102. 悪夢のはじまり
第一陣、壁と屋根の補修を終えた職人達を乗せた馬車が出発し、リアナ達は次の馬車が用意されるのを待つ。
待ち時間で、楽しかった学院の頃の思い出話に花を咲かせていたのだが、話の矛先は自分へ変わる。
「リアナ。君は…婚約者は?」
「いえ、そのような相手はおりません」
「そうか。気になる存在はいないのか?」
「それよりも、今は仕事が楽しいので」
「学院の頃からそうだったね。今の仕事が、リアナにとっての天職なのだろう」
「私もそうだと思います」
自分の周りは、恋の話が好きみたいだ。
それならクレアとも、きっと仲良くなれただろうに。
雑談を続けていると、部屋の扉を叩く音が聞こえた。
その音に反応し、アドルフは席を立つ。
「話の途中だが、商会の馬車が用意できたようだな。では、外まで見送ろう」
「ありがとうございます」
部屋を出て、廊下を歩く。
階段を降りた先、屋敷の玄関付近に上品なドレスを着た美しい金髪の女性が立っているのが見える。
こちらを向いた女性は、アドルフを見て、嬉しそうに微笑んだ。
その女性に対して、アドルフも嬉しそうに笑うと、女性の元へ少し早足で行き、その横に立つ。
「あぁ、いいところに。紹介するよ。彼女が私の婚約者だ」
「お初にお目にかかります。アドルフ様の婚約者、カルミア・ジンドルフです」
紹介された女性は、アドルフの婚約者なのだろう。
不躾にも、その顔をじっくりと見つめてしまう。
「どうかしたのかい、二人とも。彼女をそんなに見つめて。カルミア、知り合いかい?」
「申し訳ありません。存じ上げないです」
目の前に立つカルミアは、ライラと顔立ちがよく似ている。
だが、カルミアの所作や仕草は、貴族そのもの。
そういえば、ハルが昔教えてくれた話に、自分と同じ顔の人間は、もう一人いると聞いたことがある。
しかし、その二人が出会った時、片方は消え、存在すら無くなるらしい。
この場合、消えるのは、ライラなのか、カルミアなのか。
いや、今考えることではなかった。
目の前のカルミアは、ライラとは顔立ち以外は異なる。
きっと、よく似ているだけなのであろう。
「少し前まで、共に仕事をした者がおりまして。あまりにも顔立ちが似ていたため、少し見続けてしまいました。申し訳ありません」
「いえ、大丈夫です。知り合いに似ていたら、見てしまいますものね」
カルミアは少し困った表情をしていたが、理由が分かり、柔らかい笑みを浮かべる。
その表情は、やはりライラとは異なる。
リアナは商会の馬車に乗り込むと、扉の外を見て、アドルフと別れの挨拶を交わす。
「では、気をつけて帰ってくれ」
「はい。また、なにかありましたら、よろしくお願いします」
馬車の扉が閉められると、ゆっくりと馬車が動き出した。
少し屋敷から離れると、ダリアスは眉根に皺を寄せながら、話し始める。
「似ていたな。ルイゼの工房を辞めた職人に」
「えぇ。でも、他人の空似でしょう。髪色も瞳の色も違いましたし」
「そうだな…」
ライラは茶色の髪色に、焦茶の瞳。
対して、カルミアは暗い金髪に、青の瞳。
顔立ちは似ていても、容姿にこのような顕著な差があるのだ。
ただ似ているか、カルミアとライラの家系とに関わりがあるといったものだろう。
リアナの中では結論が出て解決したのだが、ダリアスはずっと考え込んでいた。
しばらくすると、ダリアスは顔を上げ、外の景色を見る。
外の景色でなにか気になることがあったのか、ダリアスはリアナの隣へ移動してくると、声を潜める。
「リアナ。馬車から飛び降りるぞ」
「え、どうしたの。急に」
「商会への道を歩いていない。ずれている」
父の言葉に、窓の外を確認する。
商会へ戻る道ではなく、山の方角へ向かっている。
いつの間にここまで移動したのか分からないが、父の言う通り、馬車から出たほうがいい。
リアナが立ち上がった瞬間、馬車は急に停まり、周囲も静かになる。
「停まった…?」
「俺が様子をみよう」
窓の外を見たダリアスは、リアナを背に隠す。
「これは…まずいな」
「どうしたの?」
父の背中であまり見えないが、隙間から、なにか動物のようなものが見える。
しかし、その目は赤く、今にも襲いかかってきそうだ。
そういえば、ルカが前に描いていた絵の聖獣も、目が赤かったような…。
そう思っていたリアナのことを、ダリアスはきつく抱き締めた。
突然の父の行動に驚く。
しかし、それよりもなぜ、こんなに胸が騒めくのだろう。
「リアナ、馬車から降りるな。俺が外の魔物を、追い払う」
「私も一緒に。水も火も、両方使える」
「だめだ。俺だけでどうにかなる」
「でも、こんなにたくさん…」
「…信じてくれ。お願いだ」
絶対に無理だ。
馬車の窓から、大量に見える魔物を一人で倒すなど。
それを、自分を守るために、戦いに出るのを見守ることしかできないのか。
リアナは父を止めたい気持ちに蓋をし、約束を交わす。
「…絶対、帰ってきてね。お父さん」
「あぁ、約束だ」
この約束が守られるかは、わからない。
でも、信じることはできる。
リアナは馬車の扉が閉まったのを確認し、静かに考える。
「なにか…自分にできることは。きっと、戦おうとしても邪魔になるし…」
元より戦うことが苦手で、戦闘系の魔法の習得を避けてきた。
それが、ここで仇となるとは。
リアナは、無意識にネックレスに触れる。
「そうだ、ハルを呼ばなきゃ」
ハルがいれば、父と共に、ここから一気に逃げられるはずだ。
何かあれば呼ぶように言われていたが、それが今じゃないのだろうか。
出来れば、今の召喚だけは、小さな姿であってほしい。
リアナは、ネックレスに魔力を流し始める。
「リアナ・フォスターの名に於いて、契約を交わす獣を」
詠唱を唱えていると、馬車の扉が勢いよく開く。
父かと思い、期待して顔を上げたリアナの表情は固まった。
「無事かい!リアナ!」
「…アドルフ様?」
詠唱が途中で止まったため、ハルは現れない。
先程、屋敷の前で別れたはずのアドルフが目の前にいることに、驚きと疑問が浮かぶ。
「商会方面に用があったから、後ろをついて走っていたんだ。そしたら、商会の馬車が道を逸れ始めて。何か別で用事かと思ったんだが、気になってね。追尾していて良かったよ」
アドルフの機転により、どうにか助かりそうだ。
安堵から少し力が抜けたリアナのことを、カルミアは優しく支えてくれる。
「ありがとうございます。でも、父が今、魔物と交戦しているのです。どうか、助けてください」
「それは私が助けに行こう。代わりに、カルミアにいてもらうよ」
「お任せください、アドルフ様」
リアナのお願いに、アドルフは頼もしく笑うと、そのまま外へ出た。
アドルフも父も、無事に帰ってきて欲しい。
「リアナ様、大丈夫ですか」
「少し怖いですが。今から自分の召喚獣を呼びますので、大丈夫です」
リアナは心配してくれるカルミアに感謝し、ぎこちない笑みを浮かべる。
きっと、この顔をクレアが見られたら、心配してしばらく離してくれないだろう。
それが容易に想像でき、少し怖さが落ち着く。
だが、リアナが再びネックレスに触れるよりも先、カルミアの手によってそのネックレスは掴まれた。
「カルミア様?」
「それは困るわ、リアナさん。そんなもの呼ばれたら、厄介だもの」
「え?」
今の言葉は、どういうことだろうか。
理解が追いつかない頭で、リアナは少し距離を取る。
しかし、狭い馬車の中ではあまり意味はなく、すぐに近付かれる。
「怖いわ、リアナさん。私、魔物なんて初めてで」
「…カルミア様、離れてください」
自分を抱きしめるカルミアの体は、震えている。
だが、得体のしれない不安に襲われ、その体を剥がそうとする。
なんとか引き剥がせたと思えば、その手に自分のネックレスが握られている。
カルミアの意図がわからず、固まっていたリアナは腕を引いて立たされた。
「さぁ、外へ行きましょう。お父様が心配でしょう?」
「待ってください、カルミア様。外は危険です」
「大丈夫。なにも怖いことは無いわ」
なにが起こっているのかが、わからない。
外に出るほうが危ないため、カルミアを止めようとしていたのだが、ふと、疑問が浮かぶ。
なぜ、魔物が囲っているはずの馬車に、二人は乗り込んで来られたのか。
とても、嫌な予感がする。
信じたくない事実に、リアナの背中に、冷や汗が伝う。
とりあえず、距離をとらなければ。
魔力を少しずつ流しながら、水魔法を使おうとするリアナに、カルミアは余裕の笑みを見せる。
そして、馬車の扉が開いた先、父の姿が見え、体を巡っていた魔力の流れが止まった。
「お父さん…!」
「…来るな。リアナ」
「あぁ、カルミア。もう出てきたのかい?こちらも、粗方済んだよ」
これは、なにか悪い夢ではないのだろうか。
馬車の心地よい揺れで、寝てしまっただけではないのか。
無意識に握り込んだ手に痛みが走り、リアナに現実を教える。
「アドルフ様…」
「あぁ、リアナ。いつものように笑いかけてよ。せっかくのかわいい顔が台無しだよ」
そんなの、できるわけがない。
父はアドルフ様の前で跪き、苦しそうに肩で呼吸をしている。
他にも、武装した男性達が倒れている。
魔物は大人しく微動たりもせず、こちらに笑いかけるアドルフの後ろで待機している。
リアナは信じたくない現実に、目を背けてしまいそうになる。
「なぜ、父に剣を向けているのですか…?」
「大丈夫、少し気を失ってもらうだけだよ」
気を失わせるだけなら、父に剣を向ける必要はない。
それがわからぬ程、自分は馬鹿ではない。
逆らうと、父の命はない。そういう脅しだろう。
リアナは更に握り込み、痛みでなんとか怒りを鎮めようとする。
「アドルフ様、そろそろかと」
「あぁ、移動しようか」
カルミアの声に、アドルフはリアナの方へ歩いてくる。
そろそろとは、誰かここに向かっているのかもしれない。
それに期待し、リアナは再び魔力を流し始める。
攻撃魔法はできなくとも、自身の水魔法によって、この場所がわかるはずだ。
魔法の用意をするリアナの横に立ち、アドルフはリアナの耳元へ近付くと、言葉に似合わぬ優しい声で囁く。
「怪しい動きをすると、父の命はない。まぁ、リアナならわかっているよね」
言葉にされなくても、わかっている。
そう言い返したくとも、それすらアドルフの不興を買いそうで、怖くて黙り込む。
「ふざけるな。リアナを返せ」
「返すわけないじゃないか。やっと、手に入るのだから」
「こいつ…!」
父はこちらに向かって這ってくるが、意識が朦朧とし始めている。
そんな父の姿を、もう見てはいられない。
「移動しようじゃないか。あれはどこに?」
「こちらです、アドルフ様」
カルミアからの受け取ったものを使って移動するらしく、アドルフはこちらへ手を差し出す。
「さぁ、行こう。リアナは私と一緒にいたいだろう?」
本当は掴みたくなどない。
だが、掴む以外に、父を助ける方法が浮かばない。
リアナはゆっくりとアドルフの手に自分の手を重ねると、父の方へ顔を向ける。
「……リアナ…」
「こんなことになって、ごめんなさい…」
父が苦しそうに肩で息をしているのは、きっと自分のせい。
こんなことになるのならば、ハルの言う通りに、仕事に出なければよかった。
「リアナは自ら望んで、私の元へ来るそうだ。さぁ、お別れの時間だ。最後に言っておくことはあるかい?」
本当は行きたくなどない。
今すぐ父の元へ行き、ここから一緒に逃げ出したい。
でも、自分にはそれができない。
今できる最高の笑みを浮かべ、リアナは優しく笑った。
「お父さん、大好きよ」
その言葉を最後に、リアナは意識を失った。
そのリアナを抱き上げ、アドルフは嬉しそうに笑う。
「お別れだ、ダリアス。リアナをここまで育ててくれてありがとう。これからは、私の妻として、愛していくよ」
ダリアスの前にいたはずのアドルフとカルミアは、リアナを連れて、忽然と姿を消した。
空から降る冷たい雨が、ダリアスの頬を濡らしていた。




