80. 赤い犬と見た目
宝石店の工事の打ち合わせを何度か重ね、計画は順調に進行している。
打ち合わせの際、リアナが描きあげた完成図の絵を見せたら、とても喜んでもらえた。
今度の打ち合わせの時には、仕入れた珍しい宝石を見せてもらえることになっている。少し、楽しみだ。
そう。それはよかったのだが、リアナは、今、とても困っている。
宝石店の帰り道、背後から話しかけられた。
前回、自分に声をかけたのは、アドルフだった。
そんなこともあったなと振り返ったのだが、見覚えのない青年が立っていた。
「失礼。あまりにも綺麗な花が咲いていたために、声をかけてしまいました。私に、貴女の名前を教えてくれませんか?」
紅緋の鮮やかな赤色の髪は風に揺れ、こちらを嬉しそうに見つめる赤い目は細められている。
学院の生徒なのだろう。自分も昔に着ていた制服に懐かしさを覚える。
だが、それはそれ、これはこれである。
リアナはそのまま一回転すると、元の道を歩いて帰る。
商会への道を歩きながら、横で話しかけてくる青年を適当にあしらっているところだ。
「せめて、お名前だけでも」
「…名前はありません。知らない人には、教えません」
「失礼しました。みんなからは、レイと呼ばれています。どこのコースの方ですか?自分は騎士のコースに通っています。二年目です」
なぜ、学院に通っている設定で話を進めているのだ。
騎士ならここで油を売るのではなく、剣を振っていてください。
そう思うが、自分より年下の彼にあまり冷たくするのも良くないかもしれない。
仮に爵位を持っていた場合、それはまずいので、リアナは真摯に答える。
「私、卒業生です。学生ではないです」
「そんなこと言って。誤魔化さないでください」
誤魔化してなどいない。
真実を伝えただけなのに、なぜ驚かれる必要があるのか。
「あの、本当です。まだ、仕事がありますので」
「ちょっとぐらい、いいじゃないですか。一度、食事をしてくれるだけでもいいです」
「食事は、父も同伴でいいならお受けします」
「それだと、二人で会話ができないじゃないですか」
「いえ、父がいてもできますから…」
遠回しにお断りをしているのだが、通じていない。
リアナは商会への道を、少し早歩きする。
商会についてしまえば、そのまま逃げ込める。
場所がバレるのは、少し嫌なのだが。
そんな事を考えているリアナの隣をついて歩くレイは、少し寂しそうに目を伏せた。
「では、どうしたら名前を教えてくれるのですか…?」
少し、ほんの少し罪悪感を覚える。
そのレイの姿が、叱られて耳が垂れた犬のように見えてしまった。
だが、教えることも、今後会うこともない…はずだ。
「商会の方へ、仕事を依頼していただけたらと思います」
「どこの商会ですか?依頼します!もちろん、貴女を指名しますから」
やる気に満ちているレイの姿は、しっぽをブンブン振っている犬のようだ。
少し、かわいい。
しかし、レイの様子からして、これは本当にしそうだ。
適当に、話すべきではなかったようだ。
仕方がなく、リアナは商会の名前を伝える。
「…フォルスター商会の者です。まだ一人前ではないので、指名はできません」
「知っています、まだ学生ですもんね」
「いえ、もう大人です。前の冬に、21歳になりました」
「同い年か、少し下にしか見えません。けど、貴女がそういうなら、そういうことにしておきます」
待って欲しい。それはないでしょう。
正真正銘、21歳であり、学院を卒業済みである。
これは、若く見えることを喜んでいいのか、お世辞と受け取ればいいのか、判断がつかない。
リアナが少し考えていると、レイは前に立ちはだかり、真剣な目を向ける。
「人生で初めて、一目惚れしたんです!お願いです、チャンスをください」
おやつをもらう前の犬のようだ。
振り回されているしっぽが見える気がする。
やはり、レイはかわいいかもしれない。
しかし、現実はそこまでうまくはいかない。
それを、人生の先輩として、教えてあげよう。
「思春期独特の一過性の症状です。勘違いですよ」
「では、この胸の高鳴りも?」
「はい。そうですね」
「今日出会えた奇跡も?」
「偶然です。運命ではありません」
胸の高鳴りも運命も、存在はしていない。
だが、諦めようとしない姿は、素敵だとは思う。
自分が本当に学院の生徒ならば、仲良くできたかもしれないが、実際は違うのだ。
全ての疑問を一刀両断しているリアナに、レイは諦めきれていないようだ。
リアナが少し困っていると、背後から聞き慣れた声が聞こえた。
「リアナ?」
「リアナさんっていう名前ですか!名前も可愛らしいです!」
この窮地を脱するための救世主が現れた。
レイに、自分の名前がバレてしまったが、今はどうでもいい。
フーベルトの姿を見て、リアナはいい作戦を思いついた。
許可は得ていないが、きっとフーベルトなら許してくれるだろう。
リアナはフーベルトの横に立つと、レイに紹介する。
「ほら、よく見てください。この人はフーベルト。私の恋人です」
「嘘です。恋人なら、距離がもっと近いはずです。それに、恋人らしさがないです」
「こ、恋人です!付き合い始めたばかりなので!」
「でも、まだ結婚はしてないですよね?なら、チャンスがありますよね」
なんと強い、鋼の精神なのだ。
騎士としては良いが、今、それは必要ない。
恋人がいるといえば、どうにかなると思ったのだが、そういうわけではないようだ。
リアナがどうしようか悩んでいると、フーベルトが耳打ちする。
「リアナ、後で怒ってくれ」
「え?」
フーベルトはリアナの手を取ると、しっかり握り込む。
そして、こちらを見て優しく微笑むと、甘い言葉を囁く。
「リアナは私の愛する人です。あまり、からかわないでください」
リアナはフーベルトの突然の行動に、動きが止まる。
そして、理解が追いつき、顔が真っ赤になった。
「フ、フーベルト…?」
「どうした?俺のかわいいリアナ」
なんなのだ、その言葉は。
フーベルトは話を合わせてくれているだけなのかもしれないが、リアナはそんなことを気にする余裕はない。
しかし、リアナの様子を見ていたレイは、悔しそうに表情を歪めると、一度うつむく。
「その反応は…本当なんですね。でも、俺、諦めませんから!仕事、頼みますからー!」
レイは顔を上げると、リアナに色々伝えながら、走り去っていった。
その姿を唖然と見つめていたリアナに、フーベルトは手を握る力を強める。
「さて、リアナ。説明してくれるか?急に、恋人だなんて」
「あの、手。手を離してくれたら、説明しますから…」
「だが、離したら、どこかに行くだろう?」
「…商会に戻るだけです…」
「じゃあ、商会まで一緒に戻ろう。その間に、聞かせてくれ」
手を離してくれたが、いつもより距離が近い気がする。
今、話さなければ、商会で聞かれるだろう。
それに、フーベルトは協力してくれた。聞く権利はある。
リアナは頭を整理しながら、フーベルトに説明をする。
「愛の告白を、されました。一目惚れしたと」
「一目惚れか。リアナは魅力的だからな」
「……ありがとうございます。なので、断っていたんですけど、なかなか諦めてくれなくて。その時、ちょうどよくフーベルトが声をかけてくれたので、頼るしかないと…」
「そうか。まず、頼ってくれてありがとう。次からは、説明してくれると、嬉しいのだが」
「…すみません。迷惑かけました…」
「いや、迷惑ではないよ。むしろ、光栄というか」
なんと、優しい友を持ったのだろう。
自分を気遣ってくれるフーベルトに感謝しながら、レイとの会話を思い出す。
そこで浮かんだ疑問を、フーベルトに尋ねることにする。
「フーベルト。一つ、聞いてもいいですか?」
「なんですか?」
「私、何歳に見えますか…?さっきの方は、同い年か少し下と言っていたんですけど…」
リアナの質問に対して、フーベルトは急に立ち止まった。
自分的には、大人っぽいお姉さんに成長している予定なのだ。
それなのに、レイは同い年か少し下と言った。
とても、納得できない。
急に立ち止まったフーベルトを確認するために、リアナは振り返る。
すると、フーベルトはうつむき、肩を震わせていた。
「…フーベルト、笑っていますね。もういいです、聞きません!」
「いや、待ってくれ。確かに、リアナは幼い顔をしているが、年齢という括りで見たことがなかったからで」
「…幼いと思っているんですね?」
「それは…事実だ。すまない」
なぜ、謝るのだ。幼いと思っているなら、そういえばいい。
今度、アイリスお姉様に大人の女性になるために、どうすればいいかを聞いた方がいいかもしれない。
きっと、素敵な大人って感じの女性になれるだろう。
リアナは少し足早に、フーベルトをそのまま置いて、商会を目指す。
その横、フーベルトは歩幅を合わせると、言い聞かせてくる。
「だが、着飾ったときは違うよ。普段はかわいらしいが、とても綺麗だ」
「…そうですか」
その言葉で、歩く速度を緩める。
ということは、普段から着飾っておけば、大人っぽくなれるのだろう。
そのことがわかっただけで、十分である。
リアナは、商会へのフーベルトと共に戻る。
その後、リアナが宝石店に打ち合わせに出向くたび、何度もレイとは会うことになった。
その度についてくるレイと仲良くなるのは、少し先の話。
 




