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深まる影※ボスの追跡


 激しい死闘から数日が過ぎ、グレイス・ガード社のフリースペースは、今までの個室での張り詰めた空気ではなかった。外の現代都市には相変わらず冷たい秋晴れの光が差しているが、室内のテーブルには柔らかな午後の光が差し込み、穏やかな時間が流れている。


「古城先輩っ、これどうぞ! 特製のお茶ですっ! ……少し熱いかもしれないので、気を付けてくださいね〜」

「ありがとう、ほたる。……うまい。身体の芯から温まるな。ほたるは茶を入れるのが上手で羨ましいよ。」


 湯気が立つ湯呑みを両手で包み込み、古城はふっと微かに表情を緩めた。


 出会ったばかりのころ、任務のために感情を殺し、機械のように無機質だった【仕事モード】の面影はない。今のほたるの瞳には、過去のトラウマを乗り越え、確かな安らぎと温度を持った感情がしっかりと宿っていた。その横顔を見つめるだけで、古城の胸のうちは得も言えぬ幸福感で満たされていく。


「あーあ、ふたりだけですっかりまったりしちゃって。私にも淹れてちょうだい、ほたる。お姉ちゃん、ちょっと盛大に焼き餅焼いちゃうわよ」


 ソファーの背もたれにもたれかかりながら、みぞれが長髪をかき上げて意地悪く微笑む。その声の響きには、血塗られた裏社会を共に生き抜いてきた姉としての愛おしさと、からかうような余裕が混じり合っていた。


「もう、お姉ちゃん! そんな目でジロジロ見ないでくださいっ。ちゃんとありますから!」


 耳まで真っ赤にして慌てるほたるの姿に、古城は少し気恥ずかしそうに首の裏をかいた。


(平和だ……。これがずっと続けばいいのに。いや、この日常を守るためなら、俺はどんな修羅場だって潜り抜けてやる……)


 いつも通り、古城の脳内ではほたるへの愛おしさが濁流のように暴れ回り、危うく表面の冷徹さが決壊しかけていた。


 だが、その穏やかな時間は長くは続かなかった。


 『プロメテウス』という巨大な呪縛は、いまだに彼女たちの影に深く纏わりついている。


「……それにしても、みぞれさん。腕の調子はどうですか? 先日の戦闘で、あの『運動能力超強化試薬(オーバー・ブースト)』をかなり無理に使っていましたが。」


 古城がふと、真剣なまなざしで問いかける。


 みぞれは腰に装着された特製のホルスターから、愛用の『特製コントロールシリンジ』を無造作に抜き取り、指先の連結リングに器用に通してクルリと軽快に回してみせた。


「心配いらないわ、古城くん。ほたるの万能薬が驚くほど効いているもの。……このシリンジは、私にとって命を繋ぐ相棒であり、裏社会で生き残るための牙そのものよ。ただ……やっぱり自分の生体許容量を超えた過剰な原液を打ち続けるのは、神経への反動が大きくてね。ふとした瞬間に血管が焼けるような痛みが走ることもあるわ」


 みぞれはふと遠い目をし、自嘲気味に微笑んだ。


「でもね。私には、この地獄から引っ張り出してくれた可愛い妹がいる。ほたるの笑顔と未来を守るためなら、私の腕の一本や二本、何度だって差し出してやるわよ」

「お姉ちゃん、そんな不吉なこと言わないでください……! 私、お姉ちゃんにこれ以上傷ついてほしくないんです。無理しないで……!」


 ほたるは切なそうに瞳を潤ませ、みぞれの細い手首を両手でぎゅっと握りしめた。


 みぞれはその冷たい手を自分の温もりで包み込み、優しく、慈しむようにほたるの頭をそっと撫でた。


「ふふ、ごめんね。でも……頼もしい『もう一人の相棒』もできたし、もう一人で抱え込んで無茶はしないわ。約束する」


 姉妹の間に流れる、言葉では言い表せないほどの深い絆と痛みの歴史。それを目の当たりにして、古城は深く頷いた。


 その温かくも引き締まった空気が流れていた、まさにその瞬間だった____。


 ピピッーー! ピーッ、ピーッ……!


 静寂を切り裂くように、フリースペースのメインモニターが一斉に激しく明滅し、耳障りな緊急アラートが鳴り響く。


「……っ! 敵襲か!?」


 反射的に古城の身体が動き、ナイフの柄へと手が伸びる。


 モニターの画面は激しいノイズの向こうで自動的に切り替わり、暗号化された膨大なデータの束と、かつてふたりが閉じ込められていた実験施設とは比較にならないほどの規模を誇る、地下要塞の構造図を映し出していた。


『……聞こえるか、グレイス・ガードの特務チーム。こちらはグレイス・ガード社情報部隊だ。暗黒街の闇ネットワークから流れた、一級機密の極秘リークをモニターに映している。……どうやら、『プロメテウス』の本隊が本格的に動き出したらしい』


 スピーカーから聞こえる情報屋の冷徹な声。その一言を聞いた瞬間、みぞれの表情から余裕や冗談めかした雰囲気が完全に消え失せた。研ぎ澄まれた暗殺者のような鋭い眼光が、冷たくモニターを射抜く。


「この暗号署名……間違いないわ。旧都の地下深く、法も光も届かない場所に建造された『地下要塞アジール』……。プロメテウスの幹部、あの『調律師(チューナー)ヴェゼル』の拠点よ」

「ヴェゼル……ッ!」


 古城はわずかに眉をひそめ、その名前を低く呟いた。古城は前に、グラン社長から耳にしたことがあった。


「……知っているのね、古城くん」

「ああ、名前だけは。二人がいない時に、グラン社長と一ノ瀬秘書から、プロメテウスの中でも、『異界の遺物(アーティファクト)』と人体をこじ開けて歪ませる、最も厄介な狂人だと聞いている。」


 古城の言葉に、みぞれは厳しい表情のまま頷いた。


「ええ。あいつは世界中からかき集めた『異界の遺物(アーティファクト)』の不規則なエネルギー波動を人間に適合させ、『正しく調律する』と称して人道を踏みにじった実験を繰り返してきた……私たちの体に刻まれた地獄の元凶よ」


 みぞれはモニターに映し出された広大な要塞の区画を指し示す。


「これまで私たちの前に現れた傭兵や強化人間なんて、おそらくすべてはただの捨て駒。ヴェゼルが今度こそ何を狙って本格的に動き出したのか……その本当の目的までは分からないけれど、私たち姉妹が脱出に成功したことに何か感じているのは間違いないわ」

「なるほど……。今まで俺たちをしつこく狙ってきた刺客たちも、全部俺たちの戦力とデータを測るための前座にすぎなかったというわけか。」


 古城はナイフの柄から手を離し、ゆっくりと息を吐き出して、静かに、しかし燃えるような殺気をその瞳に宿した。


「敵の幹部が自ら動いたということは、向こうの準備もいよいよ完了したってことだ。こちらから隠れて逃げ回るフェーズは、ここで終わりだな」

「ええ。こちらから尻尾を巻いて逃げ続けたところで、いつか奴らはこのグレイス・ガードごと私たちを踏みにじりに来るわ。……ならば、自ら敵の懐に飛び込み、すべての因縁をその手で断ち切る。古城くん、ほたる……覚悟はいい?」


 みぞれがカチリと冷たい金属音を響かせ、コントロールシリンジの補助リングに指を滑り込ませた。


「はい、お姉ちゃん! 私はもう、過去の恐怖に怯えてばかりの弱い少女じゃありません。古城先輩と、お姉ちゃんと……二人と一緒にっ、この手で未来を掴み取るために!」


 ほたるもまた、迷いのない強固な決意をその瞳に宿して二人を見つめ返した。


「よし。ターゲットは『プロメテウス』の幹部、調律師(チューナー)ヴェゼル。……俺たちの日常と、この温かな居場所を守るため、総力を挙げて決着をつけに行こう」


 闇の巨悪が潜む地下要塞へ向けて、最強の絆で結ばれた3人の決戦の扉が、いま静かに、そして力強く開かれようとしていた____。



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