8. 異世界生活の基盤作り
その日の夜はマーサの店に泊めてもらうことになった。自宅は別の所にあるようで、俺と鈴子様の二人きりになった。まあ、いつも二人きりなので、それはいいのだが・・・
寝室は一つしかない。つまり、ベッドも一つしかない。俺はどこで寝るべきなのだろうか。昨夜は一つのテントで一緒に寝るべきだと押し切られたが、ベッドで一緒に寝るのは流石にダメな気がする。
「えっと、俺は床に寝袋を敷きますので、ベッドは鈴子様が使って下さい。」
「そうか?では、そうするかのう。」
そう言って、鈴子様はさっさとパジャマに着替えてベッドに潜りこんだ。そして、スースーと寝息を立て始めた。さっきまでの、俺の緊張感を返してほしい。
翌朝、早くからマーサはやってきた。瓶詰めの終った薬の数をチェックして、早速納品に行くらしい。そのための馬車も引っ張ってきていた。商品の積み込みを手伝うと、また礼を言われた。泊めてもらったのだから、このくらいの手伝いは当然だろう。
「貴方達はこれからどうするの?」
「職業ギルドに行って報酬を貰ったら、次の依頼を探そうと思います。」
「じゃあ、仕事が終わったらまたここにいらっしゃい。実はちょっと、相談したいことがあるの。今夜もここに泊まって構わないから、お願いできるかしら?」
「分かりました。助かります。」
「私の方こそ、本当に助かったわ。では、また夜にね。」
マーサは馬車に揺られて街の中心の方へ向かっていった。俺はまだ寝ている鈴子様が起きるまでの間、朝食の準備をすることにした。
職業ギルドは朝から混んでいた。まずは依頼達成の報告からだ。受付の人はサインが偽物じゃないかを確認してから、奥の上司らしき人物に書類を持っていき、バンっと大きな音を立てて判子が押されると戻ってきた。
「では、報酬の銅貨九十枚です。お確かめ下さい。」
手数料は先に引かれるのだな。俺は枚数を数えてから受け取った。そして、次の依頼を受けるべく、Fランクのボードへ向った。しばらく依頼書を眺めていると、鈴子様が言った。
「あれとあれ、それとあれとこれも受けるが良い。」
「鈴子様、依頼は一度に二件までしか受けられませんが。」
「分かっておる。我とお前で二件ずつじゃ。」
あ、なる程。その発想はなかった。
「しかし、どれも郊外での薬草採取ですが、よいのですか?また、通行料を払うことになりますが。」
本来は払う必要がないものだと知ると、ますます払いたくないと思うのが人情というものだ。
「心配せずともよい。我に考えがある。」
よく分からないが、鈴子様がそう言うなら大丈夫なのだろう。依頼は問題なく四件受けられた。もっとも、一人二件の扱いなのでランクアップはまた次の機会になるが。
門を抜けて郊外へ出た。鈴子様はこっちだと先導する。どこに目当てのものが自生しているのか分かるのだろうか?
「昨夜、マーサのところで見た蔵書の中に、薬草関連の図鑑があってな。生息場所なども克明に書いてあった。記述に間違いがなければ見つかるじゃろう。」
「えっ、ただ捲っているだけに見えましたが、もしかして、内容を全て記憶されているのですか?」
「そのくらい造作もない。お前ばかりに苦労かけさせるのは忍びないからのう。」
「至らない従者で申し訳ありません···」
「なに、それぞれの得意を活かす。それだけのことじゃ。」
農村を避けて、草原から森の中に入っていった。間もなくして、目的の薬草の一つを見つけた。
「ありました!」
「うむ、一つの箇所から全部採ってしまうと再生が遅くなるようだから、少し残しておくがよい。あと、根に薬効があるもの以外は地面の上に出ている部分だけを採るのがよいらしい。念のため、依頼の量より多めに集めておこうかのう。」
鈴子様の指示通りに探すと、面白いように見つかった。まるで、そこにあることが最初から分かっていたかのようだ。いくら図鑑とは言え、そこまで的確に書かれているものなのだろうか?しかし、おかげで薬草の採取は捗り、半日ほどで全て集まった。
「では、帰りましょうか。」
「うむ、集めた薬草は例の袋に入れておけ。荷が多いと、また追い剥ぎに目を付けられるやもしれん。それから、街に入る時じゃがの。これは説明するより、やってみせた方がよいか。」
鈴子様は俺の両手を取った。
「今からお前の手に魔力を流す。まずはそれを感じ取るのじゃ。」
鈴子様のあまり体温を感じられない手指から何かが伝わってくる。それはエネルギーのような、波のような、不思議な感覚だった。脳内では淡い青色が見えた。
「分かったか?では、今度はお前が我に同じ魔力を流してみるがよい。」
言われた通り、俺は感じたものと同じ魔力を流すイメージで鈴子様の手に集中した。
「ふむ、やや強いな。もう少し波を弱められるか?」
俺は神経を集中させて、波をもっと微細なものにする。
「うむ、よいぞ。その形を覚えるのじゃ。そして、それを集中せずとも出せるようにしてみろ。」
段々とハードルが高くなっていくが、自分の心臓の鼓動と呼吸のタイミングに合わせる形で魔力の維持に努めた。少し時間がかかったが、何とかできたようだ。
「よし、では街が見えてきたら、門を潜るまでその状態を維持するのじゃ。我の考えが当たっておれば、止められることなく通れるじゃろう。」
夕暮れになる前に街の外に戻れた。これならギルドに依頼達成の報告もできそうだ。問題は無事に門を通過できるかどうかだが・・・
鈴子様に言われた通りに魔力を放出するイメージを働かせた。そして、そのまま門へ向かった。門番は昨日の人間とは違うようだ。日替わりで交代するのだろうか。俺達は再びフードをかぶって黒髪を隠し、他の人達に紛れて通過しようとした。
「おい、そこのお前。」
俺は思わずビクッとなった。すると鈴子様が俺の手をギュッと握った。
「大丈夫じゃ、落ち着け。」
小声で呟いた。俺は呼吸を抑えて無理やりに落ち着かせた。
「そこのお前だ。ちょっと、こっち来い。」
門番は俺達の後ろを歩いていた男の服を掴み、引っ張っていった。
「ふぅ、緊張しました・・・」
門を抜け、ギルドの前に来て、ようやくフードを外した。
「胤広は本当に心配症だのう。おっと、今はシードであったか。」
「すみません、危うく取り乱すところでした。」
「よいよい。我とて、確信があったわけではないからの。でも、次からは安心じゃな。」
「結局、あれは何だったのでしょうか?」
「ふむ、昨日ウォレンとやらが見せた首飾りがあったじゃろう?実はあれからは微細な魔力が発せられておったのじゃ。恐らくそれが市民と余所者を見分ける信号になっておるのだろうと検討をつけたのよ。そこで魔力を操作して、同じ信号を発せられるようにした訳じゃ。」
「つまり、俺達自身があの市民章と同じ効果を持っていたと?」
「うむ、そう言うておる。」
「さすが、鈴子様です!あ、今はリーン様でしたか。」
「その"様"も人前では外すがよい。我はリーンじゃ。よいな?」
「えっと、分かりました。では・・・リーン?」
「ふふっ、なんだかこそばいのう。」
「すみません・・・」
「いや、よい。これもまた未知なる体験じゃ。異世界というものは存外に悪くないものじゃのう。」
指定の薬草をギルドに納品し、達成報酬を貰った。マーサの店に行く前に市を覗き、古着屋で街の住人が着ているような服と食料を少し買い足した。これで少しは見た目も街に溶け込めるだろうか。宿代が浮いたから買い物もできるが、そうでなければ食事にも困ったことだろう。
店に着くとマーサがいた。納品は無事に終わったようで、今は物が散乱した一階を片付けているようだ。
「お帰りなさい。お仕事は順調かしら?」
「ええ、何とか。何かお手伝いしましょうか?」
「いいのよ。ゆっくり片づけるから。これからの時間はたっぷりあるしねえ。」
「やっぱり、廃業されるのですね。なんだか勿体ないですね。」
「年には勝てないわ。貴方達がこの街にずっと居てくれるなら、ここを譲ってもいいんだけど?」
「えっと、そういう訳には・・・」
「うふふ、冗談よ。それだけの才能をお持ちなんですもの。こんな小さな店に閉じこもっていては、それこそ勿体ないわ。それでね、今朝言っていた相談事の件なんだけど。」
「はい。」
「よかったら、この蔵書と魔力壺を貴方達に引き取ってもらえないかしら?」
「ええっ、でもそれって、マーサさんにとって、とても大切なものなのでは?」
「ええ、魔法薬作りには絶対に必要なものよ。そして、代々受け継いできたものなの。特にこの魔法壺は現代の技術ではもう作れなくてねえ・・・素性の知れない他の誰かの手に渡るくらいなら、貴方達に受け継いでほしいの。ダメかしら?」
「分かった、我らが預かろう。」
「すずっ・・・リーン、本気か?」
「その代り、我からも頼みがある。この街にいる間に、薬の調合の仕方を教えてくれぬか?知識としては得たものの、実際にやってみるのはまた勝手が違ってのう。」
「ええ、ええ、勿論よ!その間はここに滞在してもらっていいわ!それに、ここだけの話だけどね、魔法薬作りって儲かるのよ?素材から全て自分で集められたら、だけどね。私は年をとってからは素材の調達も人に任せるしかなかったけど、貴方達なら問題ないわよね。」
「ほう、そうか?では、ギルドで採取依頼も受ければ一石二鳥だのう。」
「ええ、ええ。それに、私が廃業したら、この街の魔法薬は一気に値上がりすると思うの。今の内に備蓄しておけば、更に一石三鳥よ?」
「ほほう、マーサよ。お主も悪よのう。」
「いえいえ、リーンさんには敵いませんわ。」
「ふっふっふっ」
「ほっほっほっ」
なんだ、この会話?越後屋?
それからしばらくの間、俺達はマーサさんの店(アトリエと言うらしい)に住み込みさせてもらい、ギルドでは主に採取の依頼をこなし、ついでに採取した素材で魔法薬の調合を教えてもらう、という生活が続いた。食費以外の出費はほぼゼロなので、報酬の少ない仕事でも確実に手元にお金が残った。そして、ギルドのランクもFからEになり、Eランクのランクアップ条件である依頼数二十件を達成したのも直ぐだった。問題はその後なのだが・・・
今日、俺達は街の東側に来ていた。海に面しており、主な富裕層はこちら側に住んでいる。従って、街並みも西側に比べると格段に綺麗だ。
マーサから聞いた話によると、この街は自由都市グノーブルというらしい。他の都市は大体、王侯貴族が支配・統治しているが、ここは船と交易の中継地点として力のある豪商達による共同管理の形で自治が認められているようだ。そのため、建前上は身分の上下がないはずなのに、実際には貧富の差がそのまま身分の差となっている。
街には市民権を持つ者と、持たない者がおり、更には一等市民と二等市民に分けられる。一等市民権を持つ者は沢山の税金を納めなければならないものの、それ以上に商売上の優遇を多く受けられるため、欲する人は後を絶たない。しかし、一等市民権を割り当てられる人数には限りがあり、しかも世襲するため、申請しても中々得られないとか。結局、ここでもお金が絡んでいるんじゃないかと俺は思う。
二等市民権には特に得られる優遇はないが、街の出入りで目を付けられると通行料と称した賄賂を払わされるはめになるため、止むを得ず取得する人が大半のようだ。勿論これにも金は要る。賄賂と税金、どちらを払うかの選択に過ぎないが、やはり皆、賄賂を払うのは癪なのだろう。
「シードよ、あそこに屋台があるぞ?」
「ああ、本当だ。行ってみようか。」
今日は仕事をしないで休みにした。蓄えもそこそこできたし、たまにはそんな日があってもいいはずだ。街の東側に来たのは、要は観光である。富裕層の人達は少々奇抜な格好をしているので、元の世界の服装でもあまり違和感がない。本当なら肩身が狭くなりそうな場所だが、どこかサンフランシスコにも似た開放的な雰囲気に、俺はちょっと心がウキウキした。
「おっ、海産物を売っているな。リーンはどれが食べたい?」
主従関係は相変わらずだけど、言葉使いは改めることになった。鈴子様ことリーンの口調はどうあっても変わらないけど、俺は二人きりの時でも敬語を使わないことになった。名前もシードとリーンで通すことになった。いざという時にボロが出ないようにするためである。
「うむ、やはり生魚で刺身であろう。貝もよいな。醤油はまだあったかな?」
「こっちでは生食の習慣はないみたいだけど、まあ、持って帰って試してみるか。」
リーンの表情も、初めて会った頃に比べると随分豊かになったなと思う。相変わらず、異性と言うより崇めるべき存在なのだが、時々笑顔を見てはドキッとする瞬間がある。今も海から反射する太陽の光を浴びてキラキラしている姿を見ると、まるでデートしているような気分になる。
「ほら、揚げたての白身魚だよ!このサワークリームを付けて食べると絶品だよ!」
「のう、シードよ!」
「はいはい、二つください。」
それにしても、リーンはよく食べる。食事は要らないと言っていた頃が遠い過去のようだ。でも、たくさん食べてくれるのは嬉しいし、今日も楽しんでもらえているようで、来てよかった。
たっぷり休ん後は、たっぷり働かなければならない。東側の物価の高さを甘く見ていた。貯金が一気に減ってしまった。そろそろ、Dランクに上がるべきか。しかし、その前にやらなければならないことがある。それは、実技試験だ。
Dランクの依頼では、それまでになかった護衛や大型動物の狩猟、危険生物の討伐など、危険度の高い仕事が増える。その為、戦闘技術が一定以上あることを実技で証明しなくてはならない。
実技試験を申し込むには、一人当たり銀貨二枚がいる。これは、生半可な者の申し込みが増えないようにするためと、それがそのまま試験官の報酬になるからだ。試験官は上位ランクの者が雇われる形でなる。雇われ試験官にとっては格下を相手するだけで報酬が貰える美味しい仕事なので、成り手には困らないようだ。ギルドはここでもキッチリ一割の手数料を引くみたいだけど。
俺はともかく、リーンに試験を受けさせるべきなのだろうか。リーンには不思議な力があるが、荒事には向いてない気がする。しかし、Dランク以上の仕事にE、Fランクの者は帯同してはいけない規則になっているので、俺だけがDランクになるわけにもいかない。ランクアップを諦める、という選択肢もあるが···
「実技試験とやら、申し込むがよい。」
「しかし、リーンは···」
「ふふっ、その呼ばれ方にも慣れてきたのう。我のことは心配いらぬ。シードこそ、油断して怪我などするでないぞ。」
その一言で俺の腹は据わった。俺が先に受けて、無理そうなら諦めればいい。銀貨二枚は勿体ないが、その時はまた稼げばいいだけだ。
ギルドの受付に行き、実技試験の申し込みを済ませると、後ろから肩を叩かれた。
「よっ、久しぶりだなあ。」
「ウォレン!」
「最近、荒稼ぎしているらしいじゃないか?ギルド内でも噂になってるぜ。名前が変わっていたから、最初は誰だか分かんなかったけどよ。」
「忠告通りにしたんだよ。俺はシード、こっちはリーンだ。」
「おう、分かりやすくていい名前だな。今はランクはいくつだ?」
「Eだけど、今ランクアップの実技試験を申し込んできたとこだよ。」
「おっ、じゃあ、合格したら俺と一緒に仕事できるな。」
「ウォレンのランクはいくつなんだ?」
「俺はCだよ。もう少しでBランクの試験を申し込めるんだ。」
「それはスゴイ。」
「そうでもないさ。Cで長いこと燻ってたからよ。Bランクになれば、やっとこの貧乏暮らしにもおサラバよ。」
「へえ、そうなのかい?」
「ああ、それくらいになれば金持ち連中からの指名も入るからな。ま、それはそれで苦労しそうだがな。主に依頼者のご機嫌取りにな。」
「それは···ご愁傷さま。」
「いずれ、お前もそうなるんだぜ?ところで、今日の試験官なんだが、気をつけろよ。一人は格下をなぶる悪趣味野郎だ。もう一人はやたら腕が立つベテランだ。」
「それは、どっちも嫌だなあ。」
「まあ、ヤバかったらさっさと降参することだ。生命までは取られないからよ。俺も観戦するから、気合い入れてけよ!」
「ああ、忠告ありがとう。」
ウォレンが去るのを見てから、リーンが言った。
「あの男と、随分仲良さそうではないか。」
「そう?まあ、こっちの世界の唯一の知り合いだからなあ。」
「まあ、よいが、あの日の約束事を忘れるなよ?」
「分かってる···」