セール奮闘
な、なっ何でハダカなんだよ~、風呂なんてふつー浴衣着て入るモンじゃねーかっ!! つーかハダカのまま廊下に出てくんなよなぁっ!!
続けてもう一方の腕も振り回し、喚いた、つもりだった。だが現実には身を竦ませ、赤くなったり青くなったりを繰り返しながら、言葉にならない声をあげるばかりだった。
おっ、落ち着け、落ち着けってば、オレ~! う、うちの弟だって、しょっちゅうハダカで家ン中うろついてんじゃん。ひ、姫さんは年上のハズだけど、でも……その……と、とにかく、似たよーなもんだって! ぎゅっと目を瞑り、開き、大きく深呼吸をすると、ソロスコは恐る恐る指の隙間から窺った。
パージェは彼の存在にすら気付いては居ないようだった。ぼんやりと揺れる瞳を廊下に巡らせ、迷子の仔猫が母を呼ぶように、掠れた小さな声でクーイの名を呼び続けている。やがて生白い肌に水滴を纏ったまま、ふらふらと階段のある方向へ歩き始めた。このまま下階へ向かうつもりなのだ。尋ね人を探しに。
「うわあぁぁぁ~~~~ッ、ちょっ、ちょっ、待っ!!」
慌てふためいたソロスコは、走りながら自分の上着を脱いだ。後身頃を押さえる両面ベルトに翼をひっ掛け、危うく転びそうになりながら、漸く彼女を捕まえるとその身に上着を被せた。
「バッ……!!」
莫迦野郎、と怒鳴りつけそうになるのを慌てて呑み込む。
「……っ……え……う……つ・つ・つまりだな、イイトシコイテんーなカッコで出歩くんじゃね……歩かないでクダサイ、なのですっ」
ソロスコはパージェをこれ以上先に進ませないよう、肩を押さえる手に力を込めた。冷たくて骨ばった肩の細さにギョッとする。八歳の弟よりも小さく、細く、薄い体躯。年上の身体では無い。
「ほら、か・風邪ひーちめーだろ、部屋に戻んぞ……です、姫さん」
ぐいと肩を引くが、彼女は抵抗して体を堅くした。ひたと階段のある方向を見据え、うわ言のようにクーイを呼び続けている。
とうとう耐え兼ねたソロスコが声を荒げた。
「おいコラ、聞ーてんのかよっ姫さん! 部屋に戻れっつってんだろ! んーなにクーイが大事なら、何であんな怪我させやがったんだよーッ!!」
ビクリ。初めて金色の瞳が彼を向いた。何処か怯えているように。
「ア・ア・アイツはなっ、今っ、手術中なんだッ!! スゲー怪我してて、骨も折れててっ……クーイがあんな怪我したの、姫さんのせーじゃねーか!! アイツにヒデーことしやがったんだろ、タルヴァッカにやったみてーにさ……っ!!」
瞳に気圧されまいと声をふり絞った。ぐったりした友人の姿が瞼にちらつく。別人のように憔悴し、傷だらけの姿で横たわっていたクーイ。破けていた厚い外套。水桶に投げ込まれていた血のついた服。
「なのに、なのに、アイツに会いてーだなんて今更ムシのいいことゆってんじゃねーよ! 一度壊れたらもう元にゃ戻んねーモンだってあるんだぜ!! もしクーイの身に何かあってみろ、オ・オ・オレが容赦しねーかんなッ!!」
しん、と恐ろしいほどの静寂が訪れ、廊下に余韻だけが残った。
言った。遂に言ってしまった。興奮と緊張と恐怖でソロスコの体がぶるぶると震え出す。お・お・落ち着けオレ、最初っから姫さんにコレを言いに来たんだろーがっ。……でも、こ、今度こそ殺されちまう……カモ。全身が硬直して動けない。冷や汗がじんわりと滲み始める。
「……………ぼ」
血の気の無い唇が、震えた。
「………僕は………僕………………」
残酷な筈の姫君はうなだれ、小さな声で呟いた。
「僕の……所為……」
赤茶色の髪の隙間から、ぽろぽろっと何かが光りながら絨毯に吸い込まれた。ソロスコは凍りついたようにそれを見、そして視線をあげた。金色の瞳が海を湛えて揺らいでいる。またひと粒流星が落ちた。
「……そう……僕が……僕が屋根から……だからっ」
パージェはぎゅっと唇を噛み、そしてわっと顔を覆った。
「でぇっ!? ひ、姫さん!? うわ、ごめんっ、悪かったって!!」
なっ、泣くかよ~!? 思わぬ反応にソロスコは狼狽え、咄嗟に謝りながら周囲を窺った。こういう場面を大人に見つかると、大抵は泣いてない方に問答無用で雷が落ちるのだ。けど、オレ、間違ったコトはゆってねーよな?……ゆってねー筈だと思う。タブン……。
「と、とにかく、姫さん、と、とにかくさぁ、一旦部屋に戻ろーぜっ。な? な? ホ・ホラ、ここで姫さんが風邪引ーちまったりしたらさ、もしクーイが元気になってたって会いに行けねーじゃん?」
必死に取り繕いながらソロスコはパージェの肩を押した。タルヴァッカやクーイの惨状を思うと腹が立って仕方ないのに、目下に(本当は年上の筈なのだが……)泣かれてしまうと強く出られない。そんな自分につくづく嫌気がさした。
だが自己嫌悪はそれで終りにはなら無かった。パージェを部屋に置いてすぐ帰るつもりだったのに、すすり泣く彼女を背に扉に向かった処で足が止まってしまった。一刻も早く離れたいのに、泣かせたまま放置するのはどうしても忍びない。
「はぁぁぁ~ッ、コンチキショー!! オレの莫迦! オレの莫迦!!」
ソロスコは頭を掻き毟って存分に喚いた。ぜーはーと肩を上下させ、そしてパージェに向き直り、強く息を吸った。
「いい加減に落ち着けって! 貴族サマが庶民の前でビービー泣いたりすんじゃねーよ、恥ずかしくねーのかよ、姫さんっ!!」
出せる限りの強い口調でぴしゃりと言い放つ。目の前の人物を弟だと自分に言い聞かせながら。
「姫さんが泣いてたってどーにもなんねーだろ! 今はクーイの手術がうまく行くことを祈っとくしかねーじゃねーか。分かったら、オレが風呂の使い方を教えてやっから、さっさと入ってカラダをもっかいあっためて、んでメシを食う! んで寝るっ!! いいな!!」
パージェはビクッと肩を揺らしてこちらを見た。その背を強引に押して浴室へ向かう。
どういう使い方をしたのか、浴室は一面びしょびしょだった。この姫君は本気で風呂の使い方を知らないようだ。ソロスコは一瞬唖然とし、次に毎日これを掃除している筈のクーイの苦労に思いを馳せた。そう言やアイツ、姫さんに風呂の使い方を教えてねーのかな?
尤も貴族なら他の者と風呂を共有することなど無いだろうから、浴衣を着て入浴する習慣はもともと無いのかも知れない。それに、お屋敷によっては体を洗う専門の係というものまであるそうだから、裸体を下位の者に晒したところで何とも感じないものなのかも知れない。少なくともパージェには羞恥心など無さそうに思えた。ま、オレら庶民とは生きる世界が違げーかんな。ソロスコはひとまずは納得した。
湯はすっかり冷めていた。残り少ない水を水瓶から汲み出し、新しく足し湯を沸かしながら戸棚を漁る。
「姫さん、これが浴衣、こっちに仕舞ってあンのがバスローブ。浴衣は体を清めたあと、湯船に浸かる時に着るヤツ。これ着て入ると湯冷めしねーし、あったまんだってさ。んで、バスローブはあがった後に着る用。水気とか汗とかをとって、フツーの服がすぐに着れるよーにすんのな。アタマ洗ったときに被んのはコレ。タオルはこっちがカラダ用で……」
ひとつひとつ渡しながら使い方を教える。パージェは時々鼻を啜りながら大人しく聞いていた。いや、聞いているのかどうかは分からない。彼女の目はぼうっと姿見を見つめている。
何見てんだ? ソロスコも気になって鏡に視線を滑らせた。姿見にはパージェ自身が写っている。窓から差し込む光は白く濁っていて、細部を浮かび上がらせるには光量が足りない。自然と輪郭だけが目につく。濡れた髪が肌にぺったりと張りついて、微かに尖った耳介が頭から突き出して見えている。
ほんの束の間、恐怖にも似た戦慄が走った。それが意識に上る寸前、湯の沸く音に気が逸れた。ソロスコは慌てて火を落とし、湯船に足し湯を混ぜて温度を調整する作業に取り掛かった。未だパージェはぼんやりと姿見を見つめている。
「ほらよ姫さん。カラダあったまるてーどで良ーから、ささっと入っちまえよ」
自分では気付かないほど微かに胸騒ぎを覚え、ソロスコはパージェを急かした。木偶のように立ち尽くす彼女を引っ張る。するとソロスコの被せた上着もろとも湯船の中に沈んだ。
「うああ~!! ひっ、姫さんっ、オ・オレの上着が~!! きっ、着て浸かるための服はコッチだって!! 浴衣!! コレ!!……ううっ、聞いちゃいねぇ……」
慌てて浴衣をパージェに差し出すが、もう遅い。上着は水をたっぷり吸い込み、ポケットに突っ込んでいたパンがふやふやになって水面に浮かび上がった。持ち歩いていたトランプカード一式もご臨終だ。ソロスコは本気で声をあげて泣きたくなった。
上着を台無しにされ、気疲れと落胆と寒さとで半べそをかきながら、ソロスコはとぼとぼ自室に戻った。部屋には怖い顔のハリー教授が待ち構えていた。出会い頭に講義をサボったことについて叱られ、更に上着を水浸しにしたことについても怒られてしまう。既に不幸のどん底気分だった彼には、余り大したことでは無かった。今更小言がひとつふたつ増えた処で如何ってことない。
「で……クーイはどうなんだよ?……」
だが友人に関しては別だ。父の説教が終わったところで、ソロスコは漸く尋ねた。ハリー教授はすぐには答えず、ただ難しい顔をした。
「な、何だよ、何とか言えよオヤジ~!……ま・まさか……」




