リリアーナ(2)
発端、という発端はなかったようにリリアーナは記憶している。
ただ、各地で暴動が起きていると聞くことが日に日に、年々多くなっていったように思う。
暴動の理由は税の負担の増加。王族の浪費が原因だった。
税の増加で一番最初に負担を強いられるのは平民だ。
貴族によって税を加され、負担が増える。
けれど、貴族も無関係ではいられない。
税を増加しすぎると平民によって暴動が起き、増加しないとその分、自分たちが負担しなければならなくなる。
どちらにせよ、王族の権威が失墜していた。
降嫁したとはいえ、リリアーナも無関係ではいられなかった。
ユリウスは公爵領や王城での対応に追われ、邸にいる時間が少なくなった。
使用人のリリアーナを見る目も厳しく、鋭くなっていった。
それなのに、リリアーナに対して暴言や仕事の放棄をすることはなかった。
きっとユリウスがリリアーナに丁重に仕えるように強く言いつけてくれていたから。
リリアーナは真綿に包まれるように優しく丁寧に、守られていた。
けれど、このままではいけないことくらいリリアーナも分かっていた。
当初は王に厳しい教育を受けさせられていたのだ。
今の世情が王族にとって良くないことくらい理解している。
そんなリリアーナがこの邸にいては、ユリウスの邪魔になってしまう。
ユリウスはこの状況を打開するために、ほとんど邸に帰ってきていないのだ。
リリアーナもただただこの邸でユリウスから享受される日々を送っているだけではだめだ。
もうあの王族ではだめだろう。ただではすまない。
きっと処刑されるなり追放されるなりするだろう。
そんな時、リリアーナが降嫁したからといって許されるとは到底思えない。
それくらい王族に対する民の怒りは膨れ上がっていた。
リリアーナも罰を受けなければならない時がついにきてしまった。
ユリウスの元に嫁いでからも、リリアーナは国庫を浪費しているとされた。
すべては民の怒りをリリアーナに向けるために王族が流した噂だ。
そんなこと、結婚したリリアーナができるはずもないのに。
なのに、その噂は信憑性を持って民の間に広がっている。
だから、リリアーナはこの運命から逃れることはできない。
正直、怖くて仕方がない。
何故、自分を冷遇し続けている王族のために己の命を捧げなければならない?何故、あの人たちのために私は貶められなければならない?
そんな思いが膨らんだが、それと同時にユリウスのためだという想いも膨らんだ。
このままでいれば、ユリウスも共犯者だと捉えられかねない。
それだけは絶対に嫌だった。
誰にも相手にされなかった自分に唯一優しくしてくれた人。そんな人まで貶められるのは耐えられない。
私が蔑まれるだけで済むのなら、甘んじて受け入れる。
だから、リリアーナはユリウスに黙って邸を出た。
向かった先は王城。最後のその時を迎えるためだ。
最後に一目、ユリウスに会いたかった。けれど、会ったらこの決意が揺らぎそうな気がして。リリアーナはユリウスに会うことなく、邸を出た。
久々に歩いた王城はなんだか殺伐としていた。
使用人の数も心なしか減っている気がする。
リリアーナが王女時代、使っていた部屋はそのまま残っていた。
王城の隅にある部屋で使い道がなかったからだろう。
少し埃をかぶっていたので、掃除をして、腰を落ち着ける。
ここに来るとあの頃のことを否応なしに思い出させる。
たまに呼び出されたかと思えば、彼らがやりたくないことをやらされた。
リリアーナは使い道のいい道具に過ぎなかった。
そこまで思い出したところで、リリアーナは慌てて首を振る。
王族にされたことを思い出したらこの決意が揺らいでしまう。
そうなったらなんのためにユリウスに黙ってここまできたのか。意味がなくなってしまう。
そう思い、慌ててユリウスとの幸せな日々を思い返す。
どんなに忙しくてもユリウスは一緒に食事を摂ってくれた。
どんなものが好きなのか、嫌いなものはあるのか。今日出された中で一番美味しかったのはどれか。
色々な質問をしてくれた。
それにリリアーナは小さな声で答えた。けれど、その小さな声を一言も逃さず、ユリウスは聞いてくれていた。
それを示すように、リリアーナが美味しいと言ったものは何度も出てきた。
そんな些細なことがどうしようもなく嬉しかった。
だって、今までリリアーナの声を聞いてくれた人は一人もいなかったから。
そんなことを思い出してリリアーナの心が温まる。外の世情とは違い、リリアーナの心はユリウスによってこうも簡単に暖かくなってしまうのだ。
その時を迎えるまで案外早かった。それだけ、国の、王族の権威が失墜していたということだ。
その日は唐突に訪れた。
その日は朝から外が騒がしかった。
リリアーナは何があってもいいように朝は早くから起き、夜は遅くまで起きていた。
だから、いつもとは違う様子にもすぐに気がつくことができた。
ついにそのときが来たのだとリリアーナは覚悟を決める。
時間が経つごとに、外は騒がしさを増し、そこに悲鳴が混じるようになる。
戦闘が始まったのか、剣戟の音、鎧のがちゃがちゃと擦れる音も次第に聞こえ始めた。
けれど、ここまではまだ来ない。
リリアーナの部屋はあの王族の部屋にしては小さい質素な部屋。
浪費癖のある王女だと信じてくれるだろうか。
いや、きっといくらでも捏造されるのだろう。
自分がした覚えのないことで貶められるのは嫌だったが、ユリウスに難がかからないのなら、この身で受け止める。
そうして、覚悟を決めて、扉を見つめ続けてから、一体どれくらいの時間が経ったのだろう。
焦った様子で廊下を走る音がすると思ったら、唐突にリリアーナの部屋の扉が開かれた。
そこにいたのは、この王城に来てから何度も何度も思い出した、ユリウスその人だった。
あまりにも恋しすぎて、白昼夢を見ているのだと思っていた。
けれど、今まで見たことのない焦った様子のユリウスにリリアーナはこれが夢ではないことを知る。
「・・・ユリウス様?何故こちらに?」
ユリウスは武官ではない。文官で、この混乱の最中も、安全なところにいると思っていた。ユリウスは民から慕われていた貴族だったから、一部の王族に媚びていた貴族たちのように処刑の対象にはならないだろうと思っていた。
なのに、何故ここに?
「君を探しに来たからに決まっているだろう?」
ほっと安堵した表情をしながら、ユリウスはリリアーナに近づく。
ユリウスは簡素ながらも鎧を身につけていた。その腰には剣をはいている。
リリアーナの疑問に気付いたのか、ユリウスは口を開く。
「王族に叛意を抱いた貴族は皆この戦いに参加している。王族や王族にへつらっていた貴族たちは皆、捕まえられ処刑されている。・・・君もその対象だ」
分かっていたこととはいえ、思わずひゅっと息を呑んでしまう。
「だから、僕はリリアーナを逃しに来た。一緒に逃げよう」
まさか、そのためだけにここに来てくれたというの?
リリアーナを逃したことが知られれば、ユリウスもただでは済まされないのに。
「いいえ。私は逃げません。もう覚悟を決めたんです」
負けそうになる心を叱咤して、かろうじてそう答える。
「僕は嫌なんだ!君は何もしていないじゃないか。散々虐げられてきた君が犠牲になることは納得がいかない」
そう言ってユリウスはリリアーナの右腕を掴む。
ユリウスは分かってくれていた。リリアーナが何もしていないことに。それどころか搾取されてきたことに。
一緒に暮らしていれば、世間で言われているようなことをリリアーナはしていないことくらい真っ先に分かる。
けれど、それでもリリアーナのことをユリウスはどこかで疑っているのではないかと思っていた。
そんなリリアーナの小さな疑念さえ、ユリウスは易々と払拭してしまう。
耐えきれず、リリアーナの瞳から涙が溢れた。
溢れでた涙はとどまることを知らず、リリアーナの頬をしとどに濡らしていく。
「もうすぐここに兵が来る。見つかれば有無を言わさず処刑される。さあ、早く逃げよう」
その様子をユリウスは見ていたのだろう。
もう生き残っている王族は自分一人かもしれない。
この混乱の最中なら、たとえ遺体が見つからなかったとしても、リリアーナは死んだことにされるかもしれない。
そんな甘い考えが一瞬頭を擡げるが、すぐにその考えを頭から追い出す。
少しの疑念も民の間に残してはいけない。ユリウスが疑われるようなことをしてはいけない。
「だめですよ、ユリウス様。私を逃してはあなたに迷惑がかかってしまいます」
ぎこちなくも笑みを浮かべる。
笑えているか不安だったが、ユリウスの表情を見て、どうやら笑えていることを知る。
ああ、良かった。この後に及んでだけれど、この方に笑顔を見せられた。
「何故。何故君はこの状況で笑っていられるの?」
苦痛を堪えるようにユリウスは悲痛な表情を見せる。
そんなの決まってるじゃないですか。最後の最後にあなたに一目会えた。それどころか会話を交わせた。私はそれだけで幸せですから。対等の人間として扱ってくれたのはあなただけだったから。
「ユリウス様。早く逃げてください。ここにいれば、あなたも」
殺される、と告げようとした時、外が俄かに騒がしくなった。どうやら他の兵士も来てしまったようだ。
ユリウスはそれに備えるように腰にはいていた剣を抜く。
それと同時に扉が遠慮もなく開かれた。そのせいか、扉の蝶番が壊れ、扉が意味をなさなくなる。
複数の兵士の目がこちらに向けられる。
このままではユリウス様が私を逃がそうとしたことがばれてしまう。
リリアーナは咄嗟に剣を握っていたユリウスの腕を握った。
ユリウスだけはリリアーナがしようとしていることに気づいたらしい。けれど、もう遅い。
リリアーナはユリウスに抵抗される前に一気に己が身を彼の剣で貫いた。
あなたに出会えて幸せでした。どうか、私のことなど忘れて幸せになってください。
最後の瞬間、リリアーナはそう思った。




