09. 道中の説明
子供の頭を撫でながら、リアナは密かに癒される。
「あのね、これ、ありがとう!」
「どういたしまして。もういいの?」
「大丈夫!またリアナのにおいがついたら、貸して」
満足した様子の子供から上着を受け取ると、再び袖を通した。
しかし、そんなに匂いがするのだろうか?
自分で嗅いでも、ほのかな石けんの香りがするだけで、特に匂いがしないのだが。
「ねぇ、私ってどんな匂いがするの?」
「うーんとね……あったかくて、優しくて、ふわふわしたにおい!」
「ふふ、そうなの。ありがとう」
なんてかわいいらしい表現なのだ。
子供の頭を撫でながら、身体の傷について確認する。
「傷はもうない。これなら大丈夫そうね」
傷は綺麗になくなっており、もう医者に見せなくても大丈夫そうだ。
子供の怪我が改善されたことを自分の目で確認でき、ほっと胸を撫で下ろす。
「大丈夫だよ。ぼく、強い子だから」
「そうね。強い子かもしれないけど、もう少し確認させてね」
「はーい」
他にも問題はないか確認していると、子供の反応が少しずつ遅くなる。
山で迷子になってから、ずっと気を張っていたのだろう。
傷も治って安心できたのか、瞼が重くなり始めているようだ。
「レオン様。厚かましいお願いなのですが、子供が眠そうにしているので、どこか眠る場所を用意していただけないでしょうか?」
「それなら、この屋敷には使っていない客室を使ってくれて構わない。すぐに整えよう」
「お気遣い、ありがとうございます」
レオンに感謝しつつ、一度子供から離れようとすると、服の袖を掴まれた。
「ぼく、ねむく…ない。リアナと一緒…」
眠さより寂しさが勝ったらしい。
だが、自分がずっと付き添ってあげることはできない。
「リアナ嬢。そのままその子を見ていてください。すぐに用意させますから」
「…?わかりました」
レオンが背後の従者に指示を出すと、従者はすぐに屋敷に向かった。
その後ろ姿を目で追っていると、腕に抱きつく感覚があった。
「ほんと…ねむくない…」
「そうなの。でも、ふわふわなお布団で寝たくない?とっても気持ちいと思うわ」
「リアナ…いない…なら…ねない…」
子供は頭を上下に揺らしながら、頑張って起きていようとしているが、限界は近そうだ。
しばらくすると、屋敷の中へ戻った従者がメイドを引き連れて戻ってきた。
その手には、敷物と大量のクッションを持っている。
「はぁ〜」
あの敷物と大量のクッションをどうするのかーーーリアナが少し考え込んでいると、ハルは一度大きなため息をついた。
そして、子供を少し強引に椅子から降ろし、自分の背中に乗せたハルは移動し始める。
「ハル…ばか…」
「はいはい」
ハルの突然の行動に少し抵抗を見せた子供も、眠さから抗う力もなく、あまり効果はないようだ。
そのハルの後ろを従者とメイドが付いて歩き、木陰になっている場所に着くと、テキパキと動く。
ハルは用意してもらった休憩スペースの大量のクッションの上に、子供を優しく降ろした。
「ほら、よく見て。あそこにリアナは見えるでしょ?」
「…ほんと…いる。ありがとう、ハル…」
最初は少し不服そうな表情をしていた子供も、リアナの姿が見えることに安心し、ハルの頭を撫でながら、そのまま眠りの世界へ誘われていく。
その横でハルは体の大きさを縮め、大人の猫のサイズほどになると、子供の横で丸まってくっつき、目を瞑った。
「ふふ。かわいい」
仲良くくっついて寝る姿はとても可愛いし、癒される。
自然と溢れる笑顔のまま振り返ると、父とリックの目が点になっていることに気付いた。
子供の存在を知っているのは、自分以外にレオンとクレアだけ。
ハルとふたりで来ると思っていたところに、見ず知らずの、しかも先程まで傷だらけの子供を連れて仕事先に来ているのだ。
二人が驚いてしまうのも、無理はない。
それに、自分はここに来るまでの経緯について、まだ誰にも説明をしていない。
「リアナ嬢、説明を」
その声にリアナは視線を動かし、もう一度、子供が木陰でぐっすりと眠っているのを確認する。
安心して眠っている子供の姿に安堵しつつ、視線を戻すと、ここまでの道のりについて思い出しながら話し始める。
「いつもとかわらず、ハルと共に山を越えてここまで来ました。しかし、その道中、濃い霧に包まれまして。しばらくその霧の中で彷徨っていました」
「霧とは?今日は朝からよく晴れていて、山にも街にも霧はなかったようですが?」
「え?濃い霧が出ていましたけど…」
あの霧は、一時的なもの?
だが、霧の中で20分以上は彷徨っていたはず。
「濃い霧……ね。わかった、その話は今は置いておこう。それで、あの子はどうしたのかな?」
「濃い霧の中で彷徨っている途中、偶然出会いました。親は近くにおらず、探している様子でしたので、ひとまず保護を。どうやら霧に包まれて迷子になったみたいです」
「迷子……迷子か」
「そんなことがあったのですね。リアナが無事で本当によかったですわ…」
「伯爵夫人の言う通りです。リアナちゃんが無事で本当に良かった」
リックの声に反応し、その隣の父を確認したのだが、どこか遠くを見ており、目が合わない。
クレアはまたリアナと手をつなぎ、再び離さなくなった。
その隣、レオンも子供の方へ目線を向けながら、なにか考え込んでいる。
クレアが気にしているのは、きっと霧のことだろう。
心配かけたのは申し訳ないが、本当にただの霧の可能性もあるので、そこまで泣きそうな表情をしないでほしい。
「クレア、心配しすぎよ」
「でも、もしもあの霧だったらと思ったら…怖くて…」
「ほら、私はなんともないでしょう?」
「……それでも、心配するわ」
リアナは席から立つと、クレアを抱きしめて背中を優しく撫でる。
「私はここにいるわ、クレア。大丈夫よ」
「…ふふ、そうね。リアナが無事でよかった」
クレアが落ち着いたのを確認し、今度はリアナから手をつなぎ直すと席に座った。
リアナが座ると同時にレオンは顔を上げ、話し始める。
「まず、その子の親はこちらで探すので、その間はリアナ嬢に世話を頼んでもいいかな?無理なら言ってくれ」
「はい、大丈夫です。お受けいたします」
「助かるよ。もちろん、ここにも連れてきてくれて構わないから」
「ありがとうございます。お気遣い、感謝いたします」
子供の親を探すのは、レオンが代わりにしてくれるようだ。
子供を預かっている間の世話は少し大変かもしれないが、これも何かの縁。
少しの間だが、協力して生活していこう。
それに、ここに連れてきていいと許可が出たため、目の届く範囲にいれるようだ。
「あと、必要なものはこちらで全て用意しよう。遠慮なく、クレアに言ってくれ」
「ありがとうございます。その時はぜひお願いします」
今、すぐに必要になりそうなのは、子供用の服だろう。
しかし、子供が着せ替え人形をされそうなので頼みにくい。
そんなに枚数は必要なさそうなので、仕事の帰り道にでも買って帰ろう。
リアナの言葉にレオンは頷くと、少し表情を引き締めた。
「今回の霧については、こちらで調査しておく。しばらくは山を越えず、一人での移動は控えて欲しい」
「わかりました。以後気をつけます」
リアナが体験したあの霧は、どうやら調査案件になったようだ。
関係ないと思っていた分、少し楽観的な考えが崩れる。
リアナの言葉を聞いたレオンは、少し目を丸くする
「住んでいる家に帰れなくなるのだが、問題はないのかい?」
「今日から父の暮らす家に、ここでの仕事が終わるまでの期間、滞在する予定でした。なので、そのことについては問題ありません」
今日から始まるこの屋敷の仕事の期間は、父の家に一緒に暮らす予定である。
移動は基本父と一緒になるし、山に入らないので霧に遭遇することもない。
「そうか。それは良いことですね、ダリアス。今日から賑やかになりそうで」
「はい、娘達が来ただけではなく、新しく家族が増えたので嬉しい限りです」
先程まで、遠い目をして黙っていた父も会話に加わる。
そのまま雑談も交えつつ、最終的な打ち合わせをしていっているのだが、クレアにはまだいつものような元気がない。
「クレア。………」
「………っ!」
そんなクレアを気にかけながら話を進めていると、レオンがなにか耳打ちをしているのが目に入った。
なにを言われたのかわからないが、クレアは一気に笑顔になり、目を輝かせる。
元気になったのはいいことなのだが、なぜこちらを見て、嬉しそうにしているのだ。
もしかして、また自分は、クレアに売られたのではないのだろうか。
レオンの方を見たが、やはり目は合わない。
「ねぇ、リアナ。私、本当に心配いたしましたのよ。お詫びに、なんでも言うこと聞いてくれるでしょう?」
話がまた雑談に移行したタイミングで、満面の笑みで自分に聞こえる声量で話し出したクレアに、何も言い返せない。
それに、この疑問形はほぼ強制的なものであると、自分はよく理解している。
なんでもとは言いたくないが、心配かけたことには変わりはない。
しかも、お詫びと言われているが、それには納得がいかない。
私はわざと巻き込まれたわけではない。
不慮の事故だったのだ。
そう説明しても、きっと彼女は別の言い方に変えて同じようなことを言うのが容易に想像できる。
そのため、リアナはなにも反論はしない。
「………クレア」
「なぁに、リアナ」
嬉しそうに笑うクレアの表情を見て、リアナは折れることにした。
それに、今日はクレアとの約束を叶えるための大切な初日で、そろそろ準備や仕事仲間とも打ち合わせも始めなければならない。
クレアの期待に満ちた目を見つめると、リアナは美しい笑みを浮かべた。
「なんなりとお申し付けください、クレア様」
「ふふ。さすがリアナね」
クレアは嬉しそうに微笑み、早速メイドと話し合っている。
着せ替え人形になることは既に確定しているが、それ以外にもなにを願われるのだろうか。
もう、不安しかない。
「では、ここからは全て任せます。期待してますからね」
そのレオンの一声で、この集まりは解散した。
リアナは椅子から立ち上がると、手を握り込むと少し気合を入れる。
今日から一ヶ月かけて、この屋敷で仕事をする。
いつもより責任もあり、緊張もするし、不安な気持ちもある。
しかし、出来上がりを考えると胸が熱くなる。
「ハル、打ち合わせに行ってくるわ。かわいい子のこと、お願いね」
返事の代わりにしっぽを揺らすハルを確認し、リアナは集まってきた仕事仲間の元へ向かった。




