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13 モンゴルの男たち



 1287年に勃発したナヤンの乱に対し、クビライは親征の軍を起こした。

 

 洪茶丘は戦功の証である翎根甲と宝刀を賜った上で、いつものように一軍を、民族混成部隊を任された。

 そしてクビライの本軍を遠く離れ、手元に三千に満たぬ兵を残して各方面に手配りをしているその時、万を超える敵騎兵と遭遇した。


 これは斥候勝負に遅れを取ったかと、茶丘は内心苦笑していた。

 ここのところ海戦ばかりを意識して騎兵戦の感覚が鈍っていたとの怒りが半分、同胞が……敵に回ったモンゴル軍が見せた戦場勘の良さに喜ぶ気持ちが半分。


 複雑な思いの板ばさみ。

 茶丘は思わず笑いを、言葉を漏らしてしまっていた。


 「やはり草原の戦は良いな」


 三倍する敵に面しても、茶丘のこころにはゆとりがあった。

 海戦では良いところ無しだったが、草原ならば負ける気がしないのである。


 主将のその様子に、恐慌状態に陥っていた部下たちがようやく顔色を取り戻していたが……逆に茶丘は不愉快を感じていた。


 情けない。貴様らは俺の子飼い、草原ならば誰にも負けぬ精兵ではないか。

 大元ウルスから下賜された潤沢な資金のおかげで装備は最高級。弓の射程も馬の脚力も敵を大きく上回っていると言うのに。

 小手をかざしてよく見てみろ。敵兵の士気は必ずしも高くない。モンゴル人でありながら大カーンに弓を引く、そのことに気後れを感じぬ者などあるものか。



 部下を叱責し、迎撃の陣を整えさせるべく追い出して後、茶丘はひとり言葉を漏らした。


 「互いに及び腰か……」

 

 あの士気ならば突撃しても勝てるが、それでは芸が無い。 

 同胞どうしが多くの血を流すのもおもしろくない。

 

 眺めるにつけ、いま一つ気持ちが高揚してこない。

 そのことを自覚した茶丘は、珍しく悪戯心を起こした。


 夜の闇に乗じて、衣裳を裂かせて旗幟と為し、馬の尾を切らせて旄と為した。

 それで林を覆えば、大軍が増援に来たと勘違いするであろう。擬兵の計である。

 

 案の定、朝を迎えたナヤン軍分遣隊は大いに驚き、そのまま降伏してきた。

 降伏を肯んぜぬ者は逃げ去った。


 いや、驚いたふりであった。

 鹿爪らしい降伏の儀を終えた敵将と茶丘と、歯を見せあう。

 

 草原の民は視力に優る。その程度の擬兵に気づかぬはずもない。

 全て分かっていて、頭を下げているのだ。指揮官ともなれば各所に親戚姻族交友恩義、ありとあらゆるしがらみがある。ナヤンの要請を断れなかったのであろう。

 索敵勝負で茶丘に土をつけ、意地を見せたことでもある。その上で花を持たせ、大カーンへの執り成しを頼んでいるのだ。

 

 モンゴルはモンゴルを殺さないのである。

 現に、自軍の消耗を防ぎ敵騎兵を無傷で回収して本軍に復帰した茶丘を、クビライは上機嫌で迎えたものであった。


 「双叔(君祥)もよくやってくれているが、茶丘よ。お前は分かっている」


 数年前から、弟の君祥は枢密院入り……大きな権限を持つ軍政家の一員となっていた。

 この戦でも本軍に随行し、設営のたびに兵車をもって本陣を隙無く固め、大カーンの宸襟を安からしめているとのこと。

  

 「だがここから先は、手加減抜きだ。ナヤンは確実に捕えよ」

 

 クビライの語気は強かった。この戦役の持つ意味を、70歳を超えた大カーンが親征に乗り出した意味を象徴しているかのように。

 だが茶丘はあえてそこに目をつぶった。大カーンの軒昂たる意気と衰えぬ体力を喜ぶ心に自らを委ねていた。



 総攻撃が始まった。

 大カーンの仰せを遵守すべく、茶丘は容赦無く敵を、モンゴルの同胞を射倒した。

 精鋭を引き連れ励まし、突撃した。


 最高の装備、精鋭の兵。率いるは驍勇無双の将。

 ただ一度の突撃で、茶丘はナヤン軍の一翼を食い破っていた。そろそろ突撃停止命令が出ても良かろうと念じつつ。

 

 だがその期待は裏切られた。各所から上がる叫喚は収まる気配を見せない。


 ついに眼前の敵が総崩れとなった。算を乱して逃げて行く。

 追撃すれば同胞を、モンゴル人を殲滅することになるがと、茶丘が焦りを覚えたところに。


 馬蹄の響きが近づいてきた。

 友軍を逃がすべく、反転してきた敵の一団であった。



 「さすがだな、茶丘!」


 大カーン以外からそう呼びかけられるのは、いつ以来であったか。

 いまや茶丘は「閣下」と呼ばれる身分であり、同僚や上司すら「洪将軍」「洪右丞」と呼びかける。



 「漢児や混血児まざりものとは違う!」

 

 若き日、いや幼き日、クビライの幕下で共に過ごした小姓仲間であった。

 今や互いに四十の坂を過ぎ、日に焼けた目尻の皺も深くなってはいたけれど。

 その笑顔は忘れようもなかった。

 弓の腕を競っては毎度茶丘に遅れを取り、悔し紛れに「この高麗人が」と吐き捨てて。そのたびに取っ組み合い殴り合い、互いに精根尽き果てた後に見せていた笑顔。



 「良かった。大カーンは茶丘お前を、モンゴルの男を重用されている。草原の心をお忘れではなかった」


 ついに受け入れられたのだ、茶丘は。

 だがその言葉を投げた友は、茶丘を草原の男として受け入れたモンゴルの男達は、みな敵陣にあった。

 

 モンゴルに憧れ、モンゴル人たらんと生きた。

 その若き日、ひと世代ふた世代上の将軍たちを目標に努力を重ねた。

 今やその風姿は、人柄は、古き良きモンゴルそのもので。


 そんな茶丘と心を同じくする人々が、クビライに叛旗を翻しているのであった。

 振り返れば茶丘の周りにあるのは高麗人、女真人、漢人、そしてトルコ系のマムルーク。

 

 モンゴルたらんとして、モンゴルたり得たとき、モンゴルは向こうへ行ってしまったのだ。

 しかして求めるモンゴルは、統一されつつある世界モンゴルは、今や茶丘の目前にある。



 目の前が暗くなった。

 叫び声を上げ、突進した。幼馴染を槍の穂先にかけていた。


 「大カーンを……モンゴルを……」

 

 無念げで、しかしどこか満足げな友の顔。

 そのあとの事を、茶丘は覚えていなかった。


 ナヤンは捕えられ、殺害された。

 「モンゴルはモンゴルを殺さない」、その先例はここに破られた。


 茶丘は大カーンから戦功を大いに賞され、「遼陽等處行尚書省右丞」の職を授けられた。

 故郷に錦を飾ったとて、儒の素養深き弟の君祥はことのほか喜んでくれた。


 


  


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