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鳥居の島  作者: 青竹煤
護役サナギ
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境内の猫

 うにゃぁご

 うにゃぁご


 猫が鳴く。

 人間のいない参道から、誰かを呼ぶ声だけが広がってはむなしく消えていく。

 その声は、誰に届いているのだろうか。


 千松を傷つけ、サナギとともに怒らせたマサナリに対して宣戦布告をした日、二人は眠れない夜を過ごすことになった。

 寝息がしない、家具のない狭い部屋。

 敷かれた布団の中で天井を睨みつけ、サナギはマサナリに何をしてやろうかと考えた。

 ──自分がされて嫌なことは、人にしてはいけません。

 施設の先生の言葉を思い出す。本来それは他人の嫌がることをせず、円滑な関係を築いていこうという処世術の一つだが、サナギはそれを良くない方向に活かそうとしていた。


 うにゃぁご

 うにゃあぁぁぁ


 隣の布団で横になる狼に顔を向けると、狼はこちらに背を見せる。

 いつもならサナギの寝顔が見たいからと、何度も目を合わせることがあるのに。


 サナギの守護霊、千松は妖怪である。この島ではそれが異常なことらしい。だからマサナリは千松を悪者にし、改心したと島民に嘘を流して無駄に傷つけた。

 千松が本物の守護霊であったら、自分たちはこんないやな気持にならずに済んだし、今もいつも通り眠れたはずだ。サナギはぎゅっと目をつぶる。

 千松を呼んだのが自分なら、千松がそうなってしまったのもきっと自分のせいだ。

 だからといって、記憶にないことで自分を責める気は毛頭なかった。自分がどうして千松を呼んだのか、そもそも本当に自分が呼んだのか。それすらわからない。

 ただ、千松は自分を守ってくれる。施設の職員たちよりもずっと近いかわいがり方をしてくれる。だから自分は千松が好きだし、離れたくないと思っている。そこに妖怪だ守護霊だという違いなど、あるはずもないのだ。千松は妖怪かもしれないが、本人が守護霊と言う。自分のために存在して、自分をずっと守ってくれる。それだけでいい。それを信じる。

 だから、マサナリが謝るまで戦うのだ。

 作戦は……。


 うにゃぁご

 うにゃぁぁぁぁご


 猫だ。猫をたくさん集めてきて、護役の家に放す……それは魍魎もうりょうでやった。繰り返すとしつこいからダメ。第一、意思のある生き物を使うのがダメだとアキノヒからきつく言われていたし、自分が巻き込まれた側と考えるとそれは迷惑以外何物でもない。


 うにゃぁご

 うにゃぁご


 ねこ、ネコ、猫。

 猫……。

 「うるさい!」

 作戦を立てることを邪魔されたサナギは跳ね起きて、この部屋の唯一の窓の網戸を勢いよく開けた。

 参道及び拝殿を向く窓から身を乗り出して見ると、小さな動くものが目についた。米粒よりは大きいが、ドブネズミより少し大きいくらいか。

 サナギは千松が背中を向けているのを確認するとすぐに寝間着を脱いで護役もりやくの装束に着替え、部屋のドアの部に手をかける。

 「お前の方がうるせえよ。どこに行くんだ」

 苛立った様子で半身を起こした千松が訊くと、サナギは尖った声で返す。

 「外、うるさいから追っ払ってくる!」

 「追い払ってくる? しかしサナギ殿、夜に外に出るなと……」

 マサナリ殿から言われていただろう。そのアキノヒの言葉をかき消すほど乱暴にドアを開き、すたすたと廊下を渡るサナギ。

 足袋の足音が遠ざかっていくのをただ聞いてから、アキノヒは必要以上には何も言わず、観察するように千松を見上げた。ややあって、千松は眉間にしわを寄せて「しょうがねえなぁ」とこぼしてから面倒くさそうに起き上がるのだった。



 猫の声は、初日の夜から聞いていた。

 今までも夜の駐車場や公園で猫の集会が開かれていたことは知っていたから特に気にしたことはなかったが、こうも毎晩──特にイライラしているときにひっきりなしに鳴かれると、気分が逆撫でされる。

 玄関を出て、足元の小さな魍魎も気にせず鳴き声の主を目で探し、

 「ねえ、人間はもう寝る時間なの。静かにして!」

 と大声を出しながら足早に近づき、二歩ほど開けてピタリと止まった。

 参道の石畳の上でウロウロしながら鳴き続ける猫の姿が、月明かりに浮かび上がる。

 身体は小さいのにキジトラの毛並みはパサパサしていて、ウロウロしてはへたり込み、それでも鳴くのを止めない。少し体を休めては、また立ち上がってウロウロと……サナギが出てきた社務所をじっと見つめ、そこに向かって鳴き声を上げる。

 「あっちに何かあるの?」

 その場にしゃがみこんで、サナギはこちらを向かない猫に話しかけるが、サナギなどいないかのように猫は鳴き続けた。

 「そっちは社務所っていって、来た人にお守りを渡したり、細かい仕事をしたりするところだよ。それと、子供やお客さんが泊まったりするんだよ。もしかして、何か取られちゃったの?」

 猫の顔を覗き込もうとするが、猫はやはりサナギなど目に入っていないらしい。

 「そんなに鳴いてたら、のどが痛くならない? 水持ってきてあげる」

 うにゃぁ。

 立ち上がったサナギの耳が、久しぶりの静けさを聞いた。猫を見下ろすと、社務所を向いたままだったがきちんとお座りをしている。月の明るさが、キジトラの背をくっきりと浮かび上がらせた。

 「水などいらない」

 静かな境内で唯一聞こえたのは、はきはきした老婆の声。あたりを見回しても、猫と自分と後から来た千松以外は誰もいない。

 「欲しいのは私の子。

 毎晩泣いていた、かわいそうな私の子だ」


 咄嗟に千松がサナギ脇の下に腕を回して抱き上げ、「バカ!」と短くサナギに怒鳴って参道から大きく離れた。それと同時に、その場にいた魍魎たちも一気に猫から離れていく。

 サナギは肌にザワザワしたものを感じながらも、猫から目を離せずにいた。自分の子が欲しいというのは、どういうことか。護役たちがこの猫の子供を攫ったとでもいうのだろうか。それより、猫と会話をしたことが信じられず、頭の中でそのやり取りを繰り返してしまっていたのだ。


 ドロリ、と猫の身体が融けるように崩れるのが見えた。

 うにゃぁぁぁぁぁご


 猫の形が完全に崩れ、毛皮の下にどろどろの液だまりが広がっていく。広がった泥のような液体は、崩れた脚を伝って再び体を形成し、また崩れを繰り返す。生き物なのどうかも怪しい塊からごぼごぼと喉に水が入ったような声が一度聞こえたと思ったら、そのままの調子で言葉を吐き出していく。

 夏の温い空気がサナギの全身にまとわりついて、あの液体が混ざっているような気がして気分が悪くなった。


 おいで、おいで

 ユウト

 毎日辛いだろう

 こっちにおいで


 広がった液体が、どろりどろりと毛皮の下に集まっていく。元の大きさを超えて人間より大きく、月明かりに白く浮かぶ髭の一本一本はその体に似合わないほどにきれいだった。猛獣のように力強い身体を覆う毛皮の所々が裂けて黒い煙のようなものが漏れ出しては石畳に滴り落ち、やはり脚を上ってまた滴りを繰り返していた。もう猫とは、いや生き物とも言えない。

 「妖怪だったの?」

 「今更気付くな、バカ!」

 猫の妖怪は参道の上で初めてサナギたちに向いた。その顔は猫というより人間に近く、顔に深く刻まれた皺がわかりやすく怒りの表情を作っていた。

 「ユウトを連れてこい。小学生の男の子だ。私の子だ」

 喉から強く息を吐き、化け猫は石畳の上からサナギを睨みつけるので、サナギは千松の腕にしがみつく。何も言えずにいると、千松が口を開いた。

 「ユウトだっけ? そいつをどうするつもりだ」

 「まだ子供なのに大人の枠に嵌められて、毎日いやだいやだと泣いていた。ここから連れていく。ユウトが泣かずに済む場所で暮らす」

 千松はサナギを下ろし、ユウトを連れてこいとだけ言う。サナギが社務所裏の宿舎に目をやれば、部屋のいくつかの窓から明かりが放たれる。玄関からだろう、人が動く音が静かな夜の中でよく聞こえた。

 「ユウトだけを連れてこい。あとは邪魔だ」

 サナギは頷き、宿舎に走り出すのを確認すると、千松は微かに口の端を上げてその場に座り込んだ。

 「お前も、そうか」

 あいつが泣かずに済む場所で暮らす。痛いほどに、身に覚えがある台詞だ。相手がただの妖怪だったら見逃していただろう。サナギの行ってしまった方から、揉めているような騒ぎが聞こえる。まだかかりそうだ。

 「俺も、あいつが安心して暮らせる場所を探して連れ回していたから、気持ちはわかる。けど、見逃してやれねえ」

 胡坐をかいて優しい目を向けてくる狼に、化け猫は大きく威嚇の音を出す。

 「私も探す。ユウトが泣かなくていい場所を探す」


 「だめだ」

 千松の答えは短い。

 自分は守護霊という立場で行動しているが、この猫は死後に妖怪になったものだ。生前に強い執着を持った──特に人間と違う生き方をしてきたものは、妖怪になってもそれに縛られて行動する。思いが果たされた後の考えを持たない。果たされたことに気付かず、それを棄てて同じ目的の別のものを延々と探すだろう。

 どちらも、幸せにはなれない。

 生者との別れを経験したことのない千松だが、おそらくもう二度と会うことのない別れなら味わった。

 感情のままに、千松は言う。

 「お前、もう死んでるんだろ。死んだ奴は、生きてる奴の足枷になる。死んだ奴はおとなしく、生きてる奴の記憶にいりゃいいんだ」

 生者がもういいと言うまで、そこに居座ってやればいい。千松はそこまで言わずに、言葉を切ってて猫を見返す。

 今にも跳びかかりそうな化け猫に対し、狼の妖怪は穏やかな面持ちで視線を交わした。


 「アマミ」

 猫の目が、狼から外れた。石畳の外に立つ少年の姿は、もう猫の知るものではない。熊の爪痕の刺繡が入った護役の装束を着せられ、自信なさそうに背を丸めていた少年の面影が、そこにない。それでも、猫は解った。

 「ユウト」

 ユウトは一人で化け猫の前に立つ。恐れのない足取りで近寄る。何年振りかに目を合わせる。

 「すっかり大きくなって」

 目を合わせてくれなくなったのは、いつからだったろうか。

 自分が死んでからというもの、ユウトは背ばかりが大きくなって、何度呼んでも脚に縋り付いても、声もかけてくれなくなった。

 ユウトを置いて逝ってしまったから、怒っていたのだろう。やはりユウトは自分か守ってやらなければいけなかったのだ。


 感動の再会かに思われたが、ユウトは口をぐっと引き締めて縁石ふちいしの手前で止まり、微かに息を吸い込んだ。

 「力尽くで祓いたくなかったから、何年もお前をほっといた。このままでいれば、そのうち次への道を見つけて行けると思ってたのにな」

 ユウトは顔を横に向け、視線に身を竦ませたサナギを睨む。


 縁石で分かたれる猫とかつての飼い主。アマミもユウトも、そこを超えようとしなかった。

 「ユウト」

 アマミが小さく呼ぶ。

 ユウトの中で、アマミはもう自分の猫ではないということははっきりしていた。だからもう、触れることはない。ここより先に動くこともない。

 足元の玉砂利は静かなまま、ユウトの声だけが流れる。

 「お前はもう、次に行け」

 「いやだ」

 黒い煙を吹き出し、猫のような塊は大きく体を揺らす。

 「死んでから六年も経ってる。充分留まっただろ」

 「一緒に行こう。今度は離れない」

 「行かない」

 ユウトは下げた手を袖の中で握り、しっかりとかつての飼い猫を見据える。

 「オレ、アマミが……命を終えてからも色々あったんだ。

 今じゃ高校生だ。

 アマミがいなかったら、今のオレはない。

 だから、今までありがとうな」

 千松もユウトを連れてきたサナギも、他の護役たちもその様子を見守る。

 ユウトは決してこの化け猫に触れないが言葉は優しく、力尽くで祓うことを避けていた。

 「アマミ。もう、いいよ」

 猫は答えない。しかし、身体から吹き出していた煙は少しずつ空に昇り始めていく。

 「アマミのおかげで、ここが嫌だと思わなくなったから……もう、次に行きなよ」

 「友達はできたかい?」

 「いるよ」

 「無理やり大人のふりをしちゃいけないよ。あんたはまだ子供なんだから」

 「いや、もう十六だし」

 「……いやだ。まだ、まだ……」

 かつての飼い主に胸に頭をこすりつけたかった猫。しかし縁石から出られず弾かれて、石畳にへたり込んで嗚咽を漏らす。

 千松は納得したように目を伏せ、静かに立ち上がるとサナギたちの方を向き、「解散」と両手で払う仕草をした。マサナリも慌てて、みんなに撤退を言う。


 「あのお兄さん、あの猫どうするんだろう」

 部屋に戻ったサナギが呟くと、千松は短く「しらね」と返して布団に入り直した。再びサナギに背を向けて静かになった千松に対し、サナギは着替えながら言う。

 「千松くん昼間あんなに怒ってたから、あの猫の妖怪くらいあっという間にやっつけられそうだったのに」

 サナギに背を向けたまま、千松は答える。

 「夜の俺は優しいんだ」

 「そっか」

 サナギも笑顔で布団にもぐりこんだ。


 しかしそれはそれ、これはこれである。

 明日のマサナリへのイタズラはどうしようか。

 いや、今日はもういい。サナギはやっと落ち着いた気分で眠りにつくことができたのだった。


 プルルルル

 プルルルル

 カチャ


 「ぅあい、北山です……。」


 「オフクロ? ユウトだけど」


 「ゆうとぉ? 久しぶりに電話してきたと思ったら……あんた、今何時だと思ってんのよ。お兄ちゃんならもう寝てるわよ」


 「うん。ちょっと言うことがあって」


 「何よ。明日お兄ちゃんを病院に連れて行くんだから……」


 「アマミがついさっき、オレの小指持って出てった」


 「あんた、寝ぼけてる? アマミはとっくにお空の上でしょうが」


 「ん。そうなんだけどな。それでオヤジとオフクロとアニキの枕元に、ミカンの皮でいいから二週間くらい置いといてくれないかな。みんなの顔見てから次に行くって言ってたけど、連れて行くかもしんないから」


 「あんた何言ってんのよ」


 「こっちじゃ固定電話しか連絡手段がないんだ。明日からミカン、頼むな。おやすみ」

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