騒動 ※虫が出ます
「止めたのに、大丈夫だからって入っちゃったんです!」
「嘘ついてんじゃねーよ! お前が連れて行くの見た奴がいるんだからな!」
じりじりと夏の陽が照る校庭の端で、ユキヒロ先生は自分を連れてきた女子児童が何やら言いつけている言葉も、追いかけてきた護役の男子児童が何か怒鳴っている言葉も聞こえず、いや聞いている余裕もなく、自分たちと何もないカラーコーンに囲われた空間の間で固まっている様子の成人女性と狼の妖怪に対して、とんでもないことをしてくれたと信じられない気持ちで視線を投げた。
どう声を掛ければいいのかわからない。目に見える危険による立ち入り禁止だったなら怪我で済んだかもしれないが、この場所はそうではない。怪奇現象が起こった原因を封じているが故の禁止である。二か月前に起こったこととはいえ、そして祓う力を持つ護役という相手に対して注意を促せばいいのか、他の護役からこのことについての話があったかどうかもわからない。──いや、聞いていなかったからこそ、ここに足を踏み入れたのだろう。
「そこから出なさい!」
ユキヒロ先生は、見えない自分の目からでもカラーコーンがずれるのを見て、二人の服の端を引いて陰から引っ張り出す。
出ろ、と言われても……と半ば引きずられながら、サナギは後ろで「嫁ー!」と荒ぶる象のような大きさのカマキリをちらと振り返ってのんびり答える。
「何もしないみたいですよ」
「いいから!」
目に刺さるほどの明るさに戻ると、サナギも千松もわっと小さく声を上げて下を向く。
「どうしてあそこにいたんですか! 立ち入り禁止ですよ!」
青い顔で肩で息をするユキヒロ先生を見上げ、サナギはなぜ怒られているのかわからないままに首を傾げて記憶をさらってみる。
先生は、ここが立ち入り禁止だと言ったっけ? うわさ話を詳しく聞こうとしたけど教えてもらう前に授業が始まって、校庭に連れてこられた。それであの変な子が自分たちの背中を押して連れてきた。それをそのまま話すと、先生は「私のせいだったー!」と頭を抱えてしまう。
──千松くんが立ち入り禁止だったってつっこんだのは、黙っていよう。
蹲る先生の背に、ウズモは手を置いてゆっくりと先生のせいじゃないよと話しかける。最初に言わなかった自分のせいだから、先生は悪くないと。
ユキヒロ先生は島の外の地域出身で、妖怪の類を見ることはできないが、幼い頃からそういった見えないモノへの畏怖の念を抱き続けていたため、怖がりでもあった。自分にも見える千松に対しても恐れており、話しかけることも注意することも、いつもの倍以上に神経を削る行動であった。その糸が、このことでぷっつりと切れてしまった。泣き叫ぶ先生の声に、校庭の反対側にいた中学生たちも異変を感じて集まってくる。
「なんか、やだな……。大人もこんな大泣きするんだね」
自分の守護霊に小さく話しかけると、大きな問題を起こしたとは思っていない千松はサナギの頭に軽くチョップを落とした。
「お前のせいだろ」
「立ち入り禁止になってるって聞く前に連れてこられたし、あのカマキリを逃がそうとか、思って、ないし……」
「思ってただろ、少しだけだけど。けど、まぁ」
サナギだけが悪いんじゃねえよな。千松は呟くと、自分たちをそこに連れていったシュシュを三つ腕に嵌めた女子児童に近寄ろうとする。児童は何か嫌な予感がして、千松からそろそろと逃げるが、脚の長さの違いから千松が走るまでもなく首を片手で掴まれて、地面に押し付けられた。周りの生徒の何人かが悲鳴を上げるが、怒った妖怪に何もできすただ騒ぐだけだ。
「一番悪いのは、お前だよなあ!?」
自分を覆う大きな影。向けられる狼の腹から出される声と初めて見る動物の怒った目に、女子は口を引き締めて顔を背けようとしたが、首がしっかりと固定されていて、よそを向くことができず溜まった涙を見せることになってしまった。
「なあ!? お前が俺たちをあそこに連れて行ったんだよなあ!
いつ止めた!? 言ってみろよ!
サナギが話を聞こうとしたとき、護役のくせにそんなことも知らねえのかってバカにして、それでこれか? やることがガキくせえんだよ!」
千松が他人を傷つけてしまう。そうしたら、自分たちはここにいられなくなる。すぐにその腕にしがみついて止めようとしたサナギだったが、突然体中に紙やすりで撫でられたような気持ち悪さを感じて咄嗟にあのカマキリがいた陰の方に走った。
嫁、嫁と呼びながら、カマキリがカラーコーンの結解を少しずつ動かしている。先程まで何も考えずにカマキリを見ていたサナギの頭は、そこで身体を這い回るいやな感覚の中で初めて警鐘を鳴らした。
──蟷螂を止めろ!
誰かが叫んだような気がしたが、構っていられない。サナギはその大きく動いた一つを持ち上げて戻そうとするが、軽いはずのカラーコーンはコンクリートでも詰められているのかというほどに重く、成人女性の力ではびくともしない。それを動かす巨大な虫に、サナギは初めて恐れを抱いた。そしてここに封じられた意味も、恐怖という感情からなのだと理解した。
「だめだよ! 暴れちゃダメ!」
サナギは止めようとするも、カマキリは鎌を振り回して動こうともがく。カラーコーンの崩れかけた並びが、だんだん大きく動きだして正方形が崩れていく。
陰の中ではカマキリが、陽の下では自分の守護霊が感情のまま動いているが、サナギに優先順位はない。いや、考えられない。目の前のことが頭を支配していて、なんとしてでもそれを止めなくてはと思っていた。
一方、幼稚な女子児童の首を地面に押し付けていた千松はサナギがカマキリの様子を見に行ってから、体育の授業で校庭にいた男子中学生によって自分が女子児童にやったように地面に押し付けられていた。後頭部には護符が張られており、重いものが押せられたように頬が地面にめり込むほど強い力で押さえつけられる。女子児童は泣いていたが、誰も慰めたりせずに遠巻きにされていて、一人で手で涙を拭い続けていた。
「てめえ、昼間の奴じゃねえか……」
見覚えがある。昼間に顔を見た、よその島の護役の中学生、ケイタだ。黄色い目が、威嚇するように護符を見せつける黒ぶち眼鏡の少年を睨みつけた。
「守護霊なんだから、守護対象から離れちゃダメじゃないか」
妖怪に睨みつけられても、ケイタは怯えた様子もなく話しかける。しゃがみこんで校庭の噂について話そうとしたが、奥から嫁と叫ぶ声で千松をそのままにそちらに走り出した。
「解いて行けよなぁ……」
千松の呻きは、誰にも聞こえていなかった。




