第1話 サービス終了のその先で。
「……終わった、な」
俺の、いや、俺たちのすべてだった。
VRMMORPG『エデン・クロニクル』――通称『エデクロ』は、その十年の歴史に幕を閉じた。
画面の端でカウントダウンされていた数字がゼロになり、視界が強制的にログアウトの暗闇に包まれる。
しかし、俺の胸に去来したのは、感動的なフィナーレへの涙ではなかった。ドス黒い、煮えくり返るような『怒り』だ。
かつて神ゲーと称されたエデクロは、数年前に運営会社が買収されてから一変した。
利益至上主義に走った新運営は、既存の設定や世界観を徹底的に破壊。
課金アイテムの乱発、整合性のない急ごしらえのシナリオ、そして最終的には、世界そのものを文字通り「リセット」する大災害イベントを強行し、多くのプレイヤーが愛したNPCや街を文字通り灰にした。
そして、集金できなくなったらこれだ。あっさりとサービス終了。
俺たちの十年間は、あいつらの財布を潤すための都合のいいデータに過ぎなかったらしい。
「ふざけるな……。俺たちの思い出を、あの世界を、何だと思っていやがる……!」
深夜、自室でVRヘッドセットを叩きつけるように外す。興奮のあまり心臓が痛いほど脈打っていた。コンビニへ頭を冷やしに行こうと、ふらつく足で外へ出る。
「ちっ……どれだけやり込んだとおもって。俺らの時間を返せよっ……」
「……ん?」
深夜の交差点。視界を遮るように割り込んできた、トラックの強烈なヘッドライト。
急ブレーキの耳障りな金属音。
(マジかよ、クソ……。俺の人生、ここで終わりか……。なんだよあっさりと終わって)
(まあ、どうせつまんない人生だったし、未練は……)
(いや、どうせなら、あの黄金期のエデンに――)
それが、俺――神崎悠斗の、前世最後の記憶だった。
◇◆◇
「……ガ、……ア?」
喉から出たのは、自分の声とは思えない、潰れた蛙のような不快な鳴き声だった。
(猛烈に頭が痛い。視界もひどく低いし。)
ゆっくりと目を開けると、そこは薄暗く湿った洞窟の中だった。鼻を突くのは、腐肉と泥が混ざり合ったような強烈な悪臭。
(なんだ、ここは……? 事故に遭ったはずじゃ……)
自分の手を見る。
視界に飛び込んできたのは、赤黒い、不気味な緑色の皮膚。爪は異常に鋭く、指は短く太い。
全身を触る。衣服は身につけておらず、腰にボロ布を巻きつけているだけだ。
「ガア!?(な、なんだこれ!?)」
慌てて近くの水たまりに駆け寄り、その水面に映る影を覗き込む。
そこにいたのは、耳が尖り、鼻がひしゃげ、黄色い濁った眼球を持つ、醜悪な小鬼の姿。
(ゴ、ゴブリン……!?)
脳内に、津波のように「情報」が直接流れ込んできた。
「ガッ、ハァ、ハァ……!」
自分の喉から漏れる、ひび割れた粘つく呼吸音にすら吐き気がする。だが、そんな嫌悪感に浸っている猶予は一秒たりともない。
俺は洞窟の最奥、湿った岩肌に背を預けながら、頭の中に浮かび上がる半透明のステータスウィンドウを凝視していた。
そこには、目を覆いたくなるような惨状が記されている。
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【ステータス】
名前:なし(ゴブリンA)
種族:ゴブリン(最下級魔物)
レベル:1
HP:15 / 15
MP:3 / 3
筋力:4
耐久:3
敏捷:5
魔力:1
器用:4
【固有スキル】
・夜視(Lv1):暗闇の中でも、わずかに視界を確保できる。
【称号】
・始まりの生贄:ゲーム開始時に必ず討伐される運命にある者。
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(……ゴミだな)
吐き捨てた言葉は、ただの濁った呻き声にしかならない。
エデクロにおける、初期人間の戦士職の平均筋力は『15』。それに比べて俺の筋力は『4』。耐久にいたっては『3』だ。
初期プレイヤーの初期装備である「錆びた鉄剣」で、まともに一撃を喰らえばそれだけでHPの八割が吹き飛ぶ計算になる。
おまけに称号の【始まりの生贄】。バグか呪いか知らないが、運命そのものが俺を殺しにきている。
エデクロの仕様通りなら、この世界が始動してから三日目の午前十時、この『試練の洞窟』の結界が解除され、最初のプレイヤーたち――チュートリアルを開始した「勇者候補」がなだれ込んでくる。
彼らは不慣れな操作で、しかし圧倒的なステータス差にモノを言わせて、俺たちゴブリンを文字通りの「経験値の餌」として貪り食うのだ。
(待てよ……。今、俺の頭にあるこの『仕様』は、本当に現行のゲーム通りなのか?)
俺は泥のついた手で、禿げ上がった緑色の頭を抱えた。
前世の記憶。あの忌まわしいサービス終了の瞬間。運営は利益のために世界観を崩壊させ、最後には大災害で世界をリセットした。
もし、この転生先の世界が「運営に使い潰された後のエデクロ」だとしたら?
あるいは、「何度もリセットを繰り返されている世界」だとしたら?
カサリ、と背後で音がした。
「グルル……?」
振り返ると、俺と同じように醜悪な、しかし完全に理性を失った虚ろな目をしたゴブリンが三匹、這い出てきていた。
彼らは俺を見ても何も喋らない。ただ、よだれを垂らし、本能のままに生肉を求めて徘徊している。
(こいつらは……プレイヤーじゃない。本物の、ただのNPCモンスターだ)
話は通じない。協力も仰げない。
俺は完全に孤立無援。最弱の肉体。迫り来るタイムリミットは七十二時間。
(……やってやる。俺はエデクロを十年間愛し、すべての仕様を頭に叩き込んだ男だ。運営の用意した『チュートリアル』ごときに、無様に殺されてたまるか!)
生存への執念が、ゴブリンの醜い五臓六腑を熱く焦がした。
◇◆◇
一日目。俺が最初に行ったのは、洞窟内の徹底的なアイテム拾いだった。
ゴブリンの筋力では、岩を動かすことすら一苦労だ。しかし、この『試練の洞窟』はかつてゲームで何百回と通った場所。
どこに何が配置されているか、隠し要素を含めてすべて知っている。
「ガハ、グ、ル……(あった、ここだ……)」
洞窟の西側、崩れた岩の隙間。ゲーム内では「ただの背景グラフィック」として処理されていた、小さな粘土質の壁。
俺は鋭い爪が剥がれ、緑色の血が滲むのも構わず、必死にその壁を掘り進めた。
数時間の泥臭い作業の末、ガチリと硬い手応え。掘り出したのは、一本のひび割れた大腿骨。
何の変哲もない骨に見えるが、エデクロの裏設定資料集にのみ記述があった【忌まわしき古戦場の遺物】だ。
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【折れた古巨人の大腿骨】
分類:鈍器(素材)
攻撃力:+8
特殊効果:打撃時、極小確率で相手を『怯み』状態にする。
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(よし……!)
今の俺にとって、攻撃力+8は文字通り「神の武器」に等しい。これを両手で抱えるようにして持つ。
次にやるべきは、レベル上げだ。
だが、外に出れば一瞬で森の狂暴な魔物に噛み殺される。かといって、洞窟内の他のゴブリンを殺しても、同じ種族間では経験値が著しく低い上に、群れに襲われるリスクがある。
俺が目をつけたのは、洞窟の天井に無数にへばりついている【ブラッドバット】だった。
レベルは1、HPはわずか『3』。ただし、俊敏性が高く、普通に攻撃しても当たらない。
「キィィィ!」
頭上から襲いかかってくる一匹のコウモリ。俺は慌てず、前世の『回避感覚』をゴブリンの貧弱な肉体に無理やり落とし込んだ。
左耳のすぐ横を、コウモリの鋭い牙がかすめる。
――今だ!
「ガアアア!」
両手で掲げた古巨人の大腿骨を、泥臭く、しかし正確な軌道で振り下ろす。バキ、と生々しい音が響き、コウモリが地面に叩きつけられて光の粒子に変わった。
【経験値を1獲得しました。】
(ハハ、ハ……! いける、いけるぞ!)
これだ。ゲームのグラフィックとは違う、生々しい肉体の躍動。しかし、システムは確かにエデクロのそれだ。
俺は貪欲に、狂ったようにコウモリを狩り続けた。一匹倒すごとに、息が切れ、筋肉が悲鳴を上げる。
ゴブリンの肉体は驚くほど脆く、スタミナがない。だが、一歩間違えれば死ぬという恐怖が、俺の限界を強制的に突破させていた。
二日目の夜が明ける頃。
俺の体は一回り大きくなり、皮膚の緑色が少しだけ濃くなっていた。
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レベルが5に上昇しました。
ステータスポイントを5獲得しました。
スキル【不意打ち(Lv1)】を獲得しました。
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レベル5。筋力は『9』まで上がり、HPも『40』に増えた。だが、これでもまだ、三日目にやってくる「勇者」には遠く及ばない。
なぜなら、チュートリアルに現れる勇者――初期プレイヤーの背後にいるのは、この世界の設定上、世界を導く『光の女神』の加護を受けた超世代の化け物だからだ。普通に戦えば、レベル5のゴブリンなど微塵切りにされて終わりだ。
(正面から戦うなんて、最初から考えてねえよ)
俺は不敵に笑った。ゴブリンの顔での笑顔は、悪魔そのものの凶悪さだったが、その瞳には冷徹なゲーマーの知性が宿っていた。




