104. 油断と友の秘密
ダリアス視点です。
降り続ける雨を体に受けながら、ダリアスは少し飛びそうになる意識をなんとか保つ。
うつ伏せから仰向けになり顔に受ける雨に、ダリアスは小さく笑った。
「雨…か」
この雨はきっと、リアナの水魔法だろう。
晴天の空に、一箇所だけ浮かぶ雨雲。
咄嗟に、よく考えたものだ。
「…くそ」
最後に見たリアナの表情は、涙を流しながら、優しく笑っていた。
それに、あの言葉が最後の言葉とは、ずるいだろう。
命の灯火が消えかけていた妻とよく似た笑みと言葉に、ダリアスは目頭を押さえる。
「ダリアス、無事か!」
リアナの水魔法の効果はあったらしい。
思っていたよりも早く駆けつけてくれた友に抱き起こされ、ダリアスは何があったのかを伝えようとする。
「…ギル。リアナが」
「…すまない、護衛をつけていたのに。神官が来るまで、大人しくしてくれ」
きっと無理をして、ここまで来たのだろう。
いつも見る服とは違い、王城へ出向く時のローブを身につけている。
魔導部隊の隊長は辞めたが、時々、魔法の指南へ行くと言っていた。
今日は、その日だったのだろう。
「…雨に濡れるぞ」
「そんなこと、どうでもいい。どうでもいいんだ…」
いつもの笑みもなく、余裕のないギルバートの表情に、ダリアスは少し苦笑する。
程なくして呼ばれた神官に治療され、ダリアスは立ち上がる。
しかし、少しふらつき、なんとか踏ん張る。
「怪我の方は、綺麗に治しておきました。魔力の枯渇かと思い、魔力ポーションを飲んでもらったのですが、どうやら魔力が回復していないみたいです。出来れば、今日は安静にしてください」
「…気をつけます」
神官の説明を聞き、ダリアスは頭を下げる。
要は、走るなと言うことだ。歩くぐらいならばいいだろう。
ダリアスは用意された馬車に乗り込み、ギルバートにこれまでの出来事を説明した。
「まさか、商会の馬車が乗っ取られているとはな」
「それも考慮すべきだった。…すまない」
いつもの余裕の笑みは、どこにいったのだ。
ギルバートのしおらしい様子に、ダリアスは少し調子が狂う。
しかし、ギルバートのおかげで、自分はこれだけの怪我で済んだのだ。
そのことは、正しく理解してほしい。
「一人では厳しかったが、護衛達も共に戦ってくれて助かった。護衛達は無事か?」
「あぁ、問題ない」
「馬車を魔物に囲まれた時は焦ったが、襲ってきた魔物が、あいつのせいとはな」
「リアナの友と聞いて、少し信用したのが良くなかったな」
護衛は腕の立つものを用意してくれていたようだが、対人と対魔物では戦い方も違う。
そのため、魔物の魔法でやられたのか、早くに地に伏していた。
「本当に、魔物だったのか?魔物は人には従わぬぞ」
「そうだな。あの魔物達はアドルフの言うことを従順に聞き、統率が取れていた」
「…嫌な予感がするな」
ギルバートが呟いた言葉に、ダリアスは目を伏せた。
そして拳を作ると、自身の太ももを一度叩きつける。
「アドルフはリアナを妻にすると言っていた。……今は時間が惜しいな」
「それは…。かなり急いだほうがいいな」
「あぁ。だが、どこにいるかがわからない」
「可能な限り調べているが、まだ見つかっていない。まずは、商会へ向かう。探すために準備をしてくれ」
「わかった」
これからは、時間勝負だ。
どれだけ早くリアナを取り返せるかが、焦点となる。
今日はもう家に帰れないかもしれない。
そうなると気になるのが、ルカとハルのことだ。
ルカはルイゼに頼むとして、ハルは何かしら、この状況を理解しているだろう。
言葉が通じぬハルには申し訳ないが、ルカと共に待っていてもらうしかない。
商会へ着くと、ルイゼを探し、ルカとハルのことを頼む。
何も聞かずに頷いてくれたことに感謝し、ダリアスは絵を描くルカに、優しく話しかける。
「ルカ。少し、いいか?」
「おとーさん、リアナは?」
「少し、クレアに呼ばれてな。なんでも、新しい服が出来て、すぐにでも着せ替えをしたいらしい。今日はクレアのところに泊まるそうだ」
「そっかぁ、残念」
今描いている絵は、リアナへのプレゼントなのだろう。
ハルと共に笑うリアナが描かれており、今見るのは、少し辛い。
ダリアスはルカの頭を撫でながら、話を続ける。
「あと、俺も帰りが遅くなりそうだ。今日はルイゼの家に、泊まってくれないか?アップルパイの作り方を教えてくれるかもしれないぞ」
「アップルパイ!ルイゼにお願いしてくる!」
「あぁ、いい子だ」
アップルパイは、リアナとハルが子供の頃によく食べていたものだ。
それを作れるようになれたら、きっと喜んでもらえると思ったのだろう。
その純粋さが、今は救いだ。
商会長室には既にギルバートを招き入れており、それを確認し、ダリアスは扉の鍵を閉める。
ギルバートは盗聴防止器を作動させると、話し始める。
「さて、無闇に動き回るのも良くない。少し、話し合おう」
「そうだな。だが、まずはわかっている情報を教えてくれ」
ギルバートをソファーへ促しながら、自分も向かいのソファーへ腰掛ける。
「アドルフ・ジールマン。リアナと同じ建築士のコースに在籍していた。伯爵家の三男。第二夫人の長男だ」
「そこまでは知っている。他には?」
「第二夫人は、リリーと同じ国の出身。きっと、リリーの父君のことを知っているな」
「…そうだな」
リリーと同じ国の出身ということは、きっと、リリーの生家のことを知っている。
ガラス職人として名を馳せるリリーの父と縁を結びたい貴族は、少なからず存在している。
自分とはもう縁は無いが、リアナは別だ。
「だが、その第二夫人は療養している。それは確認済みだ。どうやら、心の病らしい」
「そうか」
心の病と聞いて、少し顔を顰める。
それなら、今回のこととは関係ないだろうが、長生きもできない。
アドルフの家族は、難しい問題を抱えていそうだ。
「アドルフはもうすぐ、伯爵家から出される予定だった」
「本人は婿に出ると言っていたが、それも嘘か」
「あぁ。婚約者はいたが、上手くいかなくてな」
婚約者もいないのに伯爵家から出されるということは、市井に出るということだろう。
権力のない平民になる前に、行動を起こしたようだ。
婚約者の話で思い出したことに、ダリアスは眉根に皺を寄せる。
「…この前辞めさせた職人が、あいつと共にいる」
「神殿契約はどうした。リアナに近付けぬようにしたのだろう?」
「…偽名だろう。それなら効力はない」
偽名で契約した場合、神殿契約は無効になる。
今回は、ルイゼの工房へ提出された身分証を元に神殿契約をしたのだが、意味をなさなかったようだ。
ダリアスは、少し目を伏せ、先日のことを尋ねる。
「屋敷で尋問していた男は、どうなった」
「詳しく話すことはない。口止めの契約が交わされている」
「…そうか」
お披露目会にいた不審な貴族からは、有益な情報は得られなかったようだ。
「エドモンド様は、なんと」
「今、ジールマン伯爵家に乗り込んでいる。しかし、当主は何も知らなかったようだ。フーベルトも共に向かわせた」
エドモンドも行動が早いようだ。
先程の出来事から一時間も経ってないのだが、もう伯爵家へ乗り込んでいるらしい。
フーベルトも向かったということは、今日は授業の日だったのか。
頼む手間が省けて、少し助かる。
「ダリアス。私は長く、侯爵家の当主として国に仕えてきた。そろそろ、その座を譲ろうと思う」
「どうした、急に」
「私は国に仕えていても。…友の家族を守れぬ男に、この座は相応しくない」
突然の話に驚くが、冗談ではないようだ。
悔しさが滲み出る表情は、自分の知る友に似つかわしくない。
「ギルバート。なら、お前の力で俺を、俺の家族を救ってくれ。その話は、全て終わったら、酒を飲みながら聞こう」
「…あぁ、楽しみにしているよ」
ダリアスの言葉に、ギルバートは嬉しそうに笑みを浮かべる。
少し癪だが、ギルバートのいつもの笑みに安堵する自分がいる。
それに苦笑していると、ギルバートは前髪を掻き上げ、いつも隠している左目を見せた。
「ダリアス、私の特技を覚えているかね」
「相手の属性を、すぐ見抜けるところだろう。それがどうした」
「それが特技ではなく、自分の目に見えるとしたら?」
ギルバートはそういうと、左目だけ色を変えた。
自分を見つめる青の瞳に、ダリアスは少し目を逸らしそうになる。
全てを見透かそうとするその青の瞳は、ひどく恐ろしい。
しかし、友として、ダリアスはギルバートの目をしっかりと見つめ返す。
「シュレーゲル侯爵家には、代々、当主にしか受け継がれぬ魔法がある。それを使えば、相手の属性が分かるのだ」
「では、特技といって偽って、俺を驚かせていただけなのだな」
「ダリアスの反応が、面白くてな。つい」
いつもの見慣れた灰色の目で楽し気に笑うギルバートは、顔に喜色を浮かべている。
そのようにいつも感情を分かりやすくしてくれれば、まだ親しみやすいものを。
貴族は、本当によく捻くれている。
ギルバートは足を組み替えると、話を続ける。
「リアナは、火、水、風の属性を持ち、他とはよく異なっているな。故に、見つけやすい」
「その魔法の代償は?」
「目の前の相手なら問題ない。だが、広範囲の場合、保有する魔力量がほぼ枯渇する」
「では、使えないではないか」
広範囲と言われ、考え浮かんだのは、自分の知る学院の授業で見た、今は魔道士となった友人の攻撃範囲。
それも、建物一棟ぐらいが限界だった。
そのような規模では、使えない。
ダリアスの言葉に、ギルバートは笑みを深める。
「私を誰だと思っている。これでも、この国で魔道士の頂点に君臨する長であるぞ」
「それは、わかってはいるが…」
「私の言う広範囲とは、この国、全てだ。まぁ、しばらく使い物にならなくなるがな」
「それは…やめてくれ。無理をしすぎるな」
範囲が想像より大きすぎて、頼みたい気持ちよりも、少し心配が上回る。
この国は広い。そのような膨大な量の魔力を見続けるのは、しんどいだろう。
ダリアスの心配する声に、ギルバートは困った表現のまま愛想笑いを浮かべた。
「では、他にいい案があるのか」
「それは…」
「これ以上、悠長に待ってられない。そうだろう?」
ギルバートの言う通り、時間は非情にも進んでいく。
そのダリアスの耳に、いつの間にか部屋に入り込んだ黒い猫の鳴き声が聞こえていた。




