クレナ・レイウィール
シルビアの家を出て直後。
トンはキースの街の往来を歩く。
曇天は明け方にはすっかりと晴れて、気持ちの良い陽の光が通りを燦々と照らしていた。
それでも街は、昨日の襲撃からまだ時間が経っていないためか人々に活気はない。
壊された店棚や商品を修復しようと、渋い表情の人たちが動き回っている。
普段は修理屋として働くトンは、今自分に直せそうなモノを見かけたら積極的に修理に携わった。
ついつい寄り道をしながら、シルビアことを思う。
トンは、シルビアの元に戻るつもりはなかった。
かつての“相棒”と同じ魂を持つ少女に出会って。
言葉を交わして。彼女の心を固く閉ざす『鍵』を少しでも解いてやって。
あとは、自分の力で歩き出すことができると思う。
なら、自分はここで退いた方が良いとトンは思った。
昨日の序列四位、アランのように、トンのベルグハンマーを狙う輩はこの世に溢れかえっている。なんせ、“悪魔の槌”を持っている以上、トンは特A級の≪ドレイグ≫という重荷も背負ってしまっているのだから。
その荷を降ろすために、トンは必死で序列の頂点を目指しているわけだが、その過程にシルビアを巻き込むわけにはいかない。その途上で、彼女を危険に晒すわけにはいかない。
何のことはない、シルビアには「自分の能力を恐れるな」と伝えておいて、自分は“悪魔の槌”が彼女を巻き込むことを恐れているのだ。笑い話にもならない。
せめて、別れの言葉くらい伝えておくべきだっただろうか。
そんなことを考えて気持ちが少し暗くなっていると、往来を行く顔の中に、トンは見知ったものを見つけた。
先方もそれは同じであるようで、ヘタすればトンより先に気づいていたのかもしれない。
紅い髪を一本に束ねて、目鼻立ちは周囲の目を引くほど整っており、トパーズの瞳がいつも輝いている。そして胸部の実りは年相応の平均値を軽く超えていた。美しいが気の強そうな顔立ちのその少女は、
トンが、キースの街に以前フラリと立ち寄った時に飲食店で出会った少女。……そして初対面の時からあるハプニングにより険悪な間柄となって、できれば街中で顔を合わせたくなかったのだが……。
「……あーー!!いつぞやの変態トンカチ野郎!」
大声で叫ばれた。トンは、その少女――クレナ・レイウィール(十六)にいつぞやの晩の出来事を抗議する。
往来の真ん中でいきなり変態呼ばわりされたトンは、カッとなってがなり立てた。
「藪から棒に人を変態呼ばわりか! ったく! お前は嫌がるお客様の喉にオーダー外の激辛料理を流し込んで悶絶する様を楽しむクレイジーメイドだろうが!!」
「それはあんたがラッキースケベと見せかけて私の胸を揉みしだいたからでしょうが気色悪いッッ!!
受けて当然の報いだわ!あとメイドじゃなくてウェイターよ!」
「だからあれは不可抗力だって! 店の誰かが面白半分で俺の通り道にバナナの皮を置いといたんだよ!
姿勢を崩して何かに掴まった先が、お、お前の――――」
「キャーー! もう思い出させないでよ! 人様に迷惑かけるくらいなら素直に転びなさいよこのドスケベ!!」
「客に転べとは何事だこのド淫乱! お前だって胸掴まれてちょっと色っぽい声出してたじゃねえか!」
「だ、誰がド、ド淫乱よ! それは感じやすいところに指先が触れたから仕方ないじゃない――――って何言わせてんのよこの童貞ーーーーっっ!!」
「どわわっ!!まてまてローキックで足から潰そうとすなマジでッ!お前相当ケンカ慣れしてんな!モブがいきなりこの強さだと今後インフレが心配されるから押さえろオイ !」
「何訳の分からないこと言ってるのよ!てか誰がモブよコラー!いろいろアッタマきた!今度ウチのお店に来たときには、ありとあらゆる嫌がらせを講じてやるわ!」
「……たくよ!お前、そんなに俺に絡んできて、実は俺のこと好きなんじゃないのか?」
トンの意地の悪い一言に、クレナは沸騰寸前と言っていいほど顔を紅潮させる。
「…………!!?ははははははは、はい!!?す、好きって……そうなの?私……。て違う違う!
あ、あ、あんたこそ、俺のこと好きなんだろって挑発に偽装した私への愛の告白でしょ、今の!!?」
「人の台詞をアクロバティックに曲解してんじゃねえよ!! たく、お前と会話してるとどんな揚げ足取られるかわかったもんじゃねー!」
「フ、フン、わ、私は別にあんたのことなんかなんとも思ってないんだからね! とにかく、いいこと?あと一回くらいは私が働いてるあのお店の敷居をまたぐこと、許してあげるわ!どんな目に遭うか楽しみにしてなさい!」
「ハン!行ってやろうじゃねーか。 やられっぱなしでたまるか。 ラッキースケベじゃすまない何かを起こしてやるぜ!」
「え? ホントに、来てくれるの……?やった!…………じゃ、な、くって!! お、覚えてなさいよ!吠え面かかせてやるんだから!」
ビシッとトンを指差して言い放つと、クレナはすたこらと走り去った。なぜか耳まで紅潮していた。
いったいなんなんだ、あいつは……。と、トンはクレナに呆れたが、何だか彼女のおかげで少し気分が晴れた気がした。夕焼けに染まる町並みから離れてトンは、――――丘の向こう、ブーニン神父のいる教会へと向かった。




