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「これでよかったのか?レイラ」
モンタールド邸のサンルームで、すこし口を尖らせた弟のトマが言う。
「落とし所としてはちょうどよかったと思うわ」
レイラはティーカップを傾けた。
―――ああ、いい香り。
紅茶の豊かな香りが広がる。
「綺光石というのは私も意外だったわ」
「そうかしら?どうせなら欲しいものをもらった方がいいじゃない」
藤色の髪の美丈夫の言葉に答える。
クロフォード家の爵位を奪うつもりもないし、誰かの首なんてもっての他。国王陛下が卿に価値を見出だしている以上、なにやかにやと騒いでは、モンタールド家の品位が下がる。
それなら尚のこと、シンプルに自分のほしいものを求めた方がいい。
ロイドは「そうね」と頷いて、ショートブレッドを一口齧った。
「問題は綺光石をどう加工するか、ね」
脆い石だからコーティング材は必要よね。
好きな形に加工できるのかしら。それとも粉末状にして、塗料や接着剤に混ぜた方がいい?
「ご心配なく。こちらの国でも、我が国でも、有能な石工に覚えがございます。きっとお嬢様に助言を差し上げられるでしょう」
「あらそう?いつもありがとう」
黒い商人の言葉にレイラはにこりと微笑む。
「本当に頼りになるよなあ」
「そんな。恐れ入ります」
パウンドケーキを頬張ったトマの感嘆に、隣国の商人は首を横に振って謙遜する。
「いいえ、トマの言う通りよ」
男はいつだって期待を裏切らない。…四次元ポケットでも持ってるのかしら、なんて。
目を細めたレイラはそのままぐるりとテーブルを見回す。
今日は最近はまっていた青い花茶ではなく、商人が手土産に持ってきた上質なアールグレイがサーブされて、お茶請けのお菓子もそれに合わせたものになっている。
―――バタフライピーのときよりペースが早いのは気のせい?いやまあ、飲み慣れてるし、このお菓子もとっても美味しいけれど。
レイラは自身もパウンドケーキをぱくりと食べる。
うん。レモンピールが爽やかで美味しいわ。
「それでお嬢様、これは一体どうして?」
「うーん。けじめかしら?」
ロイドはレイラの答えに片眉を上げた。
「けじめ?お嬢様がなぜ?正直、一連の騒動はクロフォード夫人の逆恨みで、お嬢様は巻き込まれた側なんだからもっと要求してもいいくらいじゃないかしら」
「そうね。そうかもしれないんだけど…」
レイラは苦笑する。
令嬢だ貴族だと言っても、レイラの中には『私』の感覚がある。根っからの貴族であるロイドの意見の方が主流なのかもしれない。
「でも、このままだと後味が悪いじゃない?これはわたくしが自分のためにする落とし前よ」
「…落とし前」
トマがぽつりと繰り返した言葉がやけに響く。
「まあ、お嬢様がそこまで言うなら」
ロイドはそう言って、渋々ながらレイラの頼みを引き受けてくれた。
***
清々しい秋晴れの日、クロフォード夫人が南の療養所へと出立するその日。
レイラはこっそりクロフォード邸の傍までやって来ていた。傍らには婚約者のルチアーノ。
「気持ちのいい天気だね」
と、アドリアン王子殿下が。
「…どうしているんですか、殿下」
「えー?仕事だよ、もちろん」
アドリアンは笑顔だが、夜色の髪の上、衛兵団の制服を着ている。
―――お忍び臭しかしないんですけど、どういうことですかね?
ちらりと隣を見上げると、天鵞絨色の髪の彼はそっと目を逸らした。
「ほら、クロフォード夫人が出てきたよ」
アドリアンの言葉に顔をあげると、ちょうど屋敷から夫人が出てきたところだった。
門扉の前には王宮の黒い馬車が控えている。
南の療養所は治る見込みのない患者が集まる場所だ。医療刑務所も兼ねているとか。
クロフォード夫人もきっと、二度と戻ることはない。
夫人を追って、クロフォード卿と娘のハンナが飛び出してくる。
ハンナはひどく泣き濡れていて、強く母に抱きつく。夫人も優しくハンナの髪を撫で、そしてそんな二人ごと、クロフォード卿が腕を回して抱き締めた。
家族の深い愛情が窺い知れる光景だ。
レイラはぎゅうと胸が痛んで、苦しくなる。
桃色の髪のハンナと、ローズ色の髪の夫人。二人は本当にそっくりで、歳の分だけ夫人の方が深みがあるが、姉妹と間違えそうなくらい可憐だった。
あんな人がどうして、とレイラは思う。
別れを告げたらしいハンナが覚えのあるぬいぐるみを差し出す。
「レイラ、あれ…?」
「ええ」
ルチアーノに頷いて答える。
ロイドに頼み込んで作ってもらったレイラパピヨンのぬいぐるみ。ハンナを模したピンク色のうさぎで、瞳の色も同じ。白いレースのエプロンドレスを着せている。
それは別離する母子に、レイラからの餞。
「隔離病棟じゃないから、いつでも面会は可能だよ」
アドリアンが言う。
「それでも、ね」
だって、やっぱり後味が悪いもの。
ロイドに伝えたように、レイラの気持ちの整理の意味もある。
ぬいぐるみを受け取った夫人が黒い馬車に乗り込む。大きな車輪がごろりと回ってまっすぐ走り出した車体は、レイラたちがいる場所のすこし手前で進路を変えた。
そのとき――。
クロフォード夫人が窓越しに、レイラへ向けてこくりと首を傾げて会釈する。毒気のない、やわらかな微笑みで。
「…………」
レイラはなんとも言えない気持ちで馬車を見送った。
わたくしたちに気付いていたのね、とか、あの笑顔はどんな意味なのかしら、とか、いろいろ思うところはあるが、それ以上に。
―――本当に、どうしてこんなことになってしまったのかしら。見た感じはとってもやさしそうな人なのに。
疑問は尽きないが、夫人はすべて洗いざらい話している。
子供を失い、貴族社会に恨みがあったこと。残った娘を守るため、ハンナを社交界に出す気はなかったこと。その代わりにブノワトを利用しようとしたこと――。
「レイラ!」
涙で顔をぐしょぐしょにしたハンナが駆けてくる。
ルチアーノもアドリアンもいるのに、ハンナは躊躇いもなくレイラの胸に飛び込んだ。
「うわあああぁん!」
そしてそのまま声を上げてわあわあ泣いた。
レイラもハンナをぎゅうと抱きしめて、滲む涙を拭う。
クロフォード夫人はさらに続けていた。
―――当時、子供が流れたきっかけの貴族というのが、ブノワトの両親である元地方伯爵夫妻だったということ。
すべての責はブノワトに負ってもらおうと企てていたこと。他の使用人から嫌われていたブノワトが一連の流れで害されても、特に構わないと考えていたこと。
ブノワトが横領した金は、モンタールド侯爵家から返してもらおうと考えたこと。ついでにその娘・レイラの名声も地に落としてしまおうと考えたこと――。
夫人の思想は非常に危険だ。薬物の影響があってもなくても、彼女は隔離されていただろう。
一方で、家族への愛情は本物だった。
やり方は悪いが、ハンナを守ろうとしていたし、夫のためブノワトが散財した金を取り戻そうとしていた。
「レイラ、ぬいぐるみっ、用意してくれて、ありがとう…!」
「…いいのよ」
嗚咽混じりのハンナの言葉に頷く。
夫人の人となりを知ってしまえば、彼女だけを悪者にするのも違う気がするのだ。




