふんにゃあ、ふんにゃあ」
「わわわわ、土御門先生、時進先生! 私はお乳が出ないのですよおおお!!」
太い筆ができそうな毛量の赤ちゃんと、弱々しくて心配な赤ちゃんを両腕に抱えるたくましい女の子とすれ違った。「文学部日本文学国語学科」の腕章がついていたような、そうではなかったような。とりあえず、ご苦労様。
「金の兜、もらっているね。あ、あの人も」
「真珠と、ボンボン、どこ……」
「唯音先輩、ぼんぼり、ですよぉ。別の校舎に入られたら、手分けして探さななぁ」
「マジで……? あたし、体力半分に減ってるんだぞ……っ」
前かがみになりそうなのをこらえ、周りを見回す。なっ、あいつがはぐれた!
「萌子ハ、ココっスよー☆」
ガキんちょに「カモーン☆」されて、カチンとくるのを保護者という責任で抑えた。
「用心デス、迷子・誘拐・監禁ナド、危険ルート回避セヨ、マジっスよ」
「あいよ。んで、そいつは?」
「折リ紙おばサンに会ッタばカリの学生サンっス」
ありふれたジャージの男子だった。空満大学は、ジャージ通学率がほぼ半数だ。体育学部はもちろん、他学科の学生も着ている。つまり、標準的な空大生ということ。
「かぶとくれた人、あっちに行ったよ」
坊やの指先を追ってみる。A・B号棟だ。人通りの多い所を選んだのだろう。
「あんがとなっ」
「お姉ちゃん、きょうだいいっぱいだね。がんばってね」
足取りが軽くなった。ひとりっ子で、外でも小さいもの扱いされてきたから、お姉ちゃんはかなり効いた。単純だけれど、言葉は人を奮い立たせるのだ。
A・B号棟前の広場で、黄金の光がちらほら瞬いている。相手は近い。
「あたしが倒す。てめえらは、キャンパスのやつらを安全なとこに隠れさせろっ!」
ふみか達の手を離し、華火は光の激戦区へずかずか入っていった。
「知らん人に物をもらうなっ! ソレより許さんのは、物で子ども返りさせたてめえだっ!」
折り紙配りが、威勢の良い声に振り向いた。耳の部分に白玉を吊り下げて、質素な袴を着けた、銀の雪洞が。
「ぼんぼりが本体だったのかっ! ったく、ひな祭りか端午の節句か七五三なのか、明明白白させろいっ」
顔にあたるであろう和紙の部分が、藤色にほんのり灯った。足の部分である台座が、古めかしく回る。犬の絵柄と襟が、子連れ少女の正面に来て、止まった。
「単槍匹馬っ、一発でカタつけてやらあっ!」
さっさと燃やして、まゆみ先生に謝るのだ。己でやらかした事は、己で責任を持って始末する。それが、大人の流儀というものだろう。
「花は盛りだっ! はなびグリーン・降臨っ!!」
―いざ、戦闘開始。




