90. 仕事柄の好奇心
シュレーゲル侯爵家の敷地内、リアナはフーベルトと共に、中庭に立っている。
「リアナ。今日の装いも素敵だな」
「ありがとうございます。フーベルトも素敵です」
リアナの今日の装いは、オリーブグリーンのワンピースだ。
丈は少し長めだが、引きずることはなく、体型に合わせて作られているので、動きやすい。
フーベルトの装いは、濃灰色の上下に同系色の一段明るいシャツ。落ち着いた印象なのだが、よく似合っている。
「ハルさんも素敵です。リアナの瞳の色ですね」
「ありがとう。今日は僕がお揃いだね」
その横、ハルも、先日のクレアのお茶会で用意された紫色のバンダナをして、誇らしげな表情をしている。
今回のガラスの入れ替えのために、連れてきた職人達が作業するのを見守りながら、リアナは、自分の体に力が入るのを感じる。
中庭に用意した仮設の作業場で、職人達は透明ガラスを木枠に嵌め込んでいる。
試作品の他、クレアとアイリスにガラスを作ってきたが、それに比べると大きさが違う。
「今回はかなり大きいですね」
「そうですね。少し緊張しています」
「リアナなら、大丈夫。今日も成功させられるよ」
「ありがとうございます。頑張りますね」
今までで一番大きいガラスに少し緊張していたが、フーベルトの言葉で、少し和らいだ気がする。
他の机に並ぶ色ガラスは、ギルバートが自ら選んだものであるため、普段、商会で使用するものより、いくらか等級が高い。
小さくした破片を指で持つと、太陽に透かす。
その美しさに、力が入った体が緩むのを感じた。
ここまで美しいガラスは触る機会がないので、少し製作が楽しみな気持ちもある。
リアナは色ガラスを机に置き、優しく指先で触れていると、屋敷の方角、リアナの背後から声がかかる。
「今日をとても楽しみにしていました。立ち合わせていただき、ありがとうございます」
「いえ。エドワード様にとって、良き成果が得られるといいのですが」
エドワードは前回とは違い、艶やかな黒に縁取りのあるローブをまとっている。
立ち会いが終わり次第、仕事へ向かうのだろう。
身につけているローブから、王城に勤める魔導士はであることはわかるのだが、普通の魔導士のローブとは、縁取りの色が違う気がする。
ローブについて考え込んでいると、エドワードはリアナの横へ、笑顔を向ける。
「初めまして。私は、エドワード・シュレーゲル。これからよろしく頼むよ」
「お初にお目にかかります。私、フーベルト・ウィーズと申します。お会いできて、光栄です」
「フーベルト。私のことは、エドワードと」
「お気遣いありがとうございます。エドワード様」
エドワードはフーベルトに手を差し出すと、それに手を合わせて、硬く握り合う。
しっかりと握手をする二人に、少し羨ましくなる。
自分も男であれば、ここまで気をつける必要もなく、握手を交わせるはず。
いっそのこと、性別を変える魔法がないのだろうか。
他国で姿を変える魔法はあると聞くし、一時的には可能な気がする。
ローブに引き続き、魔法について考えるリアナは、笑みを浮かべたまま、話を傍観する。
「さて、挨拶は終わったな。リアナ、私もとても楽しみにしていたぞ!」
「ありがとうございます。最善を尽くさせていただきます」
ギルバートの声に、リアナは思考を断ち切る。
前回の打ち合わせの後、ギルバートはお忍びで商会に来て、父を驚かせていた。
しかし、ガラスの素材まで気にかけるとは、さすが侯爵家である。
その期待にしっかりと応えなければ。
リアナは、他の人に気付かれぬように、小さく息を吸うと、背筋を伸ばす。
「これから、作業を始めます。まずは、色ガラスのカットと既存の窓の撤去、窓枠の調整を行う予定です。なにか気になることは、ありますか?」
「いや、ないな。エドワードは?」
「ガラスのカットはどのようにするのでしょうか?」
「私の召喚獣、ハルが作業を行います。風魔法を使い、ガラスを切りますので、近付かないようにしてください」
「風魔法でカットを。それは楽しみですね」
エドワードは楽しそうな目で、ハルを見る。
自分はその作業に子供の頃から見慣れているが、ガラスを風魔法で切るのは珍しいのだろう。
「では、私はガラスを外してきます。そのまま、窓枠の調整に入ります」
「お願いします、フーベルト」
フーベルトの申し出を受け入れ、既存の窓ガラスを任せると、リアナはハルと目を合わせる。
並んで隣に立ち、少し中腰になって目線を合わせると、声を潜めて会話をする。
「図案通り、任せてもいい?」
「大丈夫、毎日のように見ていたから、覚えているよ」
「頼もしいわ。お願いね」
「任せて。今日も僕、華麗に切り刻むよ!」
やる気に満ちあふれたハルは色ガラスの前に立つと、風魔法を使い始める。
それを見ているエドワードは、とても楽しそうに紙に何かを書き始めた。
毎日のように図案を見ていたハルは、迷うことなく、正確にガラスを切っていく。
しかし、もっと他の言い方はなかったのだろうか。
切り刻むと聞けば、玉ねぎのみじん切りが浮かんでしまうのだが。
ハルが切ったガラスを少しずつ回収しながら、図案を確認しつつ、透明ガラスに並べていく。
リアナの作業を見ながら、ギルバートは顎に手を当てて、少し考えている。
「そのガラス、一体どうなるのかが楽しみだ。ダリアスの話では、一枚ものになると聞いたが」
「はい。ステンドグラスに似たものになります。しかし、通常の場合とは違い、繋ぎ目に仕切りを入れないため、また違った楽しみ方ができると思います」
手を動かし続けながら、ステンドグラスとこのガラスの違いを簡単に説明する。
ギルバートはまだ、ガラスの完成品を自分の目で見たことがない。
今あるのは、クレアの別荘とアイリスの本邸にある二枚だけ。
できるならば、今後、貴族の屋敷だけではなく、街の風景にも、このガラスが見られる日が来ると嬉しい。
「ほう。それがここに入るのか。ぜひ、皆に自慢したいものだ」
「それは有難いことです」
リアナは、ギルバートのお世辞に感謝しつつ、ハルがガラスを切り終えたのを確認する。
「では、私はこのままガラスを並べますので、少しお待ちください」
「いや、私も手伝おう。良い思い出になりそうだ」
「ぜひ私も。並べるだけでも、時間がかかるでしょう」
「お言葉に甘えさせていただきます。こちら、お使いください。父からです」
リアナは鞄から、皮でできた黒い手袋を渡す。
朝、商会を出る時に父に渡されたのだが、特に渡すだけで何も言っていなかった。
しかし、ギルバートと付き合いが長いため、こうなることが予期できたのだろう。
「ダリアスが。あいつはいつも気がきくな」
「ダリアス様に感謝を。よろしくお伝えください」
「はい」
リアナは、二人が手袋を身につけたのを確認し、図案を見ながら色ガラスを並べていく。
「ここはこれか?」
「少し形が違いますよ。父上、こっちでは?」
「おぉ、そうだな」
ギルバートもエドワードも、初めてやることなので、楽しめてやれているようだ。
思い出作りという点において、先程のギルバートの提案はいいかもしれない。
希望する人には、今度参加してもらおう。
今後のガラスの仕事について考えながら、リアナは液剤を用意する。
今日は、作った液剤を持ってきた。
ガラスが大きいことで使用する液剤の量が多く、その場で作るのも、なかなか力がいる。
そのため、商会のみんなで手分けして作ってもらった。
ギルバートが最後のガラスを並べ終えると、リアナは液剤の入った容器の蓋を開ける。
「では、これからガラスを製作します。少し、離れていてください」
「そうしたいところではあるが。魔導士としては、初めて見る魔法は近くで見たい気持ちがあるな」
「そうですね。ぜひ、私も近くで見たいです。とても、興味があります」
魔導士としての血が騒ぐのか、出来るだけ近くで見たいようだ。
だが、リアナもその気持ちはよくわかる。
他の職人がしている仕事がまだ見ぬものだったなら、とても興味が湧く。
出来れば、心ゆくまでじっくりと眺め、学びたいものだ。
「水魔法、風魔法。こちらは問題ないのですが、火魔法で炎が出ます。触れないのでしたら、近くで見ていただいても構いません」
「では、お言葉に甘えさせていただこう」
「よろしくお願いします」
リアナが注意事項を伝えると、二人は背後に立つ。
動きが止まったのを確認し、リアナは宣言する。
「では、魔法を使います」




