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第十一話「漆黒と純白」

 森全体から、地面を震わせる重低音が響いた。


 グラァァァアアア――ン……!!


 耳ではなく、胸郭で聴く咆哮。間違えようがない。レベル0だった僕の右手を歩いた余波で破壊した、あの白い怪物。


「フェンリル……」


 瞬間、視界の色が褪せた。身体の奥に残っていた戦闘の余熱が一瞬で冷え、手が震える。呼吸が浅い。喉が乾く。()()()の感覚が、脳のどこかから勝手に引っ張り出されてくる。


 不思議と右手の甲が疼く。


 あの巨大な影が、こちらを振り返った瞬間の絶望。踏み込みだけで地面が割れる“あの速度”。――逃げたのではなく、“ただ生かされた”だけの現実。


 僕は反射で『網膜』を散らした。


「っ……二つ……?」


 返ってくる魔力の反射が、重い。一つは白。滑らかで、速く、鋭い。


 もう一つは、まるで腐った森の根が動いているように濁った魔力塊。質量が明確に違う。深く沈む黒。“飢えた闇”そのもの。


「子狼がいるのなら、嫁か夫は必要だよな」


「アオ……ォ……」


 幼狼の鳴き声だ。


 そうか。目的は、子ども。


 フェンリルが番を連れ、幼体を回収しに戻ってきた。そして僕は今、その“通り道の真上”でホブゴブリンを殺した。


 洞窟の入口が、外側からふくらむように軋んだ。


 ズシン。


 地面が揺れる。

 白い魔力反応が、洞窟の真正面へ――迫ってる。


「……逃げるしか、ない」


 僕は洞窟を出るために細い側道へ走った。『網膜』で見つけ出したもう一つの出口を目掛けて、這って進む。魔力を散らす余裕もなく、とにかく“距離”だけを考えていた。


 正しい入り口で、轟音。


 ゴガァァァアアアアア!!!


 洞窟の正面が、ひとかたまりの光に消し飛んだ。岩壁が割れて雪崩のように砕け、光苔の緑が舞い落ちる。


「こっちの道に気が付かれる前に……!」


 僕は側道の狭い穴に身体をねじ込み、腹ばいのまま地面に転がり出た。背中をかすめる冷気。あと数秒遅れていたら――多分、半身がなかった。


 森の光が刺す。


「ハァ……ッ、ハァ……っ!」


 息が狂ったリズムで胸を叩く。索敵を再開。白い魔力塊が洞窟の入口から飛び出し、周囲を探っている。


「気づかれる……!?」


 その瞬間。


 もう一つの“黒い質量”が森の左側から迫った。枝が折れ、木が倒れ、地面が削れ――


 ()()()()()()()()が森の陰から姿を現す。彼らは横道を把握した上で、ご丁寧に出待ちをしてくれていた。


 ――『網膜』には、反応がなかったのに。


 自分の能力を過信していた。


 この世界を舐めていた。


 きっと、一ヶ月間も彼らの縄張りで魔力を張り巡らせていたせいで。


 僕という魔力源を察知していて――。


 どうにかして感知をすり抜けるワザを身につけていたのかも――?


「くそ、どうする……!?」


 魔力の反射で向きがわかる。

 二匹とも、僕の方向を見ている。


「――走れ!」


 声にならない叫びが、身体を突き動かした。


 走って、走って、走り逃げて。


 逃げて、逃げて、逃げ回る。


 僕は森の斜面へ向けて、一気に駆け出した。息が剥がれ落ちるみたいに乱れた。胸が焼ける。足が勝手に動く。走る、じゃない。逃げるという動作そのものを行う。


 振り返る余裕はない――けれど、正しい情報を示しているか真偽不明の『網膜』が全部教えてくる。


「白いやつ、追ってきてる……! 速い……ッ! 速すぎる!!」


 森の地形なんて関係ないみたいに直線で詰めてくる。木を蹴り、根を踏み砕き、地面を抉りながら。後方の魔力反射は、ときどき瞬間移動したみたいに飛び飛びになる。


 分かること、一歩が十メートル相当ということだけ。


 白いフェンリル。

 初対面の時とは大きく乖離した力――いや、その比じゃない。


「手加減されてたのか……?」


 考えてる時間なんかない。考えたらそこで死ぬ。膝が折れる。呼吸が止まる。右へ跳ぶ。危険は感応が示す。白い爪が、僕がいた空間を引き裂いて通り過ぎた。


 空気が“裂ける音”が背骨を焼いた。


「っ……!」


 木の根元へ転がり込む。直後、後ろの木が粉砕され、破片が雨みたいに降ってくる。その破片一つひとつが、槍ほどの速度だ。


「避けろ……まだ死ねない……!」


 転がりながら熱を掌に集める。


「フレイム・火壁ウォールッ!」


 発火というより“瞬間の熱暴走”。魔力効率なんて度外視。量で威圧する算段で、足もとの空間に薄い炎の幕を張った。


 白フェンリルが踏み込む瞬間、熱が爆ぜる。


 ズガァァン!


 爆風で木の葉が一斉に裏返り、白い巨体がわずかに怯んだ。


 ――止まった!


 そこを逃さない。僕は蹴り出し、斜面を駆け上がる。だが、後方の“黒い質量”が動いた。


 ドウッ!!!!


 地面がへこんだ。ダークフェンリルが巨大な脚で地を踏み、森が軋む。


 ――やばい。あれで踏まれたら、肉ごと消える。


 黒い方は速度よりも“力”。迫るたびに魔力が地面に染みて、周囲の草木が枯れかけている。僕の視界が、焦げ茶色に染まるほどの“圧”だった。


「フレイム・点閃スパーク!」


 左手を振り抜くと、細かい火花がばら撒かれる。敵を焼くためじゃない。周囲の空気を乱して、“気配の読み間違い”を誘発するためだ。


 白フェンリルがわずかに動きを鈍らせた。ダークフェンリルの追跡線が、一瞬だけ逸れる。その隙に、僕は倒木の影を滑り込むように通り抜けた。


(走れ……走れ……!)


 肺が爆発しそうだった。でも走る。足裏の感覚なんてもうない。ただ、地形の凹凸を『五感』で感じ取り、咄嗟の危険を『第六感』で回避しながらひたすら前へ。


 森の香りが急に変わる。


 斜面が終わる……! あの先、少し開けた場所が――


 そうだ。あそこは、二週間前に潰した小規模のゴブリン村。


 地形が“高台”になっている。


 フェンリルの突進は、斜面の角度が変わる場所で一瞬だけ速度が落ちる。


(そこまで行けば――ッ!)


 背後の白い反応が再び迫る。


 ドガァァァ!!


「っっ!」


 肩越しに見えたのは、白い閃光のような巨影。距離が縮まるというより、“吸い付いてくる”。僕は反射で地面に転がり込み、土魔法を叩きつけた。


「アース・足砕フットシフト!!」


 白フェンリルの足もとが一瞬“沈む”。その瞬間、白が跳ねるように姿勢を崩し、木々へ激突した。


「効かない……! でも、足止めにはなる……!」


 斜面の終わりが見える。かつてのゴブリン村の跡地。囲いの残骸。倒れた見張り台。そこだけ、木々が開けている。


「ッ行けええええ!」


 僕は最後の力で跳び、開けた空間へ飛び出した。同時に――背後で低く唸る声。森を割る、重い、重い気配。


「黒い方が来る……!」


 ダークフェンリルが斜面の上に姿を現した。夜の闇を液状にしたみたいな巨体。黄色い双眸が、僕だけを射抜いている。


 呼吸が止まりそうだった。


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