93. 姉妹のお茶会
少し先を歩くアイリスは、歩き方も美しい。
自分の所作に不安になりながら、リアナは後ろをついて歩く。
アイリスが立ち止まり、ついてきていたメイドの手で部屋の扉が開く。
部屋の中には、深い青のドレスを着たクレアが待っていた。
「待たせたわね、クレア」
「お姉様、お久しぶりです。お会いできて嬉しいですわ」
「えぇ、私もよ」
クレアは席を立つと、アイリスに対して、カーテシーを行った。
貴族に対して行うクレアのカーテシーを客観的に見たのは初めてで、その美しい所作に驚く。
自分はあそこまでできている気がしないのだが、もう少し教えてもらったほうがいいのだろうか。
アイリスとクレアが席に着いたのを確認し、リアナも席に着いた。
「時間をとってくれてありがとう。体調は平気?」
「大丈夫です。昔に比べて、寝込むこともなく、元気に過ごせています」
「そう、安心したわ」
クレアの体調を気遣う姿は、まるで自分を心配しているアリッサのようだ。
その姿に、少し微笑ましくなる。
二人の成り行きを見守っていたら、こちらを見て、アイリスは嬉しそうに笑った。
「そういえば、クレアに伝えたかしら。リアナは私の妹になったのよ」
実際に言葉にされると、少しむず痒い。
嬉しいような、恥ずかしいような。
クレアはリアナの顔を見ると、目を見開いた。
「リアナ、それは本当に?」
「…えぇ。あの紙をいただいて、そこからアイリスお姉様と呼ばせてもらっています」
アイリスから渡された紙は、鍵付きの書類ケースに仕舞っている。
その書類ケースも、家のクローゼットに隠しているのだが、本当にそれでいいのかは、疑問である。
それに、マルクスの紙も増えたのだ。
少しいい金額になるが、金庫を買おう。
「お姉様、ありがとうございます。私、とても嬉しいです。リアナと姉妹になれたら、どれだけ楽しいだろうと思っていましたの」
「まぁ、私もよ。かわいらしい妹が二人もいて、嬉しいわ」
クレアと姉妹というのは少しだけ想像できるが、アイリスと姉妹というのを想像しても、なにも浮かばない。
だが、これから胃が痛くならない程度には、親しくなれると嬉しい。
リアナが淡くそう願っていると、クレアが楽しそうに話し始める。
「お姉様、聞いてくれますか。リアナったら、まだ恋をしたことないのですよ。学院の頃は、それなりには慕われていましたのに」
「まぁ、クレア。楽しそうな話ね」
いや、なにも楽しい話はないはずだ。
生憎、そういったものとは無縁の人生だっただけである。
慕われているというのも、友としてだと思っているし、自分はクレアやアイリスのように、華があるとは言い難い。
今は黒い髪は気に入っているが、昔は母のような藤色の髪になりたかった。
それに、花が開いたかのような母の笑顔は、子供ながらにとても美しく、羨ましかった。
少し懐かしんでいると、自分を置いて、話は進んでいく。
「リアナは殿方の気持ちに疎いのかも知れませんわ。それも魅力ですけど」
「そうね、なんとなくわかるわ。リアナは好意に気付かないってことは。でも、そのおかげで誰にでも平等な態度で接することができるのでは?」
「そうなのです、そこも好きなところですわ」
褒められているのはわかるのだが、少し気になることがある。
アイリスお姉様、なんとなくわかるというのはなんですか?
しかし、既婚者の二人に疎いと言われても、しょうがないのかもしれない。
恋人も好きな人もできたことがない自分にとって、恋愛は別の世界の話だと思っていた。
…それは今も、変わらずだが。
アイリスは楽しそうな表情をこちらに向けて、リアナに尋ねる。
「リアナ、気になる方は?」
「気になる…方ですか」
リアナの頭の中に、一瞬、赤い髪の友人の笑顔が浮かんだ。
確かに、フーベルトのことが気になると言われれば、気になっている。
だが、それはきっと忙しそうにしている友を心配しているというだけだ。
リアナが少し黙り込んでいると、クレアは会話を再開させる。
「リアナは恋の相談に乗るは上手いのですけど、自分のことは、さっぱりで。建築が恋人なのかと思いましたわ」
「クレア、さすがに建築が恋人ではないです。それに、自分が恋をする必要がない程には、相談に乗る方が楽しかったので」
クレアのその考えは、しっかりと否定する。
さすがに、建築が恋人ではない。
学院の頃は、なぜか恋の相談が多かった。
避けられているとか、相手の気持ちがわからないとか。
感情を曝け出すのは、貴族令嬢として相応しくないとされていると、クレアから聞いた時は疑問だった。
家族に言いたいことも言えず、我慢する生活は良くない。
時には相手を呼んで、ちゃんと話し合いをさせたし、気持ちを伝える必要性をしっかりと伝えた。
そのおかげか、周りの友人は幸せな結婚生活を送っていると聞く。
それだけで満足してしまうぐらいには、今は幸せなのだろう。
「そこまで熱中できるものがあるのは良いことね。リアナは、王城の内部に入ったことはあって?」
「王城は遠目に確認したぐらいです。まだ、一度も訪れたことはありません」
昔、レオンに勧められて現物を見ながらの雑談をしようと言われたことを思い出す。
国内の建築物の代表として、王城にクレアと共に連れて行こうとした時は、流石に断った。
だが、自分は王城に勤めておらず、貴族籍もないため、王城の中に入る機会は、余程のことがない限りない。
今、思うと、惜しいことをしてしまったと少し後悔している。
「そう。きっと、いつか内部に入れるわ。その時は、建築について、詳しく説明してくれるかしら」
「私も、ぜひ聞きたいですわ」
その時が来ることは無いだろうが、もしそうなったらきっと楽しそうだ。
きっと、王城を作った材料や技法から、自分の知らないことが見つかるかもしれない。
「えぇ、ぜひ。私も詳しく調べたいです。きっと、使われている素材も技法も、国一番の職人がしているのでしょう。今から、とても楽しみです!」
考えれば考えるほど、リアナは楽しくなっていき、思わず心の底から笑ってしまった。
それに気付き、少し紅茶を飲んで誤魔化す。
きっと、見られてしまっているだろうが、今は許して欲しい。
リアナの様子を気にすることなく、アイリスは優しい笑みを浮かべている。
「ふふ。本当に建築が好きなのね。それは、とても良いことよ。これからも頑張ってね」
「私も応援しますわ。だから、何かあったら、すぐに連絡してくださいね。私とお姉様に」
「えぇ、その場合はそうさせていただきます」
リアナは、二人と約束を交わす。
よっぽどのことは起こらないが、連絡を怠ってはならないことはよく知っている。
これからは連絡する人が増えたようだが、なにも起きないことを願う。
話がひと段落し、紅茶を飲んでいたアイリスが、思い出したようにクレアに声をかける。
「あ、そういえば。思い出したことがあるの、クレア」
「なんでしょうか、お姉様」
「リアナの元へ向かうのはいいけど、平常心は失ってはだめよ。どこで見られているか、わからないのだから」
前回の件は、残念ながらバレてしまっていたようだ。
クレアの笑みは固まり、顔色が悪くなった。その様子は、少し可哀想である。
だが、助けることはしない。巻き込まれたくないので、ぜひ乗り越えて欲しい。
「今度、少し二人で過ごしましょう。久しぶりだから、楽しみだわ」
「…楽しみにしておきます、お姉様」
クレアの美しい笑みは、固まっている。
きっと、昔したという授業を再開するのだろう。
それに巻き込まれないように、リアナは気配を極限まで消す。
後日、クレアはアイリスの授業を受け直し、更に洗練された動きになった。
そのおかげか、夜会に参加したクレアの美しい所作に、更に夫人達の評価は上がったようだ。
それを後日カロリーヌから聞き、リアナは嬉しくて大切な親友を自慢したのだった。




