千松の処遇
「君たちは私の家に住むことになったんだからね。家主の言うことには従ってもらうよ」
体中の痛みに負けてぐったりと倒れ込む千松に、ツガは忠告する。
「守り神様たちがいいとおっしゃっても、君たちの態度次第では追い出されることもあり得るんだから、きちんと生活してもらうよ」
クソっ、と千松は心の中で毒づく。しかしここで事を構えては、サナギの住む場所を失わせてしまう。あいつの喜ぶ顔だけは壊すわけにはいかない。
サナギのことを考える千松の鼻が、ふんわりと漂う柑橘系の香りを拾った。そういえば、ツガはなんと言ったか。少し前の会話を思い出し、千松は叫んだ。
「風呂!」
そうだ。ツガは、サナギを風呂に入れたと言っていた。思い出した千松は素早く起き上がり、鼻をひくひくさせ、柑橘系の石鹸の匂いを辿る。洗面所に入ると、石鹸の匂いが強くなった。匂いを追って右を見る。折れ戸だ。待っていると水の音が聞こえた。
「サナギ、そこにいるのか?」
「え?千松くん?」
サナギの声が、折れ戸の向こうで響く。千松は自分の着物の帯に手を掛け、しゅるりと解いた。
「よし、いるな?待ってろ、俺も入る!」
「え?え?ダメだよ!まだ私が入ってる……」
焦りの声が響いた。サナギは仮にも一人の女性であり、異性に身体を見られることに対しての羞恥心は持っている。いくら守護霊だろうと、いつも一緒にいる千松だろうと身体を見られるのはいい気がしない。
一方千松は、サナギの入浴中──逃亡中、川で水浴び程度だがさせていた──に、見張りと偽って陰で覗いていたのでサナギの身体を見ているが、今のこの状況。サナギがすぐそこにいる。この折れ戸を開ければすぐに触れられる。そう思うと居てもたってもいられず、側に行きたい欲求をはっきりと押し出した。
「俺もちゃんとした風呂に入りたい!ていうか、背中流してくれ!そのまま二人で泡まみれになろうぜ!」
いやだ、待っての抵抗の声と音を無視して千松の手が折れ戸に触れる。ここを押せば、サナギがそこに……!
しかしその野望は叶わなかった。ツガが再び札を千松のむき出しの背中に貼りつけたのだ。今まさに風呂場へ入らんとしていた狼がギャッと悲鳴を上げてくずおれた。
「で、てめぇ、何じやがる……」
痺れているのか、まともに口が動かないながらも千松はツガを睨んだ。
「何するって、こっちの台詞だよ。とにかく服を着なさい。サナギが出るまで、私も君に訊きたいことがある」
壁に沿いに本棚が置かれていて、壁の色が見えない六畳間の中央。卓袱台を挟んで二人は腰を下ろしていた。
どんなことを聞かれるのかと千松は身構えたが、ツガが訊きたいことというのは神様が訊きたがった千松やサナギは何者とかという質問ではなかったので千松は拍子抜けしてしまった。千松に対して華表諸島に伝わる守護霊と同じような接し方でいいのか、それとも別の接し方があるのかという、守護霊としての千松への質問だったのだ。それを聞くだけでも千松への礼儀が窺える。何度も攻撃的な札を貼られはしたが、何もしていない千松に対してはツガの態度は実に誠実で、警戒はすっかり解けてしまった。
「できるだけ、俺を守護霊として扱ってほしい」千松はツガに言う。「大分端折られてはいたが、ここのやり方で呼び出されたんだ」
食べてしまったものに興味はない。千松はだからこそ、サナギが以前なんという名だったかも、食べてしまったあの子の記憶も記録も忘れてしまった。しかし漠然と記憶に残っていたものがある。自分が呼び出された時に、あの子が参考にしただろうと思われる雑誌の記事。既に自分の血肉となってしまったそれをもう一度見ることはできなかったが、華表諸島という地名、うっすらと残るその呼び出し方。それが千松の頭に残っていて、逃亡中に出会った妖怪たちにそれとなく聞いていたのだ。
「ここに住むことになったなら、ここの人間が守護霊に対するやり方で接してほしい」
その言葉に、ツガは千松の覚悟を見る。
守護霊とは神通力を持ち、やがて神になる者を指す。しかし千松はそれに当たらない。それでも守護霊として在ろうとするなら……いつか挫折した時、見送ってやるくらいはしてやろう。
「華表諸島のやり方はね、まず神棚に似た小さい家を用意するんだ。神棚は家を守る神様のお家なんだけど、この家は守護霊のものになるんだよ。守護霊が傷を負うと、そこに入って治すんだ。それから、そこに置くお札に守護霊の名前を書く。言ってしまえば表札だ。本来ならばこれらは全部、君を呼び出した彼女のご両親が用意するんだけど……」
「あ、いい。それは俺が用意するわ」
「そういうわけにもいかないよ。守護霊というのは、自分たちの子供を見えない禍いから護ってもらうようにと願いを込めて呼びだすものだからね。だから」
「だから?」
「私が用意しよう」
ツガの申し出に、そこまで言ってもらえるようなことを自分はしたのだろうかと千松の目が丸くなった。思わず、「……へ?」と間抜けな声が出てしまう。
「だから、私が君の家を用意するよ。サナギと君のことは、私に任されたからね」
「おい、さっきからサナギのことは呼び捨てか」
千松は家を用意すると言われた衝撃が反響する頭で、力なくツガに食いつく。ツガは大きく息を吐いて千松を見据えた。
「あのね、君たちのことは私に一任されたんだって。つまり、私はサナギの親になってしまったんだよ。自分の娘をさん付けで呼ぶか?君のことも呼び捨てにするからね」
「仕方ねぇな」
「話を続けるよ。お札に君の名前を書きたいから、括名を教えてくれるか」
ツガはそう言いながら、後ろの本棚の端についている引き出しからメモ帳とボールペンを取り出して卓袱台に戻る。千松はここで口を閉ざした。下手なことを言うと、ここまでの話が消えてしまう。それだけは避けたい。
「千松?名前」
早く言えとばかりにツガはメモ帳にボールペンの先をトントンとつつく。
「あ、あー、それはいいや。千松で」
「だめだよ。私はこういうことはきっちりしなければいけない身分だからね」
守り神にも黙っていたことを、どうすれば誤魔化せるか。千松は黙り込むが、ツガはしつこく千松をじっと見、その口から名前が出てくるのを待つ。
ツガが知りたい名前というのは、守護霊が持つ本来の名前と呼び出された時に貰ったはずの名を足したものだ。
守護霊は呼び出される前から名前を持っている。千松にとってはずっと名乗ってきた「千松」がそれに当たる。呼び出されてから守護霊としての名前、字名を貰うことで、完全に守護霊として活動し出すのである。そしてそれまで使っていた名前と組み合わせたものを括名とし、正式に名乗る時に使われる。これが神棚に書く名前となるのである。わかりやすく言えば、苗字と名前のようなものだ。呼び出されてすぐにあの子の全てを食べてしまった千松に、字名など初めからなかったのである。
千松が黙っていると、洗面所からサナギの救いの声が聞こえた。
「ツガさーん、お風呂出ましたー。これ、どうやって着るんですか?」
これ幸いとばかりに千松は立ち上がる。
「サナギ、服着られないのか?手伝ってやるよ!」
「いいから、君は座ってなさい!」
四枚目の札を貼り付けられ、千松はまた悲鳴を上げて倒れた。
「チックショウ……サナギの裸が……」
逃げたいというより、サナギの身体が見たいだけだったという無念に歯を食いしばる千松であった。




