護役の家
サナギは蝉しぐれの中を、ツガについてその家に案内される。家は社に行く途中に通り過ぎていった一軒家で、二階建ての建物が丘の木々に紛れるように存在していた。サナギが来た道を目で辿っていくと、社はすっかり木々に隠れてしまっていて、かろうじて屋根のダークグレイの地味な瓦が覗く。
玄関の引き戸を開け、ツガは草履を脱いで玄関に上がった。まっすぐ伸びた廊下の突き当りには亜麻色の暖簾がかかっており、壁の右側には四つの襖が間隔を開けてついていて、反対側の壁には襖が大きく間隔を空けて二つ。その向こうにまた襖。
人の家などなかなか入る機会がなかったサナギはじっと奥の暖簾を凝視する。その向こうに何があるのか興味を持った目だ。
「サナギさん、上がっていいんだよ」
ツガの声にハッとして、サナギはお邪魔しますと言ってから靴を脱いだ。玄関を上がると、すぐ左にドアがある。あれは何か訊こうとしたが、ツガからの質問に持って行かれてしまった。
「千松くんとは同じ部屋がいいかな?」
サナギははいと声を出す。
「千松くんは私の守護霊だから、一緒がいいです」
正直なところ、千松と名乗る妖怪はツガにも、この島の守り神たちにも守護霊には見えなかった。しかし本人が守護霊だと言いきるなら、その在り方を信じるなら、その様式に乗ってやるのも流儀だろう。ツガはサナギを奥から二番目の障子の前に案内した。
「では、ここにしなさい。隣は私の部屋だからね」
すると、それまで大人しくしていたサナギが自分にとあてがわれた部屋の右を差して質問し出した。
「あっちの部屋は、何ですか?」
「あれも空き部屋だよ。あっちの部屋がいいかい?」
するとサナギは、茶色の髪を左右に揺らして子供のように首を横に振った。
「それじゃ、あっちは何ですか?」
空き部屋の隣を指すので、ツガはそこも空き部屋だと答える。それじゃあ、あっちは?と自分たちにあてがわれた部屋の向かいの襖を指す。そこはお客様の部屋だという。サナギはその答えに首を傾げた。
「お客さんのお部屋なのに」
そう言って、自分に宛がわれた部屋と客室を見比べ、隣の部屋の襖との間隔が狭いことを指摘した。
「そこを使うのは、人間のお客さんではないんだよ。眠るためだけの部屋だから、広くなくていいんだ」
それでもサナギは不思議そうにしていて、ツガはこれから自分の知っているのとの多くを教えてやらなければいけないことへの責任と、ある種の諦めが混じったため息を吐いている。サナギはといえばその横で、何もない狭い部屋にいたら退屈だから、お客さんと一緒に外で遊ぼうなどと呑気なことを考えていたのだった。
客室のある側には玄関から資料室、客室、洗面所と並んでいて、洗面所の中にトイレと風呂がある。
「今日は一階だけを覚えなさい。二階のことは明日教えるから」
「はい!あの、玄関入ってすぐ左のドアはどこに繋がってるんですか?」
サナギの質問に、ツガはそちらに目をやる。
「あれはこの島の集会所だよ。君たちが来てくれたら、これから掃除が楽になるな」
そう言ってからツガはやっと、人数が増えたことに嬉しさを感じた。自分の部屋のみならず、空き部屋に資料室、台所に集会所、更に二階。昔は護役も複数人いたため手分けして掃除できたが、今はツガ一人。護役としての仕事の傍らではこの家を掃除しきれず、日にちを分けて掃除する部屋を決めていたほどだ。手が増えることは素直にありがたく思う。
「掃除道具はどこですか?」
洗面所の棚にあることを教えると、サナギは廊下の奥を指して「それじゃ」と目をキラキラさせる。しかしツガはもう質問攻めに疲れてしまった。小さい子供が相手ならば辛抱して答えるのだが、どう見ても大人であるサナギには強い声で突き放してしまった。
「あっちは台所だよ!」
知らない人を怒らせてしまったと肩を竦ませ、どうしようと家の中をきょろきょろして両手を胸の前で組んだり握ったりと指遊びを始めるサナギに、ツガは意識せずに睨みつけてしまう。
──神様と話していた時にも思ったが、何だこの幼さは?
視線に気付いておどおどした様子でツガを見上げるサナギは、大事な質問を小さく口に出した。
「本当に、ここに住んでいいんですか?」
「いいんだよ」
守り神様が住むようにと許可を下されたのだ。という言葉はツガの喉から出ることなく、そのままの言葉を伝えてからサナギたちの部屋の障子を開け放つ。
向こう側は雪見障子──下半分にガラスが嵌っており、上半分は障子になっている──で、ガラスを通して廊下、その向こうに外の地面がよく見える。
サナギは一歩、部屋の畳を踏みしめた。その感触を確かめるように二歩、三歩と進み、部屋の真ん中でツガを振り返る。
「ここにいて、いいんですか?」
期待の籠もる声でサナギはツガを振り返る。
「いいんだよ」
ツガは頷いて答える。
「もう、どこにも行かなくていいんですか?」
サナギは笑顔だったが震える声で訊く。
「君たちが、ここにいたいならね」
少し意地悪だった。仮にここにいたくないと言われても、この島の守り神である二柱の龍が下した決定を反故にすることはないのだ。
「いたいです」
そう答えるサナギの頬に、涙が伝う。
「もう、疲れる千松くんを見たくないです。傷つく千松くんを見たくないです。千松くんに、笑ってほしいです……」
──自分より、妖怪を気にしているのか。
人間が一方的に妖怪を想うということには何の不思議もない。人間は何にでも情を寄せる。しかし人間と同じように他人を気遣う千松とこのサナギを見ていて、まるで守護以上の感情が通っているように思えた。二人が話しをするところを見ているとまるで人間同士のやり取りのように思えてしまう。それは千松がツガの知る他の守護霊のように取り繕うということをしないからなのだが、それにしてもあんなにあけすけに話をする妖怪は珍しい。
「ただし、決まりは守ってもらうよ。それと、護役として最低限のことは覚えてもらうからね」
サナギは涙を拭って息を吸い、大きく「はい!」と返事をするのだった。




