91. 侯爵家の見つめるものと空を飛ぶもの
隣にハルがいることを確認し、目を合わせ、一度うなずき合う。
リアナは右手をかざすと、いつものように水魔法を使うのだが、いつもより範囲が広いので、少し時間がかかる。
しかし、急いでする必要はない。
細心の注意を払いながら、魔法を制御する。
地道に伸ばし切ると、ハルが風魔法でガラスに風を押し込む。
自分の水魔法が消えかけた時に、左手をかざして火魔法を使い、全体を炎で包む。
その炎が消えると、ガラスが一度眩く輝いた。
出来上がったガラスの状態の確認を手早く行うと、リアナはそっと、ガラスから指を離す。
今日も無事、成功したようだ。
リアナは安堵から、小さく息をついた。
「このようにして作っているのだな。そして、魔法制御も上手い」
「なかなか無い機会に立ち会えて嬉しいです。水と風、その後の火。どれも素晴らしいです」
「お言葉、ありがとうございます」
背後から聞こえる声に感謝しつつ、振り返る。
思ったより近くにいた二人に驚いたのだが、二人の視線の先はガラスに向けられている。
「どうだ、エドワード。あの子もいるだろう」
「久しぶりに見ました。領地では会えますが、ここでは難しいですからね」
「いや、今日はエドワードがいるから大丈夫だろう。久しぶりに出してみようかね」
「ぜひ、見たいです!」
リアナは思わず、ギルバートに願ってしまった。
父から聞いた話で、一生見ることはできないと諦めていたのだが、見られるならぜひ見たい。
リアナの言葉にギルバートは笑顔でうなずくと、エドワードに指示を出す。
「エドワード。阻害魔法を敷地全体に。上空を特に覆いなさい」
「簡単に言いますが、結構大変なことなのですよ…」
「私はあの子を呼ぶので、できないからな。それに、リアナにお礼をしなければ」
阻害魔法とは、一体何なのだろう。
聞いたことのない魔法に疑問が湧くが、侯爵家の独自の魔法なのかもしれない。
「あの、エドワード様。もし可能でしたら、お願いします。無理にとは言いませんので…」
「…しょうがないですね。魔法を見せてもらったお礼をしましょう」
エドワードは笑うと、杖を出し、屋敷全体に魔法陣を作る。
それが一度光ると、眩しさからリアナは目を閉じた。
ゆっくりと目を開けるが、周囲はいつもの風景と変わらず、特に変化は見られない。
しかし、ギルバートの笑みから、成功しているのだろう。
「エドワード、よくやった。さぁ、リアナ。紹介しよう。私の相棒、シエルだ」
ギルバートの詠唱が終わると、空の太陽が急に消え、屋敷全体が黒い影に覆われた。
リアナは空を確認し、目を見張る。
大きなくじらが、優雅に空を泳いでいる。
「わぁ…!」
あれは、確かに大きい。
阻害魔法が必要な理由にも、納得である。
想像していたより大きく美しい姿に、リアナは破顔する。
「とても素敵です!大きくて、美しい!なにより、その体が輝いている気がします!」
「これは…想像以上の大きさですね」
窓枠の調整が終わったのか、隣にフーベルトが立っている。
聖獣が見られたことが嬉しくて純粋に喜んでしまったが、今は仕事中である。
リアナは、少し息を吐くと、気持ちを落ち着かせようとする。
しかし、今後、見られる機会はないかもしれない。
そう考えると、リアナは取り繕うのをやめ、嬉しそうに空を飛ぶ聖獣を見つめた。
そのリアナの背中、ハルは頭突きをして、不満を伝える。
「リアナ。空は飛べないけど、僕のがすごいよ!あれぐらい大きくなれるし。今まで以上、もっと早く駆けられる。それに」
「ハルは今のままで十分よ。それに、昔も今も、ハルが一番だわ」
「そっか。だよね〜」
ハルを抱きしめると、ご機嫌で頭を擦り付けてくる。
その後、シエルと呼ばれた聖獣は姿を消し、太陽が戻ってきた。
フーベルトと職人達の手によって、無事に取り付けられたガラスは、太陽の光で美しく広間を照らす。
「これは、美しいな」
「いいですね。侯爵家のガラスに相応しいです」
ギルバートとエドワードは、そのガラスの出来に満足し、感嘆の声が漏れた。
その様子に、リアナは満足しながら、嬉しさから笑みが溢れる。
昼から始まった作業は、少し時間がかかった。
他の職人は先に帰り、リアナ達は雑談を終えると、商会へ戻る時間になる。
「リアナ。本日はありがとう。良いものを見られたよ」
「いえ、気に入っていただけてよかったです」
「補助装置の方も問題なさそうで、安心しました」
「ありがとうございます、エドワード様」
あの後、補助装置の方も確認してもらったが、問題はないらしい。
そのことに感謝し、リアナは笑みを浮かべる。
「リアナ。こちらを」
「…開けてもよろしいでしょうか?」
「あぁ」
ギルバートは上着の内ポケットから封筒を取り出すと、リアナに差し出した。
リアナが封筒を開けると、名目と日付だけが書かれている招待状が入っている。
その招待者名に父の名前と、なぜか、自分の名前が書いてある。
「これは…」
「自慢すると言っただろう。私は、冗談は言わぬ主義なのだよ」
「しかし、その場に私がいる必要があるのでしょうか。ガラスは無事に、こちらにありますし」
ギルバートの言葉を、社交辞令として受け取ってはならなかった。
自分の中にある、貴族の認識を改める。
しかし、このガラスは商会として発表をしている。
父が呼ばれることには納得できるが、自分が呼ばれても、あまり意味がない気がするのだが。
リアナの質問に、ギルバートは深く笑むと、優しい目をこちらに向ける。
「私は、ガラスを自慢したい。だがそれよりも、建築士リアナを自慢したいのだ」
「…お言葉、ありがとうございます。謹んで、お受けします」
ギルバートは、自分が思っているより、ガラスを作った自分の実力を買ってくれているようだ。
そのことに感謝し、父には相談していないが、リアナは参加することを決める。
「一応、聞いてみるのだが。リアナはダンスを踊れるかね?」
「一通りは。上手ではないかもしれませんが」
「なら、夜会でも問題はないな」
「それは…そうですね」
ダンスは、避けたい。出来ることならば。
しかし、自分にはそれを止める決定権はない。
踊れるようになったとは言え、まだ見知った人以外とは自信がない。
足を踏むことになってもいいように、参加者には、鉄板の入った靴を支給してもらえないだろうか。
リアナが少し現実を逃避している間にも、ギルバートは、このまま話を進めるようだ。
しかし、リアナにとって、救いの声が上がる。
「父上。このガラスが一番、本領を発揮するのは昼間でしょう。夜では、あまり自慢にならないと思います」
「おぉ、そうか。なら、昼以降にするか」
エドワードのおかげで、無事にダンスを避けることができそうだ。
確かに、ガラスを披露するなら、今のように太陽が出ている方が美しいだろう。
話はまとまり、帰りの馬車が用意されている屋敷の入口へ向かう。
「気をつけて帰りなさい。次に会う時は、お披露目会だな」
「楽しみにしております。父と参ります」
「ダリアスに会えるのを楽しみにしているぞ。そう伝えておいてくれ」
「必ず、伝えておきます」
父はきっと、少し嫌な表情をするだろう。
だが、内心は喜んでいるはずなので、楽しみにしてくれるはずだ。
「無理はしないでくださいね。また、手紙を送ります。今回は、いいものを見られました」
「気をつけます。お待ちしております」
エドワードとの文通も、枚数を重ねてきた。
大量の質問が届くのは大変なのだが、それも楽しく返事を書かせてもらっている。
そのおかげなのか、エドワードの研究は順調に進んでいるようだ。
馬車に乗り込むと、商会への道を辿り出す。
リアナは、広間に取り付けられたガラスを思い出す。
空を飛ぶ大きなくじらと鋭い目つきのフクロウ。
その下に並ぶのは、シュレーゲル侯爵家の紋章。
このガラスのお披露目会に、自分も参加することになるとは思わなかったが、きっといい経験になるだろう。
膝で眠る小さなハルを撫でながら、次のお披露目会に着る服について考え、少し胃が痛む。
「リアナ、大丈夫か?」
「えぇ、大丈夫です。ちょっと、次に着るドレスについて、考えていただけで」
「リアナなら、なんでも似合うよ」
「ありがとうございます、フーベルト。なんだか、頑張れそうです」
フーベルトの言葉に、リアナは笑みを返す。
お披露目会には、見知らぬ貴族もいるだろう。
もっとよく効く胃薬を探さなければ、この胃の痛みに耐えられそうにない。
リアナは小さく息を吐くと、頼れる友に相談することにした。




