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クーイの素性

 中はひたすら暗い。思わずソロスコは『発光』の魔法を唱えた。ソロスコの手のひらが光り始め、ぼんやりと闇が後ずさった。


 そこはトンネルのような長廊下だった。廃墟のような、だが、誰かの手が確実に入っている廊下。長い長い画廊。調度品は何もなく、ただ額縁に絵が飾られた空間が延々と続いている。


 ひいっとパージェがクーイにしがみついた。


「僕……僕、ここ、見覚えある……見たことある……」


 そんな筈はないのに。新館が建てられてから、パージェのための扉は閉ざされてしまった。あの石の後ろの隠された入り口なんて知らない。彼女が知っているのは旧館から新館に繋がる渡り廊下だけだ。


「ううん、違う……見たことはないや。臭いだ。臭いを覚えてる……これは……」


 パージェは目を閉じ、何かを必死に思い出そうとした。心の奥の扉から僅かに差し込む光を探り当てるかのように。


「ここは……母様の部屋だ」


 古びた扉のノブをゆっくりと回す。埃の混じった甘い臭いが鼻を突いた。天井から吊るされたガラガラとその真下にある揺り籠、三面鏡のついた猫足のドレッサー、そして壁に見知らぬ男性の肖像画。


「やっぱり!」


 今まで黙っていたクーイが突然声を張り上げた。片手で額を押さえ、体をくの字に折る。


「そうさ、そうだよ。つまり誰もが悲劇の主人公だったって訳だ!」


「何、何、どうしたのさ?」


「お、おい……」


 パージェとソロスコは、突然の彼の反応に驚き、戸惑った。クーイは何かを飲み込むように呼吸を整えると、見知らぬ男性の肖像画を見上げた。


「あなたのお父様になる筈だった方ですよ。パージェ様」


「……え?」


 パージェは肖像画を見つめた。暗がりに阻まれてあまりよく見えないが、髭が濃く逞しく陽気そうな男に見えた。ただ、着ている服の色が褪せているのか、もともとの色なのか、ぱっと見た感じ裕福そうには見えなかった。


「そして、あなたのお母様の永遠の恋人ですよ」


「永遠の……恋人?」


 意味が分からない。自分の父親は逆賊で処刑されたのでは無かったか。国をひっくり返そうとした大悪人の筈だ。こんな陽気そうな、善人そうな訳がない。


「あなたのお父様ではありません。あなたのお母様の、恋人です。婚約者と言えばお分かりになりますか。あなたのお父様になる筈だった方ですよ」


「筈って……姫さんのとーちゃんはこいつじゃなくって……」


「ええ。アインスト・ラーベルトゥス卿です」


 その言葉の途中でしゅっと言う音が微かにクーイの首筋を掠めた。蟲が空気を切り裂いて白い鞭となって半円を描いていた。少年は僅かな動きでそれを避けていた。


「その名前を……そいつのことを、僕の前で、口にするな!」


 パージェは煮えるような目でクーイを睨み付けていた。


「幾らクーイでも許さないからな! あんな逆賊! あいつの所為で僕は伯母様に認めて貰えないんだっ! あんな奴の血が僕の中に流れているからっ!」


「ま、待てよ姫さん……」


 おろおろとソロスコが宥めようとするが、蟲が怖くて近づけない。二人の姿が次第に光源を離れ、暗闇に沈んでいく。


「パージェ様は先ほどの画廊の絵を良くはご覧にならなかったのですね。まあ暗かったし仕方がないです。ですが、その思い込みは間違っています。レディ・ラアニはパージェ様が憎いのでも、お父様が憎いのでも無い。逆です。あそこの絵をもう一度良くご覧になって下さい。貴女のお母様のお手紙をもう一度お読み返し下さい。そして、私の力になって頂きたいのです。私には貴女が必要なのです!」


 薄暗くなった子供部屋の中に、冷静な少年の声だけが響き渡る。


「夢だったんです。私はずっと天涯孤独だと思っていましたから。私はひとりじゃないと知ったとき、嬉しかった。すごく嬉しかった。私も貴女と同じように苛まれ、虐げられてきました。逆賊の息子として。でもあの事件は捏造だった。両親は嵌められたのです。貴女をここからお助けします。だから手伝って欲しい。父の、我が一族の汚名を晴らしたいのです。もう誰かの駒のように使われるのは御免です。貴女のお力をお貸し下さい」


 画廊の……絵? あの手紙……?


 パージェもソロスコも呆然とし、走るように廊下に飛び出した。ソロスコが手のひらをかざすと、額縁と肖像画が浮かび上がる。


 パージェとも、クーイともつかない人物の絵。


 尖った耳介。切れ長の瞳。貴族らしい優美な衣装。綺麗に整えられ、束ねられた髪の毛。


「家族のいるソロスコが羨ましかった。血の繋がりがある人が、この世にひとりでも居るって思うだけで、どんなに辛いことも我慢出来た。夢だったんです。血を分けた絆があるってことが」


 クーイは絵を見上げ、そしてその絵を背にして立った。肖像画と少年はよく似ていて、そして別人だった。


「この絵の人はアインスト・ラーベルトゥス。貴女の本当のお父様で、ラアニ様の元婚約者で、僕の父の双子の弟。叔父に当たる人物です。そして僕はクリエワンス・ノイス・ノエラス。ノエル侯爵第一子にして爵位第一継承者。貴女の従弟なんですよ、パージェ様」


 絵を背にした少年は、まるで肖像画のように見えた。



 似ている。


 初めて会った時、そう思った。


 似ている。


 二人が並んだ時、そんな気がした。


 似ている。


 パージェの髪が濡れて、ふわふわの毛が肌に張り付いたとき、真っ直ぐな髪のクーイと同じような頭の形をしていると思った。


 耳の形が同じだと思った。


 目が良く似ていた。


 こんなに似ているのに、まるっきりの他人である筈が無かった。



「……」


 パージェは白い鞭を腕に絡めると、クーイに向かって突き出した。


「じゃあ……君を殺さないといけないね……」


 抑揚の無い声で呟く。ソロスコはぎょっとして身を引いた。


「一族刑、だもんね……君が、主犯の息子が生きている筈、あっちゃいけないよね……君は本来、死んでいるべき存在なんだよね……」


 闇の中で、涙を湛えた金色の瞳が煌めいた。


「信じていたのに! 君だけは僕を裏切らないって、信じていたのに!」


 ぶうん。風を切って蟲が飛んだ。


「逆賊め、逆賊め、逆賊め! ノエルの穢れた血め! 君の所為で僕は伯母様に、伯母様に……うわあああああ!」


 彼女は猛り狂い、蟲をめちゃめちゃに暴れ回らせた。喉の奥から嗚咽がどんどんどんどんこみ上げてきて、止まらなかった。胸が苦しくて何もかもが滅茶苦茶で、気がついたら、馴染みのある女性の声以外には、何も無くなっていた。雇い人の近づく気配を察し、クーイ達はやむなくその場から退避してしまっていた。


「誰かと思えばパージェ様じゃないですか。こんな格好でこんな場所にいらして、一体どうなさったんです? ミリイからお話は伺いましたよ。お館様にご報告せねばなりませんね。きついお仕置きがお待ちでしょうから、ご覚悟なさいましよ」


 侍女頭のアプスの声だった。パージェは昔から癇癪を起こした時にそうさせられていたように、魔法で強制的に眠らされて、旧館の自室に連れ戻された。


 その日以来、彼女が離れへ行くことも、術医学生と会うことも無かった。

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