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雪の日

「大丈夫ですか?」


 柱時計に近付いて、いつもの眩暈を起こしたパージェに気付き、クーイが駆け寄った。「だ、大丈夫……」と彼女は力なく答えた。


「一体どうなさったのです?」


「わからない……ただ、なんて言うのか、気持ち悪いんだ……」


 柱時計は薔薇のサシエを隠したまま、チクタクと時を刻み続けている。


「少し横になってお休み下さいませ、パージェ様」


 クーイはパージェを抱きかかえてベッドに寝かせた。そして、彼女が毛布に包まるのを確認すると、部屋中に忍ばせたサシエをこっそり抜き取って回った。



 全てのサシェを取り除いてしまうと、パージェが眩暈に悩まされることは無くなった。暫くの間、パージェとクーイは一日の殆どを二人だけで過ごした。クーイが長椅子で眠るので、パージェも真似をしてベッドを使わなくなった。時折様子見に訪れるハリー教授には、二人はまるで兄弟のように見えた。


「パージェ様は読み書きはお出来になるんですよね?」


 いつものようなある日の午後、クーイは確認するような口ぶりで尋ねた。パージェは頷いた。


「僕が七つくらいの時だったかな、家庭教師とかいうのが何回か来たからね。読むほうは一応出来るよ。書くのは自信が無いけれど」


 パージェは正直に答えた。クーイは持っていた分厚い、パージェには難し過ぎてタイトルの読めない本を閉じた。


「お母様のお手紙は、もうお読みになったのですか?」


「……まだ……だよ」


 パージェはベッドに転がった。皺ひとつなく整えられたベッドカヴァーに、人型の跡が刻まれる。


「……なんか……読めないんだ。母様がもし、僕を……僕のことを……」


 ぐるりと体を回転させ、彼女はふかふかの枕に顔を沈めた。屋上で見つけた手紙の束は、キャビネットの引き出しに仕舞い込まれていた。


「そうですね……こわいですよね」


 クーイは頷き、閉じていた本をまた広げた。パージェはベッドから身を乗り出して彼の本を覗き込んだ。難しい文字がびっしりと並んでいて、別の意味で眩暈を起こしそうだ。


「それは何だい?」


「過去に起きた大きな犯罪についての記録と考察ですよ」


 クーイは羊皮紙に何かを書き込みながら答えた。


「私、もうじき入塔試験があるんです。高名な術医学者に師事したくて、塔に提出するレポートを書いているんです」


「……居なく、なっちゃうの?」


 パージェは半身を起こした。手がぎゅっとベッドカヴァーを握り締める。


「やだ、僕を置いていかないでよ。君と離れたくないよ……」


「ですが、春には私達医学生は、ソーレル様のもとに戻らなければならないんですよ?」


「やだやだやだ、僕も連れていってよ」


 パージェはベッドカヴァーをぐるぐると体に巻きつけて転がった。まるで駄々っ子だ。クーイはくすりと微笑んだ。


「わかっていますとも。ソーレル様に交渉してみるつもりですよ」


 パージェは「本当?」と顔を輝かせた。


「僕は外に出られるのかな。出たいなあ」


「じゃあ、出ましょうか、パージェ様」


 クーイは本を再び閉じると窓に近づいた。二重ガラスを大きく開け放つ。外の冷気が一斉に部屋中に滑り込み、暖炉の火がよろめいた。外からは、子供達の歓声が聞こえてくる。


「何? あれは何をやっているのさ?」


 寒さに身じろぎ、ベッドカヴァーをぐるぐる体に巻きつけた状態のまま、ずるずると布を引きずってパージェが窓際に寄った。窓から下を覗くと、医学生たちが雪合戦をしている真っ最中だった。


 クーイがパージェの手に手を重ねた。


「私達も混ざりましょうか、あの中に」


 黒髪の少年の提案に、パージェはたじろいだ。


「でも……あいつらは下民じゃないか……」


「ここの術医学生は士族に当たりますから、そんなに卑しい身分ではありませんよ。貴族の血統の方や、代々の士族の方など、様々混じっていらっしゃいます。一番身分が低いのは私ですよ。私はただの孤児ですから」


「そう……なんだ……」


 パージェはもう一度眼下を見据えた。雪を玉にしてぶつけ合っている光景は、産まれて初めて見るものだ。何が楽しいのだろう、きゃあきゃあと歓声がここまで聞こえて来る。


 戸惑う彼女の背に、外套がかけられた。振り向くと黒水晶の瞳が微笑んでいる。


「私達も行ってみましょうよ、パージェ様」


挿絵(By みてみん)


 タルヴァッカの事件以来、術医学生たちにとってパージェはバケモノ以外の何物でもなかった。二人が外に出ると、彼等は蜘蛛の子を散らしたように逃げ惑った。彼女がタルヴァッカの手術に大きく貢献したことなど誰にも知られていなかったし、目の当たりにした事件の凄惨さは強烈すぎた。


 そんな周囲の反応など気にせず、クーイはパージェの手をとった。


「パージェ様。まずはこうして、雪で玉を作るのですよ」


 二人は手袋に雪を掴み取り、きゅきゅっと丸めた。


「そして、相手にぶつけっこするんです」


 とクーイは説明し、同時にパージェの頬に雪玉をぶつけた。


「冷たいっ」


 パージェは悲鳴をあげた。クーイは笑った。


「さあ、次はパージェ様の番ですよ。私に雪玉をぶつけてみて下さい」


 えいっと投げた雪玉はクーイの肩にあたった。交互にそうして投げ合ううちに、段々順番など如何でも良くなってきた。パージェは雪玉をどんどん作ってはクーイに投げつけた。クーイからも雪玉はたくさん飛んできた。次第に二人は汗ばむほど走り回り、他の子供達と同じように歓声をあげるようになっていた。


 その様子を遠くからじっと見ているものが居た。ソロスコである。彼はパージェに友人を奪われた気分と、タルヴァッカの件に関しての複雑な思いとで葛藤していた。正確な状況が良くわからなかった。パージェのお陰でタルヴァッカは腕を回復したらしい。でも、「らしい」だけであって、どういうことがあったのかまでは理解出来ていなかったし、父からもそれ以上の説明は無かった。だから、あの二人とどう距離を取っていいものかも分からなくなっていた。


 遠くから見ていたのは彼だけではなかった。遊び場を奪われてしまったと感じた術医学生達がパージェとクーイのことをじっと睨んでいた。


 やにわに、一回り大きい雪玉がパージェめがけて飛んだ。

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