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鳥居の島  作者: 青竹煤
護役サナギ
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熊の神様

 熊という生き物は、施設にいた頃にテレビで見たことがある。人間より大きく、その爪は獲物の肉を抉る。あの爪で引っ掻かれたらひとたまりもない──。

 サナギは目の前の熊の手からちらりと覗く黒い爪を見て、喉の奥が固くなる思いがした。

 自分の所の守り神よりも動物の色を濃く残している禊月ヅナを前にすっかり恐れを抱いてしまったサナギは、こわばった表情で自身の守護霊である千松せんまつの着物の袖を左手で握った。


 「時鐘島の守り神様の前だ。そのようなみっともない姿を見せるでない!」

 背後からの怒鳴り声に、サナギと千松の背がびくっと伸びた。振り返れば、案内してくれた護役長の男が丸い顔を赤くしてこちらを睨んでいて、この島に一緒に来た小さな雀の妖怪はその足元でそっと耳を押さえていた。

 「妖怪が拝殿に立ち入るのは不思議ではないが、だからと言って、そんな子供のように甘えた仕草で守り神に拝謁するな!」

 身体は熊、背には怒鳴る護役長。頼れる千松は黙って着物の裾を握らせるだけで、いつものように自分を引き寄せてくれない。サナギは孤独感から背を向けるように、強く着物の袖を握りしめた。

 「聞いているのか、まったく!潜竜せんりょうではそれで許されたかもしれないが……」

 自分が何をしたと言うのか。こんなに怒られるようなことをしたのだろうか。言い返せば火に油を注ぐ結果になりかねないので何も言えず、サナギは黙って耐えようとするが、攻撃が自分に向かっているという事実に泣きそうになる。

 「そこまでだ、マサナリ」

 拝殿中の空気を震わせる声が、その護役長を止めた。

 「ヅナ様、あなたはこの島々の本島の守り神です。それなりの威厳を持っていただきませんと、島の者たちの信仰が」

 ヅナはその黒い目を開け放された拝殿の扉に向ける。何人もの参拝客が、なんだなんだと好奇の目で覗き込んでいた。

 「俺の威厳より、お前の声があれば島の住人たちはついてこよう。

 珍しい狼の守護霊のおかげで人が散らぬ。潜竜の護役と話しがしにくくなったではないか。扉を閉めて、呼ぶまで戻ってくるな」

 しっ、しっと熊の大きな手を払った禊月ヅナは、苦い顔で押し黙る護役長から雀の妖怪に向かった。

 「アキノヒ殿、そなたもこの場を外していただきたい。この二人と話がしたいのだ」

 アキノヒは自分を見下ろす異形の熊と潜竜で出会った二人に視線を投げ、大きく頷く。


 新人護役であるサナギとそのサナギの守護霊である千松。サナギは本島を後回しにしようとしたし、千松はサナギに同調し、甘やかすらしい。この二人だけをよその島に行かせることが安心できなかった潜竜島の二柱の守り神は、物事を公平に見る第三者としてアキノヒに同行を頼んでいたのだ。

 「元より私は潜竜の守り神殿より、その二人と共に島々を巡るよう仰せつかっているだけの身。私は前回できなかった観光をしてまいりましょう」



 怖い護役長マサナリと同行者の雀の妖怪アキノヒが拝殿から出ると、外から拝殿の扉が閉められ、一柱と二人は外の景色ややじ馬たちの視線から遮断された。電灯の白い光が照らす静かな拝殿の中で、禊月ヅナはまず名乗って警戒を解こうとした。しかしご神体の熊の彫像に寄りかかったところでまたサナギが怖がってしまったのを感じ、自分の熊の手に目を落とした。

 「これか?この手が怖いか。しかし、お前も護役だ。慣れてもらわねばならん」

 ヅナはサナギの前に立ち、自分を護るものが何もなくて怯えるサナギの手を取った。

 「俺は野生の熊ではない。話もできる。わかるか? 俺の手は、人間を襲わない」

 守り神は小さい子供にするようにしゃがみこんで相手の両手を取り、警戒心と怯えに満ちた目をじっと見てゆっくりと言葉をかけていく。

「お前の守護霊が、お前を襲わないのと同じだ」

 その言葉で納得したのだろう、サナギの目から恐怖が消えた。


 そうだ、自分は本を読んで知っていた。時鐘島には熊の神様がいること、他にも人間からすれば猛獣と呼ばれる動物の姿をしている神様がいること。重要なのは、守り神様たちは島を護っていることを、冷静になったことで思い出した。


 目にはいまだ警戒の色が浮かんでいて、完全に心を許したわけではない。向かい合うサナギの目を見てヅナはそう感じたが、怖がっている様子はもうないことに重点を置き、ここでサナギの手を放して姿勢を正した。

 「遠路はるばる、よく来たな。華表諸島かひょうしょとう時鐘島ときがねじまの守り神、禊月けいげつヅナだ」


 潜竜島から来た守護霊憑きの新人護役は、サナギですと自己紹介した。頭に結わえ付けた友の角と同じ色のリボンが愛らしく、二十二歳のサナギの幼さを際立たせている。その隣の全身が赤黒い狼の守護霊は千松せんまつといった。千松は神が嫌い、いや憎んでいるに近い。

 この二人は、消える前の幽香と関わりがあった。そのことを訊いてみれば、助けてもらったと答えが返ってくる。


 六年前に幽香が村を出た後も村人たちは幽香のいた社に賽銭を投げていたようで、何度か村の駐在がそれを持って村に戻ってくる意志の有無を訊ねに行っていたらしい。その賽銭として持ってこられた金は、このサナギの身支度用に使われた。

 神と同じ場所にいたくない千松は村の鳥居を潜らず、村の外にいた幽香のもてなしを受けたと言う。

 そして各島の護役たちが呼び出されることになった巣降すふりの大量傷害事件──村人たちへの絶望による神罰を起こして二人をこの島まで案内し、そして……自分の目の前で消えていった。


 「あの妖怪さんは、本当にいなくなってしまったんですか?」

 護役となり、妖怪が見えるようになった今、サナギは幽香に会いたいと言う。どんな姿をしているのか、どんな声なのか。何より直接会ってお礼が言いたいのだと。

 千松はそんなサナギの背後で憐みの目を向けていたし、ヅナもおそらくは千松と同じ気持ちだ。

 「千松くんがあんなに急いていたんだから……死、じゃなくて次に進んだってことですか」

死という言葉を言いかけて恐る恐る言い直すサナギに、ヅナははっきりと答えた。

 「元居た場所に戻っただけだ。お前はもう二度と会うことはないが、俺が向こうに行った際にはお前が礼を言っていたと必ず伝えよう。

 お前たちが潜竜の島に暮らすことになったことも、護役になったことも、ここでどう行動していたのかも、すべて幽香に伝えよう。

 だから、俺に情けない姿を見せるなよ。俺はすべて伝えるからな」

 いつか伝えよう。それはサナギが次に進んだずっと後になるだろうが、それでも俺は憶えていよう。幽香が最後に愛した子供たちのことを。

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