120. 血の繋がりと気持ち
フーベルト視点です。
宝石店を出ると、ハルとルカが待つベンチへ向かう。
ふたりしてなにか話し込んでいるが、ここからは聞こえない。
フーベルトとリアナが近付くと、ふたりは嬉しそうにこちらを見た。
「リアナ、師匠、おかえり!」
「どうだった?」
初めて言葉がわかった日から、ハルさんは遠慮なく、話してくれるようになった。
だが、ハルさんが選んだ人にしか聞こえないらしく、他では以前のように、猫の鳴き声に聞こえるそうだ。
おかげで、何を言っているかがわかるので助かるのだが、それに反応してしまいそうで、少しだけ心配だ。
そのふたりに対して、リアナはとても嬉しそうに笑っている。
「とても素晴らしい店舗になってた。それに、面白い宝石も見せてもらったの」
「へぇ〜。面白い宝石ね」
「よかったね!」
「えぇ。なかなか良いものを見せてもらいました」
あの宝石は、特別なものなのだろう。
ジゼルさんは好きな色と言ったが、きっと、想いを寄せる相手の色が華の色として表れる。
その証拠に、あの紫の華はリアナの瞳によく似ていた。
無自覚なのだろうが、少しでもリアナの気持ちが自分にありそうで安堵した。
「ふたりは美味しかった?」
「美味しかったよね、ハル」
「甘くて、最高だよ〜」
近くのカフェで買った焼き菓子は、もう何も残っていない。
美味しく食べたのならよかったのだが、少しだけ食べてみたかった。
まだ明るいが、この後は予定が入ってる。
手を繋ぐ口実が無くなるので少し名残惜しいが、王都散策は切り上げることにする。
「では、帰りましょう。家で、彫刻を見て欲しいんですよね?」
「そうなの、師匠。僕、とても成長したんだよ」
「では、中庭で作業をしますか」
「はーい!」
そのままリアナ達が住む家に戻り、その中庭にあるベンチに腰掛けた。
ハルと共に少し離れた作業台で準備をしているルカに、フーベルトは声をかける。
「では、ここで見ておきます。困ったことや聞きたいことがあれば、いつでも言ってくださいね」
「任せて、師匠。僕の実力を見せてあげる!」
「楽しみにしてます」
「ほら、ハル。かっこいいポーズ!」
「えぇ〜。また難しいこと言って〜」
ハルにモデルを頼むルカは、すぐに下絵を描き始めた。
ルカに対して、木板に関して教えられる彫刻の技術はもうない。
また違った素材に挑戦するのもいいが、もう少し先の方がいいだろう。
隣に並んで座るリアナを見ると、深く息を吐き切る。
話すなら、今しかない。
そう思い、勇気を出して、リアナへ声をかける。
「リアナ。少し、話があるのですが、いいですか?」
「なんですか?」
「実は…」
自分とその父親のこと。
先日、公爵家で話した内容を伝えようと思うのだが、言葉が続かない。
つい、目を逸らして、別の話をしてしまう。
「ガラスのことで、母と自分以外に作れるようになった職人がいくらか出てきました。これで、リアナの負担はなくなると思います」
「それはよかったです。生産が間に合えば、あの手紙の山も減らせますね」
「そうですね、安心です」
自分と母以外に作れる人間を、急いで用意するようにと言ったギルバートの言葉を守り、商会に所属するガラスの職人と建具の職人が協力して作業するようになった。
もう、リアナが作らなくても大丈夫なように。
それに、あの手紙の山は、リアナと自分と母では捌ききれない。
その報告もしようと思っていたので、ちょうどよかった。
だが、リアナは首を傾けると、こちらを不思議そうに見る。
「フーベルト、なにか言いたいことがあるんですよね?」
「それは…まぁ。リアナには、自分の口から伝えておきたくて」
「なんでも言ってください。きちんと聞きますから」
人の気持ちには気付かないのに、こういった相手の変化は察知できる。
そういうところは素敵なのだが、ぜひ、その力で、周りの好意に気づいて欲しい。
だが、せっかくのチャンスをもらったのだ。
フーベルトはリアナを見つめると、話し始める。
「俺の父親、見たことないだろ?家に来ても、母と俺だけ。父親の影もない」
「えぇ。聞いたことはないです」
物心がついた頃、いつも母と二人過ごしていた。
父親という存在に憧れたことはあったが、それでも、明るい母や工房の職人達にかわいがってもらえて、寂しい思いはしなかった。
「その父親はもうこの世にはいないんだが、その父親のことは親方も知っている。もちろん、ギルバート様も」
「二人が知っていると言うことは、学院の頃の知り合い…でしょうか」
「その通りだ。二人の後輩で、ダリアスさんが一番かわいがっていたそうだ。そして、父の生まれは…」
「生まれは?」
少し息を呑むと、フーベルトは小さく言葉をこぼす。
「……ギルバート様と同じ高位貴族だ。そして、勇敢な騎士だった。そう、教えられた」
「高位貴族…ですか。それに騎士……」
フーベルトの言葉にリアナは考え込むと、少し沈黙の時間が流れる。
顔をあげたリアナは、なにか思い当たることがある表情をしていた。
「一つ、聞いてもいいですか?」
「なんでも答えよう」
「フーベルトの髪色も関係していますか?」
「あぁ。赤髪も特徴だな」
「…もしかして、ノイエンドルフ公爵家…ですか?」
高位貴族、そして騎士。
極めつけに、自分のこの赤髪が何よりの証拠。
この三つが揃うのは、ノイエンドルフ公爵家以外いない。
「さすが、リアナだな。エドモンド様は、俺の祖父になる」
「エドモンド様が…」
この前のお披露目会で、エドモンド様がリアナへ挨拶をしたと聞いていたが、しっかり覚えられていたらしい。
「庶民なのに、ダンスが踊れるだろう?そして、所作も」
「そうですね。ダンスも、所作も、フーベルトは美しいです」
「それは、子供の頃に一時的に公爵家で引き取られていたからなんだ。その時の教育で、徹底的に」
「それは、父親が引き取ったからですか?」
「いや、亡くなった後だ。母と離され、父もいない。その時、自分を養子にしたのは、エドモンド様の弟。それが、なかなか厄介だった」
父の存在について初めて知ったのは、自分とよく似た赤髪の男性に出会った時。
工房の外で絵を描いて遊んでいた時、父が会いたがっているという言葉につられて、差し出された手を掴んだ。
「エドモンド様は、どうなさっていたのですか?」
「俺の父親が亡くなって、そのまま病にふせていたそうだ」
あの頃、エドモンド様が元気であったなら、このようなことは起きなかった。
エドモンド様の弟は、公爵家を乗っ取り、全てを手に入れようとした。
そのためにまずにしたことは、実の兄に毒を摂取させること。
その計画の一つに、自分を跡取りにして、裏で操る計画も含まれていた。
「あの頃は、毎日のように泣いていた。教育も厳しく、誰も助けてくれない。食事も一日に一回あれば良い方だったか。まるで、地獄のようだったよ」
リアナは自分の話を聞きながら、手を強く握りしめる。
その目には、悲しみと困惑、そして怒りが含まれていた。
「…フーベルトは子供だったんですよね?どうしてそんなひどいことを」
「リアナ、落ち着いて。ほら、今の俺は幸せだから」
怒ってくれるのは嬉しいのだが、このままでは優しいリアナの手に傷ができてしまう。
フーベルトはその手を優しく解くと、指先を握る。
終わりの見えない日々に、監視され続ける苦痛。
母にも父にも会えない苦しさは、確実に心に影響を及ぼした。
「何年か経って、その日々は終わりを告げた」
あの日のことを、生涯忘れることはないだろう。
「ダリアスさんとギルバート様が迎えにきてくれた。ダリアスさんは、俺のことを息子だと。この家とは、一切関わりがないとはっきりと言ってくれた。最初は驚いたが、嬉しかった」
「お父さんが…」
驚きで目を見張ったリアナは、そのまま固まった。
見た目も似ていない。
ましてや、あまり会ったことのない自分のために動いてくれたダリアスさんとギルバート様には、一生頭が上がらない。
「だが、養父はそれに納得はしなかった。なので、火魔法で競ったそうだ。自分より強い火魔法を使えるのなら、認めると」
「え?父にそんな魔力があるんですか?」
「火のドラゴン。あの子のおかげで、どうにか勝てたようだ」
「さすが、フランだわ」
火のドラゴンがわかったのか、リアナは嬉しそうに微笑んでいる。
養父は魔力の保有量が、貴族としては少なかった。
だが、エドモンド様は魔力の保有量が飛び抜けて多く、人格もあった。
そのため、公爵家を継ぐのは、最初から決まっていた。
だから、エドモンド様が弱っている時に動いたのだろう。
「そこから、ギルバート様が全て仕切り、エドモンド様も回復して、今の当主がついている」
「大変なことがあったのですね」
一通り説明したが、リアナは少し混乱しているようだ。
それも、仕方がない。
この話は、なかなか重たい話である。
色々、端折ったが、大筋の説明は終わった。
フーベルトは安心させるように、リアナに笑顔を見せる。
「ここ最近、忙しくしていただろう。リアナの周囲で、おかしなことが起き始めてから」
「おかしな、こと…」
なにか思い出したのか、少し自分の指先を掴む力が強くなった。
それを安心させるように、フーベルトも同じように強く握る。
「ずっと、エドモンド様の元で師事を受けていた。…助けるのが、遅くなってすまなかった。だが、次は必ず守る」
「いえ、フーベルトはいつも助けてくれました。それだけで、十分です」
リアナは美しく笑うと、自分に感謝してくれる。
その作られた笑みは完璧ではあるが、ずっと見ていた自分には、無理をしていることがわかってしまう。
本当は、辛かったはずだ。
ギルバートの別荘宅で、急に話し出した内容は、あの時のことが引き金である。
フーベルトは息を吐くと、決意のこもった目でリアナを見つめる。
「リアナ、俺は…」
俺は、リアナのそばにいてもいいのだろうか。
自分の中には公爵家の血が流れ、そのせいで周囲に迷惑をかけるかもしれない不安が、今も付き纏う。
それなのに、自分には欲が出てしまった。
そばにいれるだけでいいと願うくせに、リアナにとって特別な存在になりたい自分も、確かに存在する。
その問いの答えを聞くのが怖くて、今まで避けてきたのだが、聞くなら今であろう。
「俺は、リアナの」
「どーん!」
後ろからの衝撃で言葉は遮られ、フーベルトは前に飛ぶ。
しっかりと受け身を取り、振り返ると、その正体と目が合った。
その邪魔をしてきた本人は、牙を出して笑っている。
「ハル!?なにしてるの!?」
「え〜。ちょっと」
きっと、わざとだろう。
フーベルトは立ち上がると、服についた汚れを払って、少しだけハルに苦笑いする。
「ちょっとじゃないでしょ!フーベルト、大丈夫ですか?!」
「はい、大丈夫です。ハルさん、モデルはどうしたのですか?」
「大丈夫。もう終わってるから。ほら、ルカが待ってるよ」
ハルは怒られてるのに、どこか楽しそうだ。
自分の質問に答えると、遠慮なく、後ろから押してくる。
それを受け入れながら、少しずつ歩いていると、リアナに服の袖を掴まれた。
「フーベルト。話してくれて、ありがとうございます。貴族の血が流れていても、そうでなくとも、フーベルトは私の大切な友人です」
花が咲いたかのように笑う、リアナのその笑顔に見惚れてしまう。
大切な友人。
今は、それでもいい。
それで近くにいられるのなら、しばらくはそのままでいよう。
「…そうか。ありがとう、リアナ」
だが、宝石店で見たあの宝石の意味を、リアナがわかる時が来たら、遠慮するつもりはない。
リアナは袖を離すと少しだけ恥ずかしそうに笑い、急いでルカの元へ向かった。
その後ろ姿に、フーベルトは小さく笑う。
そして、ルカと何かを話したと思えば、こちらに振り返った。
「フーベルト、見てください。ルカの彫刻、美しいです!」
「師匠、見て!できたよ!」
「はい、今行きます」
神獣であり、自分の弟子であるルカ。
その成長を見守るのも楽しみだが、その横で笑う存在に、とても惹かれてしまう。
いつか、自分を見るリアナの紫の瞳に、熱を帯びる日が来ることを願い、そばにいよう。
その自分に頭突きをしてくるハルは、声を潜めて、他に聞こえないように伝えてくる。
「フーベルト、まだだめだよ。リアナは渡さないから」
「認めてもらえるように、頑張ります」
リアナに好きになってもらうより先に、自分の後ろに立つ、一番手強いこの保護者をどうにかしなければ。
ハルの言葉に苦笑いしながら、自分を待つ弟子の元へ歩みを進めた。




